僕ら の この 両手 は もっと もっと 救い の 手 に。 【歌詞】【和訳あり】Yes I am(ONE OK ROCK/ワン・オク・ロック)の歌詞、タイトルの読み方、意味

『オールデイ・アンド・ア・ナイト 終身刑となった僕』感想(ネタバレ)…Netflix;必死で道を間違え続ける : シネマンドレイク:映画感想&レビュー

僕ら の この 両手 は もっと もっと 救い の 手 に

オールデイ・アンド・ア・ナイト 終身刑となった僕 あらすじ 終身刑で服役中の青年。 彼の身には何があったのか。 記憶を遡っていけば、それは友人たちとの時間、そして父親との一言では言い表せない関係性に行き着く。 気が付けば暴力と隣り合わせの世界で生きていた。 確かに別の道もあったのかもしれない。 それでもこの道を選んだ自分がいる。 自分はなるべくして犯罪者になったのだろうか。 『オールデイ・アンド・ア・ナイト』感想(ネタバレなし) 「僕」な作品ではありません初っ端から小言を書いてしまって申し訳ないのですが、海外映画の邦題で気になることがあるのです。 いや、それで作品にピッタリ合致するタイトルになるならいいのですけど、たいていはフィットしていないことの方が多い気がする…。 それどころか 作中でそんな一人称は翻訳でも使ってないのにタイトルだけは唐突に「僕」にしちゃっているケースさえあります。 ご存知のように英語では一人称は 「I」だけで済みますが、日本語だと「僕」「俺」「私」「我」「ワシ」「ウチ」とか主要なものでもかなりのバリエーションがあり、それぞれ選択するセンスが問われます。 ただどうやら「僕」をチョイスする場合は、そこに 「純朴もしくは未熟なイメージ」を添付したいような意図が透けてみえます。 それが余計なお世話というか、映画の主題に対する 勝手な印象操作になってしまっているからややこしいわけで…。 極力、こういう一人称の乱用はやめたほうがいいと個人的には思うのです。 別に「僕」を使ったからといって観客が増えて売れるということもないでしょうし…(もちろん適切だと自信を持って断言できるなら普通に使用していいのですけどね)。 今回の紹介する映画も邦題の副題に「僕」が入っており、若干首をかしげたくなるのですが…。 それが本作 『オールデイ・アンド・ア・ナイト 終身刑となった僕』です。 どうですか、この「僕」邦題だと、まるで 「冤罪になってしまった無実の人」っぽい感じがするでしょう。 でも違います。 がっつり盛大に人を殺意を持って殺していますから。 主人公も完全に 「俺」の一人称を使いそうなタイプの人です。 というか、字幕では普通に「俺」って翻訳されてます。 たぶん邦題を考えた人は、本作が アフリカ系アメリカ人を描くものだし、この人種問題としてよくありがちな不当な逮捕や差別的扱いを通した 被害者性を匂わせるタイトルにしたかったのだろうな…。 ドラマ『ボクらを見る目』みたいに…(これも「僕」案件ですね)。 でもそういう映画ではありません。 「そんな監督、知らないなぁ…」と聞いたことない人も多いと思いますが、あのブラック・ムービーの集大成として熱狂を巻き起こし、ワカンダ国民になりたい人が続出した(?)、MCUに新しい1ページを刻み付けたアメコミ映画 『ブラックパンサー』の脚本家のひとりです(もうひとりは監督のライアン・クーグラー)。 こう書くとちょっと興味が沸いてくる人もいるのではないでしょうか。 夜の街、カリフォルニア州オークランド。 多くの人がこの夜を思い思いに過ごしている中、 車に乗ったひとりの男は覚悟を決めていました。 この男は車を走らせると、住宅地のある家の前で車を止め、 銃を手にして車から降ります。 そのある家への庭先を通り、姿勢を低くし、明らかに隠れている男。 その家では マルコムという男が妻と娘と一緒に帰宅したばかり。 妻をからかってケツをたたき、イチャイチャな雰囲気です。 しかし、部屋に入ると凍り付きます。 なぜなら部屋に 両手で銃を構えてこちらに真っすぐ向ける男がいるのですから。 「俺のことを?」とその男は尋ね、引き返せず追い詰められたような瞳を見せながら、無慈悲に発砲。 マルコムと妻は銃弾を受け、撃ち殺されてしまい…。 それから…。 裁判が行われています。 「裁判官、判決を下す前に関係者が証言します」と最初は被害者の母親レズリー・ホワイトが発言の機会を与えられました。 罵倒しながら怒りを露わにする女性は「なぜなの? 孫の両親を奪っておいて。 なぜ? 答えなさいよ。 知り合いだというけどあなたのことは聞いていない。 この怪物を二度と監獄から出さないでほしい」と厳しく言葉をぶつけます。 それを黙って聞いていたのは凶行に走った男、 ジャコールです。 ジャコールはなぜあんな殺人行為に身を汚したのか。 刑務所の他の古株な囚人たちを眺めながら、ジャコールは何かが狂ってしまった 昔を思い出すのでした。 子ども時代。 遊具のある広場で喧嘩する二人の少年。 互いにジャコールと ラマークと名乗り、なんだかんだで仲良くなります。 住宅地を並んで歩いていると、顔に怪我がある少年が道端にいるのを発見。 どうやら年上の奴らに殴られたようです。 「一緒に帰ろう」と声をかけるもそこに住んでいると言われます。 ジャコールも暴力を受けていました。 その相手は 自分の父親です。 肌がそこまで黒くない父に暴力を振るわれるのは日常茶飯事。 その父、 JDによる家庭内暴力はしだいにジャコールも浸食していきます。 ジャコール自身も暴力の世界に身を投じることに…。 「先に殴れ。 相手が攻めてくる前に」 ジャコール少年たちは上級生に暴力を振るうのも躊躇いなくなりました。 それは彼らが青年になっても変わりません。 青年になった今、この暴力のルールに従い、銃を突きつけて金目のものを奪うジャコールと TQ(マクファーデン)。 TQはとくに暴力に快楽を感じ、ひとりをボコボコにするのも躊躇なしです。 さらにTQは T・レックスとマルコムという危なそうな奴らとつるんでいました。 「俺はいずれここを仕切る」…それがTQの野望です。 ラマークは戦争に派兵されて 怪我を負い、今は家で休んでいる状態。 ジャコールは 音楽に興味があり、自力で業界デビューするために奮闘しているも、なかなかチャンスは掴めません。 ギャングに殺されたダニエル・ロッキーの葬儀に出ていると、帽子の男で スタナというこの地域一帯に力を持つ大物がやってきて、親切そうに差し入れを渡している姿を見つめます。 そのスタナはジャコールとTQに 「マルコムが黒幕だ。 あいつを殺る」と宣言。 この話を 「面倒は避けたい」と距離をとるジャコール。 ジャコールは シャンティという女性と違法のスタントショーで出会い、愛を深め、なんと妊娠までしたと報告を受けたばかり。 「面倒を見てやる」と幸せいっぱいで誓います。 仕事を探すが見つからない中、なんとかアパレルショップで職を手に入れ、真っ当に働き、未来の家族を養う準備を始めていたのでした。 しかし、真剣に生きようとするジャコールの人生はまるで引き寄せられるようにまたも暴力の世界へと沈み始めていました。 身近で起きる抗争と殺人、信頼していた愛する人の裏切り、母との不和、今はムショにいる父の影…。 刑務所でその昔を思い出すジャコールさえも、暴力の世界は逃がしてくれず…。 『ブラックパンサー』との類似性 『オールデイ・アンド・ア・ナイト 終身刑となった僕』は基本的に3つの時間軸で構成されています。 ひとつは少年時代、2つ目は青年時代の殺人を犯す前、3つ目は殺人事件後の刑務所での時期。 しかも、この3つの時間軸がかなり複雑にサンドイッチされて代わる代わる語られていくので、正直、最初はかなりわかりにくいかもしれません。 『ムーンライト』みたいに3つの時間軸が基本は順番に流れていくと明快なのですが、この『オールデイ・アンド・ア・ナイト 終身刑となった僕』はそうではありませんから。 そのせいで主人公のジャコールの感情がどう揺れ動いているのか観客に伝わりづらい欠点はあったかと思います。 まず根本的な登場人物相関図さえも理解しづらい人もいたかも。 案外と簡単で、要するにあの舞台となる地域ではスタナ率いる一派とT・レックス&マルコム率いる一派が勢力争いをしているらしく、その渦中で内心では頂点を狙うという野望を秘める TQは漁夫の利を得ようと画策しています。 その中でジャコールはどうするのか…という物語です。 主人公ががっつり悪に染まった友人との付き合い方に悩み、やがて避けられない対決を迎える。 さらに 暴力の歴史を背負った父親との因縁にも向き合わなくてはいけないことになる。 二作とも静かな決着と和解のエンディングを迎え、その後味も一緒ですよね。 けれども『オールデイ・アンド・ア・ナイト 終身刑となった僕』の方は、リアルな社会がベースにあることもあり、ファンタジーな世界観のような直球な希望は描けず、 かなりの閉塞感に縛られる息苦しさが強烈に目立ちます。 ジャコールにだって 明るい未来は見えなくもなかったのです。 自分の子どもができて新しい将来の家庭が待っていました。 音楽への道も真剣に考えていました。 TQの支援を汚いカネは受け取らないと断る姿勢も最初は見せていました。 でもそうはいかない。 T・レックスに曲を披露するくだりの 何とも言えない痛々しさがツラいです。 「俺はもっとやれる」「大物になれる」と口だけは先走るも、才能は全然ついてこない感じの虚しさ。 結局、凶行に手を汚すわけですが、その直前に 車内で口ずさむ歌詞がまたジャコールの未練を示していて、これまた切なすぎる…。 因果応報と不公平には救いがない『オールデイ・アンド・ア・ナイト 終身刑となった僕』で描かれることは簡単に言えば 「因果応報」。 子に暴力を情け容赦なく振るう父。 彼もどうやら自分の父は逮捕歴も多い人間だったらしく、そこから闇を受け継いでしまっていることが暗示されています。 そして 「家族の生活のために必死で道を間違え続けた」と吐露する場面では、当人もなんでこうなってしまったのかわからないという苦しみがこぼれでていました。 そんな父を引き継ぐジャコール。 それは憎むべき嫌な相手でもあると同時に、 どことなくシンパシーを感じる部分もあるようです。 母が父を捨てて他の男と仲良くつるんでいるのを見て、思わず激昂し、その男に手をあげてしまう場面では、ジャコールの父への歪んだ同調的な愛が見え隠れします。 警察に呼び止められて捕まった際、白人警官に父親の話を持ちだされ、 「遺伝か?」と聞かれるシーンがあります。 これは当然、白人警官側の人種差別的な問いかけなわけですけど、ジャコールにとっては実は一番言われたくはない図星でもある。 父に対する劣等感がどんどん自分の中で増幅しているのを止められません。 そしてマルコムに銃口を向ける根本的な理由は、命令されたからではないことが判明します。 父にクスリを売る売人が若きマルコムだったということ。 そういう憎しみの連鎖が果てしなく続き、最終的にはTQとの決着で終わる。 いや、終わったのかはわかりません。 あのまま終身刑なら終わりかもしれませんが、刑期短縮もありますし、また外の世界に出ることもじゅうぶん考えられます。 だから連鎖は終わっていないのかも。 ましてや ジャコールには子どもが生まれているのです。 あの子がどんなふうに父を見るのか、そういう気がかりを残すラストでもあります。 赤ん坊を抱える父の昔の場面と重なるのも皮肉です。 こうやって因果応報を見ていると 「悪いことはするもんじゃない」「悪いことなんでしなければいいんだ」と思うかもしれません。 でも悪いことをしなかったらハッピーエンド・ルートなのかというと、そうではないと本作では明示しているんですね。

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オールデイ・アンド・ア・ナイト 終身刑となった僕 あらすじ 終身刑で服役中の青年。 彼の身には何があったのか。 記憶を遡っていけば、それは友人たちとの時間、そして父親との一言では言い表せない関係性に行き着く。 気が付けば暴力と隣り合わせの世界で生きていた。 確かに別の道もあったのかもしれない。 それでもこの道を選んだ自分がいる。 自分はなるべくして犯罪者になったのだろうか。 『オールデイ・アンド・ア・ナイト』感想(ネタバレなし) 「僕」な作品ではありません初っ端から小言を書いてしまって申し訳ないのですが、海外映画の邦題で気になることがあるのです。 いや、それで作品にピッタリ合致するタイトルになるならいいのですけど、たいていはフィットしていないことの方が多い気がする…。 それどころか 作中でそんな一人称は翻訳でも使ってないのにタイトルだけは唐突に「僕」にしちゃっているケースさえあります。 ご存知のように英語では一人称は 「I」だけで済みますが、日本語だと「僕」「俺」「私」「我」「ワシ」「ウチ」とか主要なものでもかなりのバリエーションがあり、それぞれ選択するセンスが問われます。 ただどうやら「僕」をチョイスする場合は、そこに 「純朴もしくは未熟なイメージ」を添付したいような意図が透けてみえます。 それが余計なお世話というか、映画の主題に対する 勝手な印象操作になってしまっているからややこしいわけで…。 極力、こういう一人称の乱用はやめたほうがいいと個人的には思うのです。 別に「僕」を使ったからといって観客が増えて売れるということもないでしょうし…(もちろん適切だと自信を持って断言できるなら普通に使用していいのですけどね)。 今回の紹介する映画も邦題の副題に「僕」が入っており、若干首をかしげたくなるのですが…。 それが本作 『オールデイ・アンド・ア・ナイト 終身刑となった僕』です。 どうですか、この「僕」邦題だと、まるで 「冤罪になってしまった無実の人」っぽい感じがするでしょう。 でも違います。 がっつり盛大に人を殺意を持って殺していますから。 主人公も完全に 「俺」の一人称を使いそうなタイプの人です。 というか、字幕では普通に「俺」って翻訳されてます。 たぶん邦題を考えた人は、本作が アフリカ系アメリカ人を描くものだし、この人種問題としてよくありがちな不当な逮捕や差別的扱いを通した 被害者性を匂わせるタイトルにしたかったのだろうな…。 ドラマ『ボクらを見る目』みたいに…(これも「僕」案件ですね)。 でもそういう映画ではありません。 「そんな監督、知らないなぁ…」と聞いたことない人も多いと思いますが、あのブラック・ムービーの集大成として熱狂を巻き起こし、ワカンダ国民になりたい人が続出した(?)、MCUに新しい1ページを刻み付けたアメコミ映画 『ブラックパンサー』の脚本家のひとりです(もうひとりは監督のライアン・クーグラー)。 こう書くとちょっと興味が沸いてくる人もいるのではないでしょうか。 夜の街、カリフォルニア州オークランド。 多くの人がこの夜を思い思いに過ごしている中、 車に乗ったひとりの男は覚悟を決めていました。 この男は車を走らせると、住宅地のある家の前で車を止め、 銃を手にして車から降ります。 そのある家への庭先を通り、姿勢を低くし、明らかに隠れている男。 その家では マルコムという男が妻と娘と一緒に帰宅したばかり。 妻をからかってケツをたたき、イチャイチャな雰囲気です。 しかし、部屋に入ると凍り付きます。 なぜなら部屋に 両手で銃を構えてこちらに真っすぐ向ける男がいるのですから。 「俺のことを?」とその男は尋ね、引き返せず追い詰められたような瞳を見せながら、無慈悲に発砲。 マルコムと妻は銃弾を受け、撃ち殺されてしまい…。 それから…。 裁判が行われています。 「裁判官、判決を下す前に関係者が証言します」と最初は被害者の母親レズリー・ホワイトが発言の機会を与えられました。 罵倒しながら怒りを露わにする女性は「なぜなの? 孫の両親を奪っておいて。 なぜ? 答えなさいよ。 知り合いだというけどあなたのことは聞いていない。 この怪物を二度と監獄から出さないでほしい」と厳しく言葉をぶつけます。 それを黙って聞いていたのは凶行に走った男、 ジャコールです。 ジャコールはなぜあんな殺人行為に身を汚したのか。 刑務所の他の古株な囚人たちを眺めながら、ジャコールは何かが狂ってしまった 昔を思い出すのでした。 子ども時代。 遊具のある広場で喧嘩する二人の少年。 互いにジャコールと ラマークと名乗り、なんだかんだで仲良くなります。 住宅地を並んで歩いていると、顔に怪我がある少年が道端にいるのを発見。 どうやら年上の奴らに殴られたようです。 「一緒に帰ろう」と声をかけるもそこに住んでいると言われます。 ジャコールも暴力を受けていました。 その相手は 自分の父親です。 肌がそこまで黒くない父に暴力を振るわれるのは日常茶飯事。 その父、 JDによる家庭内暴力はしだいにジャコールも浸食していきます。 ジャコール自身も暴力の世界に身を投じることに…。 「先に殴れ。 相手が攻めてくる前に」 ジャコール少年たちは上級生に暴力を振るうのも躊躇いなくなりました。 それは彼らが青年になっても変わりません。 青年になった今、この暴力のルールに従い、銃を突きつけて金目のものを奪うジャコールと TQ(マクファーデン)。 TQはとくに暴力に快楽を感じ、ひとりをボコボコにするのも躊躇なしです。 さらにTQは T・レックスとマルコムという危なそうな奴らとつるんでいました。 「俺はいずれここを仕切る」…それがTQの野望です。 ラマークは戦争に派兵されて 怪我を負い、今は家で休んでいる状態。 ジャコールは 音楽に興味があり、自力で業界デビューするために奮闘しているも、なかなかチャンスは掴めません。 ギャングに殺されたダニエル・ロッキーの葬儀に出ていると、帽子の男で スタナというこの地域一帯に力を持つ大物がやってきて、親切そうに差し入れを渡している姿を見つめます。 そのスタナはジャコールとTQに 「マルコムが黒幕だ。 あいつを殺る」と宣言。 この話を 「面倒は避けたい」と距離をとるジャコール。 ジャコールは シャンティという女性と違法のスタントショーで出会い、愛を深め、なんと妊娠までしたと報告を受けたばかり。 「面倒を見てやる」と幸せいっぱいで誓います。 仕事を探すが見つからない中、なんとかアパレルショップで職を手に入れ、真っ当に働き、未来の家族を養う準備を始めていたのでした。 しかし、真剣に生きようとするジャコールの人生はまるで引き寄せられるようにまたも暴力の世界へと沈み始めていました。 身近で起きる抗争と殺人、信頼していた愛する人の裏切り、母との不和、今はムショにいる父の影…。 刑務所でその昔を思い出すジャコールさえも、暴力の世界は逃がしてくれず…。 『ブラックパンサー』との類似性 『オールデイ・アンド・ア・ナイト 終身刑となった僕』は基本的に3つの時間軸で構成されています。 ひとつは少年時代、2つ目は青年時代の殺人を犯す前、3つ目は殺人事件後の刑務所での時期。 しかも、この3つの時間軸がかなり複雑にサンドイッチされて代わる代わる語られていくので、正直、最初はかなりわかりにくいかもしれません。 『ムーンライト』みたいに3つの時間軸が基本は順番に流れていくと明快なのですが、この『オールデイ・アンド・ア・ナイト 終身刑となった僕』はそうではありませんから。 そのせいで主人公のジャコールの感情がどう揺れ動いているのか観客に伝わりづらい欠点はあったかと思います。 まず根本的な登場人物相関図さえも理解しづらい人もいたかも。 案外と簡単で、要するにあの舞台となる地域ではスタナ率いる一派とT・レックス&マルコム率いる一派が勢力争いをしているらしく、その渦中で内心では頂点を狙うという野望を秘める TQは漁夫の利を得ようと画策しています。 その中でジャコールはどうするのか…という物語です。 主人公ががっつり悪に染まった友人との付き合い方に悩み、やがて避けられない対決を迎える。 さらに 暴力の歴史を背負った父親との因縁にも向き合わなくてはいけないことになる。 二作とも静かな決着と和解のエンディングを迎え、その後味も一緒ですよね。 けれども『オールデイ・アンド・ア・ナイト 終身刑となった僕』の方は、リアルな社会がベースにあることもあり、ファンタジーな世界観のような直球な希望は描けず、 かなりの閉塞感に縛られる息苦しさが強烈に目立ちます。 ジャコールにだって 明るい未来は見えなくもなかったのです。 自分の子どもができて新しい将来の家庭が待っていました。 音楽への道も真剣に考えていました。 TQの支援を汚いカネは受け取らないと断る姿勢も最初は見せていました。 でもそうはいかない。 T・レックスに曲を披露するくだりの 何とも言えない痛々しさがツラいです。 「俺はもっとやれる」「大物になれる」と口だけは先走るも、才能は全然ついてこない感じの虚しさ。 結局、凶行に手を汚すわけですが、その直前に 車内で口ずさむ歌詞がまたジャコールの未練を示していて、これまた切なすぎる…。 因果応報と不公平には救いがない『オールデイ・アンド・ア・ナイト 終身刑となった僕』で描かれることは簡単に言えば 「因果応報」。 子に暴力を情け容赦なく振るう父。 彼もどうやら自分の父は逮捕歴も多い人間だったらしく、そこから闇を受け継いでしまっていることが暗示されています。 そして 「家族の生活のために必死で道を間違え続けた」と吐露する場面では、当人もなんでこうなってしまったのかわからないという苦しみがこぼれでていました。 そんな父を引き継ぐジャコール。 それは憎むべき嫌な相手でもあると同時に、 どことなくシンパシーを感じる部分もあるようです。 母が父を捨てて他の男と仲良くつるんでいるのを見て、思わず激昂し、その男に手をあげてしまう場面では、ジャコールの父への歪んだ同調的な愛が見え隠れします。 警察に呼び止められて捕まった際、白人警官に父親の話を持ちだされ、 「遺伝か?」と聞かれるシーンがあります。 これは当然、白人警官側の人種差別的な問いかけなわけですけど、ジャコールにとっては実は一番言われたくはない図星でもある。 父に対する劣等感がどんどん自分の中で増幅しているのを止められません。 そしてマルコムに銃口を向ける根本的な理由は、命令されたからではないことが判明します。 父にクスリを売る売人が若きマルコムだったということ。 そういう憎しみの連鎖が果てしなく続き、最終的にはTQとの決着で終わる。 いや、終わったのかはわかりません。 あのまま終身刑なら終わりかもしれませんが、刑期短縮もありますし、また外の世界に出ることもじゅうぶん考えられます。 だから連鎖は終わっていないのかも。 ましてや ジャコールには子どもが生まれているのです。 あの子がどんなふうに父を見るのか、そういう気がかりを残すラストでもあります。 赤ん坊を抱える父の昔の場面と重なるのも皮肉です。 こうやって因果応報を見ていると 「悪いことはするもんじゃない」「悪いことなんでしなければいいんだ」と思うかもしれません。 でも悪いことをしなかったらハッピーエンド・ルートなのかというと、そうではないと本作では明示しているんですね。

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僕らの住む世界はきっともっと素敵なハズ!! でもなんで今日も僕らはみな自分が 一番可愛いんだろ? Say my name I've got to take my chance to change your heart Everything will be alright tonight Yes I am So keep on walking, go out through the door 後ろ振り向かずに行こう 何のために産声をあげる? この世界にきっと何かを訴えるためで 僕らのこの両手がもっともっと救いの手に 変わっていって願ってみて 明日の景色が動いていく Say my name I've got to take my chance to change your heart Everything will be alright tonight Yes I am So keep on walking, go out through the door 後ろ振り向かずに行こう You say my name You take my hand Let's start it now It's not too late Say my name I've got to take my chance to change your heart Everything will be alright tonight Yes I am So keep on walking, go out through the door 前だけを見続けよう• Song• Artist• Album• Nicheシンドローム• Licensed to YouTube by• Amuse Inc. ; Rumblefish Publishing , LatinAutor - SonyATV, UNIAO BRASILEIRA DE EDITORAS DE MUSICA - UBEM, NexTone Inc. nex-tone.

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