雷 古語。 古語の美しいものを 70集めました

魚へん 神・雷

雷 古語

雷(かみなり) 雷(らい) いかづち(いかずち) はたた神 神鳴(かみなり) 鳴神(なるかみ) 日雷(ひがみなり) 雷鳴 雷光 落雷 迅雷(じんらい) 遠雷 軽雷 パソコン絵画 季語の意味・季語の解説 ============================== 夏は空気がよく温まるので、上昇気流が発生しやすい。 そのため、地上付近の水蒸気が上空に持ち上げられて冷やされ、氷の粒をたっぷり含んだ積乱雲(入道雲)となる。 積乱雲の中の氷の粒は、互いにこすれ合ったり、ぶつかったりして、静電気を大量に発生させる。 その静電気が、別の雲にたまった静電気、あるいは、大地にたまった静電気などと結びつく際に発生する光と音が 雷である。 このうち、雲の中の静電気と大地の静電気が結びつくタイプの雷は 落雷と呼ばれ、家を焼いたり、人の命を奪うこともある。 ゆえに、雷は、「地震・雷・火事・親父」とあるように、怖いものの象徴とされてきた。 その一方で、雷は、虎縞の模様のふんどし履いて、背中の太鼓をゴロゴロ鳴らしながら人々のへそを奪っていく、どこかユーモラスな神としても描かれてきた。 江戸時代の俳諧において雷は、 神鳴(かみなり)、あるいは 鳴神(なるかみ)の形で用いられることが多かったようである。 これに対し、現代俳句では、雷を音読みで「らい」と読ませる句が極めて多くなっている。 雷鳴の激しさと 雷光の鋭さを表現するのに、音読みが適しているということもあるだろう。 近い場所でなる激しい雷を 迅雷、遠くで鳴る雷を 遠雷、ドシャーンとは鳴らず、ゴロゴロと鳴る程度の雷を 軽雷と表現したりする。 また、現代俳句においても はたた神と言う雷の異称はよく用いられる。 小さな雷と言うより、激しい雷という印象である。 なお、 日雷(ひがみなり)は晴天時の雷である。 雷とよく似た発光現象の 稲妻は秋の季語に分類される。 季語随想 ============================== 小学生の頃のことです。 友達と外で遊んでいると、雷様が激しく太鼓を打ち鳴らし始めました。 幼い時分は、「雷が鳴ったらへそを隠せ。 さもないと、雷にへそを取られるぞ!」 そんな風に教わっていましたから、へそを取られては困ると、近所の高校の敷地に必死の思いで逃げ込みました。 私たちは、陶器か何かを焼く小屋に身を隠し、へそを押さえてじっと息を潜めました。 そうしてしばらくいるうちに、全速力で走り疲れたためか、すかっり眠りこんでしまいました。 随分時間が経ってから、小屋に入ってきた高校生のお兄さんに起こされ、慌てて退散したことを今でも鮮明に覚えています。 この、子どもたちを恐れさせた「雷が鳴ったらへそを隠せ」の教えの由来には諸説あるようです。 例えば、暑さで薄着になっている子どもにしっかりと服を着させ、お腹を冷やさないようにさせるために親が言ったという説。 雷雲、すなわち前線に発達した積乱雲が夕立ちを降らせると、急に気温が低下しますからね。 あるいは、外で雷に遭遇したらへそを隠すように腹ばいになり、少しでも低い体勢になった方が良いということを教えるためという説。 雷は発生源に近い場所、すなわち高いところに落ちやすいですからね。 いずれも、科学をかじった大人に「なるほど!」と思わせる合理的な説だと思います。 私は科学が得意な方で、実際に大学も理学部に進学しました。 そんな私がこれまでを振り返ってみて思うことは、頭の中に科学的知識が構築される過程とは、子どもの頃の「ふしぎ」の世界が、徐々に「なるほど!」の世界に塗り変わっていく過程であったということです。 つまり、今私の頭の中にある、科学的諸法則によって解釈されている世界は、もともとは、虎縞のふんどしを巻いた雷が子どもたちからへそを奪っていくような、幻想的で、時に優しく、時に恐ろしい空想の世界だったということです。 頭の中の科学的知識の体系とは、子どもの頃の空想世界が、少しずつ変化し、合理的で理性的なものへと成長した結果に他ならないのです。 幼い頃の私は、眠りに就く前の布団の中で、親に童話やおとぎ話をたっぷり読み聞かされて育ちました。 ですから、学校で科学と出会うまでに、「ふしぎ」の世界をたくさん持ち合わせていました。 「ふしぎ」をいっぱい持っていたから、いっぱい「なるほど!」と思えることができ、いっぱい科学的知識を自分のものとすることができました。 もし、「ふしぎ」の世界を持つ前に、さあ、「がんばって覚えなさい」と科学の世界をいきなり押しつけられても、「なるほど!」という体験はあまり出来なかったと思います。 私が科学を好きになり、得意にすることが出来たのは、幼児期に空想の世界をたくさん体験しておくことが出来たからだと思っています。 若いお父さん、お母さんは、科学教材を与える前に、ぜひ、童話、おとぎ話、昔話、民話などを小さな子どもにたっぷりと聞かせてやって下さい。 季語の用い方・俳句の作り方のポイント ============================== 遠くとも、雷が鳴りだすとやはり人は心細くなります。 そんな不安感を俳句に詠んでみました。 抜き去りしトラックに豚梅雨の雷 (凡茶) 遠雷や病床の父髭を剃る (凡茶) 近い雷ともなれば、恐ろしくて子どもや女性なら叫び声をあげてしまうこともありますが、周囲が青い光に照らされた一瞬は、凍るような美しさも感じます。 雷光や湯船の外へ美少年 (凡茶) 雷が去った直後の少し肌寒い空気の中で辺りを見渡すと、何やら不気味な静けさがそこにとどまっています。 雷去りてもののゐさうな草の丈 (凡茶) ゐさうな=居そうな。 ただ、雷が止んでしばらく時間が経ち、空が明るくなってくると、どこか吹っ切れたような清々しさを感じます。 遠船や昨夜は雷雨を浴びし丘 (凡茶) 遠船=とおふね。 昨夜=よべ。 「私が初学の頃にも、こんな歳時記があったらよかったのに…」と思える一冊です。 大学の俳句会に参加するようになった私が、初めて買った歳時記も合本俳句歳時記でした。 踏青(春の季語)、薄暑(夏の季語)などそれまで知らなかった言葉や、髪洗ふ(夏の季語)、木の葉髪(冬の季語)など意外な季語と出会うことができ、 毎晩、夢中になってページをめくったことを覚えています。 当時の私が買ったのは第二版でしたが、左の『合本俳句歳時記・第四版』は、季語の解説や掲載されている類語がさらに充実し、初心者にも上級者にもお薦めです。 これから俳句に誘ってみようと思っているお友達へのプレゼントにも最適です。 この歳時記は、季語の詳しい解説や古今の名句に加え、写真や絵も豊富に掲載されていて、俳句の勉強になるのはもちろんのこと、鑑賞していて飽きない芸術性の高い一冊でもあります。 私は、愛蔵版が出る前の全5巻を持っているのですが、 この歳時記のおかげで俳人としてスキルアップし、かつ、日本の風土と文化の素晴らしさを再確認することができました。 この歳時記は、私の俳句生活におけるかけがえのないパートナーであり、大切な財産でもあります。

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「知って得する季語」雷は雷でも、秋の雷「稲妻」って何だ?(press.prosperity.comサプリ 2018年08月25日)

雷 古語

そこで 伊邪那岐命 いざなぎのみことは、 伊邪那美命 いざなみのみことに会いたいと思って、 黄泉国 よもつくにに追って行った。 そして、伊邪那美命が御殿の戸から出迎えた時に、伊邪那岐命は、「いとしい我が妻の 命 みことよ、私とあなたが作った国は、まだ作り終わっていないから、帰ってきてくれ」と言った。 すると、 伊邪那美命 いざなみのみことが答えて言うことには、「残念なことです、早くいらっしゃらなくて。 私はもう、黄泉国の食べ物を食べてしまいました。 けれども、いとしい我が夫の命がここまでいらっしゃったことは恐れ多いことですから、帰ろうと思いますので、しばらく 黄泉神 よもつかみと相談しましょう。 私の姿を見ないでください」 こう言って、伊邪那美命は、御殿の内に帰って行ったが、その間がとても長くて、伊邪那岐命は待ちきれなくなった。 そこで、左の御みづらに挿していた神聖な 爪櫛 つまくしの端の太い歯を一本折り取って、これに一つ火をともして、御殿の中に入って見た時に、伊邪那美命の身体には蛆がたかってごろごろうごめいていて、頭には 大雷 おおいかづちがいて、 胸には 火雷 ほのいかづちがいて、腹には 黒雷 くろいかづちがいて、陰部には 拆雷 さくいかづちがいて、左手には 若雷 わかいかづちがいて、右手には 土雷 つちいかづちがいて、左足には 鳴雷 なるいかづちがいて、右足には 伏雷 ふしいかづちがいて、合わせて八はしらの雷神が成っていた。 是に其の 妹 いも 伊邪那美命 いざなみのみことを 相見 あひみまく 欲 おもほして、 黄泉国 よもつくにに追ひ 往 いでましき。 爾 すなはち 殿縢戸 とのどより出で向へます時に、 伊邪那岐命 いざなぎのみこと、語らひ 詔 のりたまひしく、「 愛 うつくしき我が なに 妹 もの命、 吾 あれと 汝 みましと作れりし国、未だ作り 竟 をへずあれば、還りまさね」とのりたまひき。 爾 ここに伊邪那美命、 答白 まをしたまはく、「悔しきかも、 速 とく来まさずて。 吾 あは 黄泉戸喫 よもつへぐひ 為 しつ。 然れども愛しき我が なせの命、入り来ませる事 恐 かしこければ、還りなむを、 且 しばらく 黄泉神 よもつかみと 相論 あげつらはむ。 我 あをな視たまひそ」 如此 かく 白 まをして、其の殿の内に還り入りませる 間 ほど、 甚 いと久しくて待ち 難 かねたまひき。 故 かれ、左の御 みづらに刺させる 湯津津間櫛 ゆつつまぐしの 男柱一箇 をばしらひとつ取り 闕 かきて、 一火 ひとつび 燭 ともして入り見ます時に、 うじたかれころろぎて、 頭 かしらには 大雷 おほいかづち 居 をり、 胸には 火雷 ほのいかづち居り、腹には 黒雷 くろいかづち居り、 陰 みほとには 拆雷 さくいかづち居り、左手には 若雷 わかいかづち居り、右手には 土雷 つちいかづち居り、左足には 鳴雷 なるいかづち居り、右足には 伏雷 ふしいかづち居り、 あはせて 八雷神 やくさのいかづちがみ成り居りき。 於是欲相見其妹伊邪那美命、追往黄泉國。 爾伊邪那美命答白、悔哉、不速來。 吾者爲黄泉戸喫。 然愛我 那勢命、 【那勢二字以音。 下效此。 】入來坐之事恐故欲還、且 2與黄泉神相論。 莫視我。 如此白而、還入其殿内之間、甚久難待。 故、刺左之御 美豆良、 【三字以音。 下效此。 】湯津津間櫛之男柱一箇取闕而、燭一火入見之時、 宇士多加禮許 3呂呂岐弖、 【此十字以音。 】於頭者大雷居、於胸者火雷居、於腹者黑雷居、於陰者拆雷居、於左手者若雷居、於右手者土雷居、於左足者鳴雷居、於右足者伏雷居、八雷神成居。 前記事はです。 ) 美豆良 美豆良は、 みづら、と読みます。 「上つ代に男の御装にて、髪を左右に分て、結綰(ゆひわがね)たるものなり」(記伝)。 埴輪などでおなじみの、古代日本の成人男子の髪型です。 のちにスサノオがやってきたときに、アマテラスが警戒して、「御髪を解き、御美豆羅に纏(ま)かして」男装をし、さらに武装をして出迎えるくだりがあります。 湯津津間櫛之男柱一箇取闕而 湯津津間櫛之男柱一箇取闕而は、 「ゆつつま櫛の男柱一箇(をばしらひとつ)取り闕(か)きて」と訓読します。 「ゆつ」は「湯津石村」の項でも述べたように、 「斎つ」(神聖な)という意味です。 男柱は 櫛の両端の太い歯のことです。 紀一書には「雄柱」(ほとりは)とあります。 のちのヤマタノオロチ退治の段にも、「湯津爪櫛」が出てきます。 本居宣長は「櫛は、もと串と同じ名なり、黄泉の段に火を燭し賜ふを思へば、上代の櫛の歯は、やや長かりしかば、串と同じ類ぞかし」と述べています。 「古代の櫛はカンザシのように長かったので、その先に火をつけて物を見るに適した」(大系紀)ようです。 日本書紀一書の、豊玉姫がホホデミノ尊(山幸彦)との間の御子であるウガヤフキアエズノ尊を出産するときのくだりで、姫がホホデミノ尊に向かって、 「妾、今夜産まむとす。 請ふ、な臨(み)ましそ」とまうす。 火火出見尊、聴しめさずして、猶櫛を以て火を燃(とも)して視す。 時に豊玉姫、八尋の大熊鰐(わに、サメのこと)に化爲(な)りて、匍匐(は)ひ逶(もごよ)ふ。 遂に辱められたるを以て恨(うらめ)しとして、則ちただに海郷に帰る。 (神代紀・第十段・一書第一) (「私は今夜産みます。 お願いですから、見ないでください」と言った。 ホホデミノ尊は、それを聞かず、櫛に火をともして見た。 そのとき豊玉姫は、大きなサメになって、腹這いになり、くねくねとうごめいていた。 豊玉姫は辱められたことを恨み、すぐに海に帰った。 ) とあるのは、(見るなの禁忌、櫛に火をともす、恐ろしい姿を見てしまう、など細部にいたるまで)この黄泉の段と同じ話型になっています。 ただし、実際にはにおいては死者の腐乱してゆく姿を見ることは禁忌ではなく、通常のことでした。 したがって、 「見るな」の禁忌は、ここでは実際の習慣が反映されたというよりは、物語の展開の装置の典型としてとらえた方がよさそうです。 その禁忌を破ってしまうことで、物語が動くというのは、「鶴の恩返し」や「黒塚の鬼婆」などでもおなじみの展開です。 燭一火 燭一火は、 「一つ火を燭(とも)して」と訓読します。 紀一書の同じ伝承のくだりに「今、世人、夜一片之火忌む、此れ其の縁(ことのもと)なり」(それで、今の世の人は、夜に一つ火をともすことを忌むのである)とあります。 宇士多加禮許呂呂岐弖 宇士多加禮許呂呂岐弖は、 うじたかれころろぎて、と音読します。 「うじ」は蛆虫、「たかれ」は「ハエがたかる」などに使われ、鳥や虫などが物に多く集まるという意味です。 「ころろぎて」は倭名抄に「嘶咽」を「ころろく」と訓む、とあります。 ごろごろと音を出している、とも、ごろごろとうごめいている、とも解されます。 なお、底本では「許」が「斗」になっており、その場合は「とろろぎて」となります。 この写本に従うと、とろろのように、腐乱してとろけている様子を表すことになります(記伝)。 イザナミのような高貴な存在も、黄泉の国の住人となってしまえば、このように身も蓋もない描かれ方をします。 これは「よもつへぐひ」の項で述べた「殯」(もがり)の体験が反映しているものと考えられます。 於頭者大雷居、云々 於頭者大雷居、云々は、大雷以下八柱の雷神がイザナミの亡骸の各部位に成ります。 紀一書に「八色雷公」(やくさのいかづち)とあります。 ただ、古事記のこの段のものとは、身体の部位や雷神の名前に異同があります。 宣長は、「此の八種の雷神の、各成れる處と名の義とを當て、其の由を考るに・・・何れも思ひ得がたし」と述べています。 「いかづち」の元の意味は 「厳」(いか、勢いの盛んなさま)+「つ」(の)+「ち」(神霊)であることから、ここではカミナリの意味ではなく、文字通りに解釈して、威力ある恐ろしい魔物、鬼形のものを指すと見ることもできます(記注釈)。 八雷神 八雷神は、 やくさのいかづちがみ、と訓みます。 紀一書の同様の伝承に「八色雷公」(やくさのいかづち)とあります。 「やはしらの雷神」とも訓みます。

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タケミカヅチ

雷 古語

概要 [ ] 『』では 建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)、 建御雷神(たけみかづちのかみ)、別名に 建布都神(たけふつのかみ)、 豊布都神(とよふつのかみ)と記され、『』では 武甕槌や 武甕雷男神などと表記される。 単に「建雷命」と書かれることもある。 また、()の主神として祀られていることから 鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれる。 、かつの神とされる。 後述するようにと並んでの元祖ともされる神である。 またでは、に住まう日本に地震を引き起こす大鯰を御するはずの存在として多くの例で描かれている。 古事記・日本書紀における記述 [ ] 神産み [ ] において(伊弉諾尊・いざなぎ)が火神(カグツチ)の首を切り落とした際、「」(アメノオハバリ)の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三神の一柱である。 剣のまたの名は伊都尾羽張(イツノオハバリ)という。 『』では、このとき(ミカハヤヒノカミ)という建御雷の租が生まれたという伝承と、建御雷も生まれたという伝承を併記している。 葦原中国平定 [ ] 「の国譲り」の段においては(イツノオハバリ)の子と記述されるが 、前述どおり伊都之尾羽張は天之尾羽張の別名である。 は、建御雷神かその父伊都之尾羽張を下界の平定に派遣したいと所望したが、建御雷神が(アメノトリフネ)とともに降臨する運びとなる。 出雲の伊耶佐小浜(いざさのおはま)に降り立った建御雷神は、(とつかのつるぎ)を波の上に逆さに突き立てて、なんとその切っ先の上に胡坐をかいて、(オオクニヌシノカミ)に対して国譲りの談判をおこなった。 大国主神は、国を天津神に譲るか否かを子らに託した。 子のひとりは、すんなり服従した。 もう一人、(タケミナカタ)(の 上社の祭神 )は、建御雷神に力比べをもちかけるも、手づかみの試合で手をつららや剣に変身させ、怯んだ建御名方神はその隙に一捻りにされたため、恐懼して遁走し、ので降伏した。 これによって国譲りがなった。 このときの建御名方神との戦いはの起源とされている。 『日本書紀』ではの段で下界に降される二柱は、武甕槌とである。 (ちなみに、この武甕槌は鹿島神社の主神、経津主神はの主神となっている。 上代において、関東・東北の平定は、この二大軍神の加護に祈祷して行われたので、この地方にはこれらの神の分社が多く建立する。 )『日本書紀』によれば、この二柱がやはり出雲の五十田狭小汀(いたさのおはま)に降り立って、(とつかのつるぎ)を砂に突き立て、大己貴神(おおあなむち、大国主神のこと)に国譲りをせまる。 タケミナカタとの力比べの説話は欠落するが、結局、大己貴神は自分の征服に役立てた広矛を献上して恭順の意を示す。 ところが、二神の前で大己貴命がふたたび懐疑心を示した(翻意した?)ため、は、国を皇孫に任せる見返りに、立派な宮を住まいとして建てるとして大己貴命を説得した。 また同箇所に、二神が打ち負かすべく相手としての名があげられ、これを征した神が、香取に座すると書かれている。 ただし、少し前のくだりによれば、この星の神を服従させたのは(たけはづち)であった。 神武東征 [ ] さらに後世のにおいては、建御雷の剣が熊野で手こずっていたを助けている。 熊野で熊が出現したため(『古事記』 )、あるいは毒気(『日本書紀』 )によって、神武も全軍も気を失うか力が萎えきってしまったが、(たかくらじ)が献上した剣を持ち寄ると天皇は目をさまし、振るうまでもなくおのずと熊野の悪神たちをことごとく切り伏せることができた。 神武が事情をたずねると高倉下の夢枕に神々があらわれ、や(高木神)が、かつて「葦原中国の平定の経験あるタケミカヅチにいまいちど降臨して手助けせよ」と命じるいきおいだったが、建御雷は「かつて使用した自分の剣をさずければ事は成る」と言い、(高倉下の)倉に穴をあけてねじ込み、神武のところへ運んで貢がせたのだという。 その剣は(ふつのみたま)のほか、佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)の別名でも呼ばれている (のご神体である)。 考証 [ ] 神産み神話(イザナキ・イザナミが生んだ神々) 混同されがちなは別の神で、『日本書紀』では葦原中国平定でタケミカヅチとともに降ったのは経津主神であると記されている。 経津主神はで祀られているの神である。 名義はと共に産まれてきたことから、名義は「甕 ミカ 」、「津 ヅ 」、「霊 チ 」、つまり「カメの神霊」とする説 、「建」は「勇猛な」、「御」は「神秘的な」、「雷」は「厳つ霊(雷)」の意で、名義は「勇猛な、神秘的な雷の男」とする説がある。 また雷神説に賛同しつつも、「甕」から卜占の神の性格を持つとする説がある。 祭祀を司るがの東国征伐と共に鹿島を含む常総地方に定着し、古くから鹿島神ことタケミカヅチをとして信奉していたことから、に()が作られると、は鹿島神を勧請し、一族のとした。 元々はのが信仰していた鹿島の()で 、海上交通の神として信仰されていたとする説がある。 の考察によれば、もともと「大忌」つまり神事のうえで上位であるはずの多氏の祭神であったのだが、もとは「小忌」であった中臣氏にとってかわられ、氏神ごと乗っ取られてしまったのだという(『神社と古代王権祭祀』)。 一方では系図、習俗・祭祀、活動地域、他氏族との関わりから、多氏を、中臣氏をに位置づけ、建御雷神を最初から中臣氏が祖神として奉斎した氏神(の父神)と推定した。 この説によると、山祇族(、、、等) は月神、火神、雷神、蛇神と縁が深く、これらを祖神としてきたため、祖系には火神・雷神が複数おり、そこから建御雷神の位置づけを推定したとする。 実際に建御雷神と中臣氏の遠祖であるを繋ぐ系図が存在し、中臣氏歴代にも津速産霊命、市千魂命、伊香津臣命、など「雷」に関係した神名・人名が見られ、中臣氏と同祖と見られるにも雷神祭祀()や天雷命など雷に関わる神名が見られる。 さらにはの進出の際、鹿島が重要な拠点となったが、東方制覇の成就祈願の対象も鹿島・香取の神であることはで既に述べた。 こうしたことで、タケミカヅチがヤマト王権にとって重要な神とされることになった。 信仰 [ ] 鹿島神宮、春日大社および全国の鹿島神社・春日神社で祀られている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• , p. 77 に掲載のナマズ絵、の同様の絵もタケミカヅチとする• 『古事記』p. 213• 『古事記』p. 214 剣名は後のくだりで明かされる• 『日本書紀』上 p. 244• 「すもう」 『世界百科事典 Sekai hyakka jiten 』 12巻 Heibonsha、597頁、1969年 [1968年]。 『日本書紀』上 p. 56-8• 『日本書紀』上 p. 64-6• 『日本書紀』上 p. 64, 58• 260-1• 「」の段、p. 94-5• 「神名の釈義」『古事記 新潮日本古典集成』出版、2014年。 宝賀寿男「中臣氏族の遠祖と武甕槌神」『古樹紀之房間』、2007年。 雑誌コード 66951-07; 共通雑誌コード T10-66951-07-1000• 宝賀寿男「中臣氏族の遠祖と武甕槌神」『古樹紀之房間』、2007年。 参考文献 [ ].

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