太宰 治 子供 ダウン症。 太宰治

太宰治

太宰 治 子供 ダウン症

太宰治『ヴィヨンの妻』の背景 題名を見たあなたはまずこう思うでしょう。 「ヴィヨン」って何?と。 ヴィヨンとは、15世紀のフランスの詩人、フランソワ・ヴィヨンのことです。 フランソワ・ヴィヨンはパリ大学在学時より、売春婦や素行の悪い者と行動を共にし、殺人・強盗・傷害事件を起こすなど、無頼・放浪の人生を送った人物です。 この作品のに出てくる 「私」の夫も、フランソワ・ヴィヨン(まではいかなくても)のように窃盗・飲酒など荒れ果てた生活をしており、ヴィヨンの妻とはそうした人でなしの夫を持った妻のことを指しています。 この作品は1947年に発表されましたが、太宰治は1948年に入水自殺をしており、『ヴィヨンの妻』はその1年前に書かれた作品となります。 太宰治と言えば人間失格などのように暗い小説が有名ですが、この作品は精神的に安定していた時期に執筆された作品ということもあり、暗さはさほど見られません。 また、『ヴィヨンの妻』に出てくる「私」の子は発達が遅く知能障害があるような描写があります。 これは1944年8月10日に生まれた太宰の長男、正樹がダウン症であったことから、正樹がモデルになっているものと思われます。 太宰治『ヴィヨンの妻』登場人物 ヴィヨンの妻の人物相関図は次のようになります。 太宰治『ヴィヨンの妻』あらすじ ここからは、ヴィヨンの妻のあらすじを紹介していきます。 最初に簡単なあらすじを書き、そのあと詳しいあらすじを書いていきます。 太宰治『ヴィヨンの妻』簡単なあらすじ 「私」は放蕩癖のある夫を持つ女性である。 家の障子は破れ、壁もはがれかかっているがそれを直すお金もない。 夫は毎晩お酒を飲み歩き、長い時は数カ月も帰って来ない。 或る晩その夫が帰宅するが、いつになく優しく、子供の熱の心配などをする。 すると、小料理屋を経営する夫婦が押しかけてきて、夫はその夫婦と口論となり家を飛び出す。 聞けば夫は小料理屋から大金を盗み、おまけにツケが溜まっており、さらに外では愛人を作っているとのこと。 私はその話をきいて可笑しくて笑いがこみ上げてくるのでした。 盗んだお金を返済するべく、あてもなく小料理屋へ私は行くが、奇跡的にも夫の愛人がお金を立て替えてくれる。 私は夫のツケを支払うべく、小料理屋で働くことにする。 小料理屋で働いてからの私はいままでになく幸せを感じる。 ある日作家である夫のファンの男性からレイプされた私だが、翌日もいつものように小料理屋で働くために店へ行く。 そこには夫がおり、夫は自分が人非人であるという記事を読み、僕は人非人じゃないと言う。 それに対し私は 「人非人でもいいじゃないの。 私たちは、いきていさえすればいいのよ」と言うのでした。 あわただしく、玄関をあける音が聞こえて、私はその音で、目を覚ましましたが、それは泥水の夫の、深夜の帰宅に決まっているのでございますから、そのまま黙って寝ていました。 しかしその夜の夫はいつになく優しく、坊やの熱の心配などをするので 私は当惑して背筋が寒くなります。 「私」の子供はよその二つの子供より小さいくらいで、言葉もウマウマとかイヤイヤとか言えるくらいで、脳が悪いのではないかと思われました。 私は子供があまり小さく痩せているので、銭湯に行ったときに人前で泣いてしまったこともあったのでした。 そして子供は熱を出したりおなかをこわしたりしょっちゅうするのですが、夫は気に掛ける様子もなく、医者へ行くよう言うだけでした。 しかし家にはお金がないので医者へ連れてもいけず、ただその子をあやすより他ないのである。 帰宅するときは常に泥水している夫。 発育が遅れている子供。 そして子供のことを気にかけない夫。 そして医者に行くお金が無い生活。 主人公であるヴィヨンの妻こと「私」の苦境が描写されます。 夫の窃盗 「ごめん下さい」 と女の細い声がして、私は総身に冷水を浴びせられたようにぞっとします。 そして次に 「大谷さん!いらっしゃるんでしょう?」と怒った声が聞こえます。 家に招き入れ対応する夫ですが、女性ともう一人の男が現れ、夫はその二人と口論となります。 夫と男はもみ合いになりますが、夫は右手にジャックナイフを握りて外へ逃走していくのでした。 「すみません、どうぞ、おあがりになって、お話をきかせてください」私はそう言い、女性と男性を家に招き入れ話を聞きます。 女性は40前後の、小さい、身なりのきちんとした人で、男性は短い外套を着た、50過ぎくらいの丸顔をしています。 家に上がり込んだ二人は、 腐りかけているような畳、破れほうだいの障子、落ちかけている壁、紙がはがれて中の骨が露出している襖、片隅に机と本箱、それもからっぽの本箱、そのような荒涼たる部屋の風景に接して、息を飲んだような様子であった。 聞けば二人は夫婦で小さい料理屋を経営しており、夫は3年間そこへ入り浸りの状態。 しかし最初にお店へ来た時に大金を置いて行ったきり、その後一度も支払いをしていないらしい。 私は坊やの寝ているふとんにもぐり、坊やの頭を撫でながら、いつまでも、いつまで経っても、夜があけなければいい、と思うのでした。 私の父は以前おでんの屋台を出しており、私の現在の夫はその屋台にときどき立ち寄り、父をあざむいて他所で会うようになり、坊やがおなかにできたのです。 しかし籍は入っておらず、この子は「父なし子」ということになっていて、 夫は3日も4日も、ひと月も帰らぬこともあり、帰るときはいつも泥酔し、私の顔を見てぽろぽろ涙を流すこともあったり、かと思えば私のからだを固く抱きしめて「 ああ、いかん。 こわいんだ。 こわいんだよ、ぼくは。 こわい!たすけてくれ!」と震えることもあるのです。 私と坊やの身を案じて夫の古くからの知り合いの出版の方が2,3人、時たまお金を持ってきてくれるおかげで、私と子供はなんとか飢え死にせずに今日まで暮らしてきたのだ。 追い詰められた私は「お金が用意できそう」と嘘をついてしまいます。 そしてお金が戻るまで、小料理屋で働くのですが、或る事(後述)に気づいてしまいます。 そんな時奇跡が起こります。 夫が店にやってきて盗んだお金を返すのです。 追い詰められていた私は解放感からさすがにうれしく思うのでした。 ヴィヨンの妻の変化 亭主の話によるとあの奥さんは夫と深い関係にあり、お金をマダムが立て替えたとのこと。 しかし今までの借金が2万円あることを聞いた私は、このまま料理屋で働き借金を返済していくことを決意します。 この店に行けば夫に逢えるかもしれない。 父の屋台で客あしらいは決して悪くなかったので、これからこの店できっと巧く立ちまわれるに違いない。 現に今夜だって私は、チップを500円近くもらったのだもの。 そう前向きに考える私でした。 盗んだお金の件はクリアされ、おまけに新しい職場で活躍できるようになった私。 これまでのとは一変し、生活は「浮々した楽しいもの」となります。 これは夫が勤め先の妻と不倫関係にあったことを承知した上で述べています。 通常、夫が勤め先の女と肉体関係を結んでいたら気分は陰鬱なものになるはずですが、「楽しい」と私は言います。 「この店に行けば夫に会えるかもしれない」というセリフから、夫には会いたいという気持ちはあります。 つまり、ヴィヨンの妻たる「私」は夫の不倫や愛人関係などは許容しているのではないかと考えられます。 レイプされた私の希望 やがて小料理屋で働く私は椿屋に飲みに来ているお客さんが一人残らず犯罪人ばかりだという事に、気が付き、夫などはまだ優しい方だと思うようになります そしてお正月にはお店の客に私はけがされます。 夫のファンだという潰れた男性を家に泊めたあくる日のあけがた、 私は、あっけなくその男の手に入れられてしまいます。 これで太宰治の『ヴィヨンの妻』は終わりです。 椿屋のお客さんと体の関係を持ってしまった「私」ですが、翌日もいつもと同じように仕事を行います。 そこで夫と出会った私は「いいお正月をさせてあげたかった」と言いますが、それに対してうれしい感情もなく「人非人でもいいじゃないの。 私たちは、いきていさえすればいいのよ」と言います。 ヴィヨンの妻が求めるのは善き夫の姿ではなく「ひとでなしでも生きてさえすればいい」というものでした。 太宰治『ヴィヨンの妻』感想 私がこの『ヴィヨンの妻』を読んだ時、「私」のことが何も理解できませんでした。 夫は放蕩もので、家庭を顧みず、お酒と女に溺れる男性像が見えます。 しかし、 「私」は夫に対してどういった感情を持っているのかがわかりかねました。 「私」は夫に何を思っているのか 夫が外で愛人をつくろうが、お金を盗んでこようが、子供をないがしろにしようが「可笑しさがこみ上げてきまして、私は声を挙げて笑ってしまいました」という表現からもわかるように、 私は夫を全く責めません。 一般的な妻の行動は、夫に対して怒りをぶつける、悲しみに明け暮れる、見切りをつけて出て行く、のどれかでしょう。 それそしないということは、妻は夫に対して無関心、無関係、寛容などが考えられます。 物語中盤で、「この店に行けば夫に会えるかもしれない」と私が考えていることから、無関心なわけではないことがわかります。 そして夫が盗んだお金を自分の責任で返そうとしていることから、無関係と思っているわけではありません。 となると、私は 夫の行動を全て寛容しているのではないか?ということが考えられます。 「人非人でもいいじゃないの。 私たちは、いきていさえすればいいのよ」という言葉はまさに、「ろくでなしな夫でも生きてたらそれでOK」という私の夫に対する思いそのものなのではないでしょうか。 そして何も求めてないがゆえに「五千円はお正月に使おうと思ってたんだよ~」という夫の白々しい言葉にも「格別うれしくもなく」感じたのです。 私はまさにヴィヨンの妻 もし私が夫の行動に怒りや悲しみを感じる人間だったらどうなるでしょう? 破綻ですw 怒って出て行くか、悲しみに明け暮れて自殺するかです。 つまり逆説的に、私が夫に何も期待しない女性だったからこそ、ヴィヨンのような(のような破綻した)夫の妻になれたのです。 まさに「 私」は生まれながらにして小説の題名である「ヴィヨンの妻」だったのです。 精神的に依存する夫 夫はどうでしょうか?酒と女とお金に溺れる男ですよね。 そして夫は「ああ、いかん。 こわいんだ。 こわいんだよ、ぼくは。 こわい!たすけてくれ!」と震えて妻に助けを求めるなど、妻に精神的な依存をしています。 そして夫のことを決して非難・否定しない「私」は夫がどのような状況であっても受け入れるのです。 言ってみれば神様のような存在ですね。 マズローの欲求階層とヴィヨンの妻 このように幸福に対する要件が非常に低い「私」ですが、これをマズローの欲求階層を使って説明したいと思います。 上記のように、人間にの欲求には5段階あり、下層の欲求が満たされなければ上層の欲求が発生することはありません。 生理的欲求は食事・性欲など人の根源に関わるもので、それがクリアされると安全欲求、つまり生活の安全や身分の安定などの欲求が発生します。 次が社会的欲求で、家族や恋人、周囲からの愛情などの欲求です。 この図で言えば、 ヴィヨンの妻は生理的欲求と安全欲求が満たされた段階で人生が満たされてしまっているわけですね。 社会的欲求がないために、夫に対する不平不満が沸いてこない、という状況にあると考えられます。 ヴィヨンたる夫と上手く関係性を築き上げられるのも、こうした「私」の特異性があり、その特異性こそが「ヴィヨンの妻」である理由なのでしょう。 太宰治の生涯については別途記事を書いていますので参照いただければ幸いです。

次の

太宰治は愛人と二人で入水自殺した動機のひとつに、一人息子がダ...

太宰 治 子供 ダウン症

著者 太宰治(だざい おさむ) 発表年 1948年 発表形態 雑誌掲載 ジャンル 短編小説 テーマ 親子の関係 『桜桃』は、1948年に雑誌『世界』で発表された太宰治の短編小説です。 「子供より親が大事と思いたい」という一文が印象的な小説です。 太宰は、1948年6月13日に愛人と自殺し、遺体は太宰の誕生日である6月19日に発見されました。 太宰が死の直前に書いた作品が『桜桃』であったため、6月19日は「桜桃忌」と名付けられました。 桜桃忌には、太宰の墓所がある三鷹市禅林寺に多くの人が訪れます。 名前にちなんで、太宰の墓には大量のさくらんぼが供えられるそうです。 著者:太宰治について• 無頼(ぶらい)派作家• 自殺を3度失敗• 青森の大地主の家に生まれた• マルキシズムの運動に参加するも挫折した 太宰治は、坂口安吾(さかぐち あんご)、伊藤整(いとう せい)と同じ「無頼派」に属する作家です。 前期・中期・後期で作風が異なり、特に中期の自由で明るい雰囲気は、前期・後期とは一線を画しています。 実家がお金持ちだった太宰は、成長するにつれて地主の家の子であることに後ろめたさを感じるようになります。 そして社会主義の運動をするも挫折し、その心の弱さから自殺未遂を繰り返しました。 『桜桃』のあらすじ 主人公の「私」は、子育てや家事に一切関与しない人物で、すべて妻が引き受けていました。 あるとき、妻の不満が爆発し、2人は口論になってしまいます。 妻が外出するため、私は家で子供の面倒を見なくてはなりませんでしたが、私は妻と子供を残して外に飛び出してしまいます。 登場人物紹介 私 主人公。 小説家で、極端な小心者。 執筆ペースが遅いうえに、家事を一切手伝わない。 妻 無口で内向的な性格。 夫婦揃ってお互いが傷付くのを恐れているため、子どもの世話を手伝わない夫に対しての不満を表面に出さないようにしている。 『桜桃』の内容 親失格、亭主失格、人間失格 涙の谷 主人公の「 私」は 妻と幼い3人の子供と暮らしています。 2人は、下男下女(げなんげじょ。 住み込みで家事の手伝いをする人)のように子供を支えることに大忙しです。 そのため、「子供を大切にしたい」と考えてみても、私は親の方が子供より弱い立場にいると感じてしまいます。 私は、家庭ではいつも冗談を言って、場を取り持っています。 どれだけ心が苦しくても、体が辛くても、楽しい雰囲気を作ることに尽力します。 しかし、一人になった途端、急に不安になって自殺のことを考えるほど憂鬱な気分になってしまいます。 これは、生真面目な性格により、気まずい場の空気に耐えられないからです。 一方で、夫婦は互いに相手に対して不満があることを知ってます。 知っていながら、重い空気にならないように、表面上は上手くいっているかのように取り繕っているのです。 私は家事も子守に無頓着で、布団すら自分で上げません。 子供と関わるのは冗談を言うときだけで、役に立つことは何もできないので、全て妻に任せっぱなしです。 一方で仕事(執筆活動)はほとんど進まず、家庭の外に「女友達」を作る始末です。 加えて、彼らは子供に関して問題を抱えています。 それは、4歳の長男がまだ言葉を理解でせず、ハイハイしかしないことです。 夫婦は、「この子が障害を持っているのではないか」という問題から目を背けて話題にするのを避けています。 こうした不安や、小説を書く時の苦痛から逃れるために、私はやけ酒をします。 さらに小心者の私は、押しに弱いので言い負かされることが多いです。 そして襲ってくる不快感が、やけ酒を助長します。 表面化した仲違い ある日、お互いに触れてこなかった家庭の亀裂が表面に現れそうになりました。 私は、子供の世話という負担を減らすために、誰かを雇うことを提案しました。 これに対して、妻は「来てくれる人がいない」と言います。 それを聞いた夫はつい、「それは妻が人を使うのが下手だからだ」というようなことを言ってしまいました。 そして気まずい雰囲気に耐えられなくなった私は、「今夜中に書き上げないといけない原稿がある」と、部屋に逃げようとします。 しかしその夜、妻は重病の妹の見舞いに行く予定でした。 そうなると、私が子供の面倒を見なければなりませんが、育児参加していない私に子守などできません。 仕事部屋に入った主人公は、家族の生活費となる原稿料が入っている封筒を手に取り、外に出ました。 家庭内のややこしい問題から逃げ、子守の責任を放棄したのです。 桜桃 逃げた私は、馴染みの酒場に向かいました。 酒場には「女友達」がいます。 私が夫婦喧嘩で逃げてきたと経緯を説明すると、彼女は桜桃を出してくれました。 「普段は子供たちに贅沢なものなど食べさせないので、もしかしたら彼らは桜桃を見たことすらないかもしれない」と私は思いました。 持って帰ればさぞ喜ぶはずです しかし、私は1人で黙々と食べ始めました。 不味そうに食べては、種を吐き出すことの繰り返しです。 弱い自分を正当化するかのように、「子供より親が大事」と心の中で呟きました。 『桜桃』の解説 「私」は太宰 『桜桃』を執筆した当時、太宰には7歳の長女、4歳の長男、1歳の次女の3人の子供がいました。 次女が後年、 長男にはダウン症による知的・行動障害があったことを明かしていて、作中の長男の様子は、長男の様子を元にしたものだと言われています。 ダウン症の原因が判明し、WHOがダウン症を正式名称として設定したのは、『桜桃』が発表された時よりも後の出来事です。 そのため、長男に適切な診断とアドバイスができる医師はいませんでした。 太宰は、息子が原因不明の未知の病気にかかっているかもしれないということに、不安と恐怖を感じていました。 彼は『桜桃』を発表した次の月に、愛人と入水自殺します。 結核を患ったことや、長男の障害の重さにショックを受けたことが原因になったのではないかと言われています。 太宰の実人生の強い影響を受けた作品だと言えます。 桜桃 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。 最後の一文です。 「食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き」と繰り返し言われています。 この描写から、桜桃は親と子供の象徴なのではないかと思いました。 種を包む実が親で、包まれる種が子供です。 子供は種からできる、という風に考えてもいいと思います。 その種=子供をぺっぺと吐き出す様子は、子供に対して良い感情を持っていないことを表しています。 子供を表面上は可愛がってはいるけど、一定の距離を保っているという「私」の生き方にのっとった行動だと言えます。 『桜桃』の感想 新しい考え方の持ち主 太宰の小説を読むと、「他の小説家とは一味違うな」と感じることが度々あります。 今回の場合は、男性の育児参加についてです。 この小説が書かれたのは1948年で、まだ「男が働き、女が家庭を守る」という男女分業の考え方が主流だった時代です。 そんな中で、家庭での仕事に参加していないことを悪く思う男性はどれくらいいたでしょうか? そんなことは当たり前で、 妻が掃除をし、給仕をし、家族のために尽くすように働くのは当然だと思っていた人がほとんどだったのではないかと私は思います。 一方で、「私」は家庭での役割を果たしていないことに引け目を感じています。 そもそも作家活動もまともにできていないので、当時の男性としての最低限の責任すら果たせていない状態ですが、むしろそのことがネックとなって「金も稼げないのに家庭のこともできない=罪意識」という思考になっているのかもしれません。 他の同時代の作家の作品を読んでも、妻が働く様子を観察するだけ・眺めるだけの描写が見受けられ、そこに対して何か言及するような動きはあまりありません。 後述する「子供より親が大事」という主張もユニークですが、 常識を問うような視点を持っているという意味で、先進的な考えが展示されている小説だと思いました。 相変わらずのクズっぷり 酒や薬物に身を投じて、ひと時の快楽や現実逃避と引き換えに心身を崩壊させ、その依存から抜けられない悪循環に陥っていき、借金に首が回らなくなる、というのが太宰の描く男性の典型パターンです。 本作の主人公は、気が小さくて他人に何も言えない節があるので、心情を表に出さないように押し殺しています。 そして発散の仕方が分からず、酒や女という身を亡ぼすものにはまっていくのです。 これらの描写は、『人間失格』にも当てはまります。 今回はそこまでではありませんが、それでもわずか10ページで主人公の無能さが前面に出ています。 根源は、太宰が「陽キャを装ったド陰キャ」だったところにありますが、それにしても本当に太宰の描く男性は打たれ弱いなと思います。 親のあり方 「子供より親が大事、と思いたい」という一文にはいろいろな意見があると思います。 「その通り」と思う人もいるし、「そんなの親じゃない!」「子供は宝じゃないか!」と思う人もいると思います。 「私」は、一般的に言われる「子供が大事」とは真逆の考えを持っています。 彼の心の弱さから来るものなのでしょうが、私は斬新で面白いと思いました。 世の中の親は、親としての顔だけでなく、1人の女として、1人の男としての顔も持っていいのではないかと思うからです。 キャリアをあきらめたり、余暇を犠牲にしてまで子供に尽くすことに、私は疑問を感じてしまいます。 自分を殺して子供を優先すると、子供に「厄介者」というレッテルを張ってしまう危険性があると思うからです。 子供を大切にするためにも、まずは親の自分を大切にする方が重要なのではないかと思います。 社会に蔓延している(と思われる)「献身的な親が良い」という考えは捨てた方がいいのではないでしょうか。 『桜桃』の主人公のような育児不参加では問題ですが、自分のことも労わりながら、無理のない子育てする親になりたいと思えた小説でした。 『桜桃』の読書感想文のヒント• 「性別役割分業」と結びつけて考える• 主人公の立場に立って、その不安の内容を考察する• 主人公の親としての在り方に対して、自分の意見を述べる 作品を読んだうえで、5W1Hを基本に自分のなりに問いを立て、それに対して自身の考えを述べるというのが、1番字数を稼げるやり方ではないかと思います。 感想文のヒントは、上に挙げた通りです。 ネットから拾った感想文は、多少変えたとしてもバレるので、拙くても自力で書いたものを提出するのが良いと思います。 最後に 今回は、太宰治『桜桃』のあらすじと内容解説・感想をご紹介しました。 「わずか10ページ、されど10ページ」という印象を持ったほど、個人的に考えることが多い作品でした。 私は「子供より親が大事」にある程度賛同してこの記事を書きました。 親のエゴと受け取るか、親の自由と読むのか、意見が分かれる小説だと思います。

次の

人間失格って映画にダウン症の子が出るって書いてたんですがダウ...

太宰 治 子供 ダウン症

太宰治の結婚相手の名前は、石原美知子さん では、 太宰治の結婚歴や、 妻や子供の名前、職業といった事に関して、 順番に見ていきましょう。 太宰治は、 昭和13年 1938 に、 のちに妻となる、 旧姓、 石原美知子さんと出会います。 妻との出会いは、 太宰治と交友のあった、 先輩作家である井伏鱒二が、 取り持ったというのが、 きっかけです。 太宰治は、 のちの妻、石原美知子さんと、 昭和13年 1938 に出会い、 翌年に、 杉並区荻窪の井伏鱒二の自宅で、 結婚式をあげています。 太宰治の妻の年齢は? 父親は地質学者で出身地は? 太宰治の妻は、 太宰治よりも 3歳年下です。 結婚当時の年齢は、 太宰治が30歳で、 妻・石原美知子さんが27歳でした。 太宰治の妻、 石原美知子さんの実家や、 経歴について簡単に整理してみましょう。 太宰治の妻、 石原美知子さんは、 出身地が山梨県で、 父親が地質学者であり、 石原初太郎さんという人物です。 太宰治の妻の学歴と、職業は? 太宰治の妻となる、 石原美知子さんは、 東京女子高等師範学校という、 当時の女子教育では、 最高峰の学校へ進学しています。 現在の、 お茶の水女子大学です。 当時は、 お金持ちやエリート家庭の、 娘さんが、 学ぶ学校として有名でした。 太宰治の妻、 石原美知子さんは、 東京女子高等師範学校を卒業すると、 地元山梨の女学校で地理の教員をしていました。 とても教養豊かな、 女性だったようです。 太宰治の子供は何人? そして、 太宰治の子供について、 話題を進めていきましょう。 はじめに、 太宰治の子供は何人か、 といったことを、 整理しておきます。 太宰治の子供は、 4人です。 娘が3人、息子が1人です。 妻・石原美知子さんとのあいだの、 子供は3人で、 のこりの1人が、 太田静子さんとのあいだの子供です。 太宰治の家族を、家系図で整理 では、 太宰治の子供について、 順番に見ていきます。 太宰治の家族構成を、 家系図で整理すると、 このようになります。 子孫に政治家も? 太宰治の子供について、 順番に見ていきましょう。 長女の名前は、 津島園子さん。 元大蔵官僚で、 自民党の衆議院議員で厚生大臣までつとめた、 津島雄二さんと結婚しています。 そして、 その長男 太宰治の孫 の、 津島淳さんは、 やはり 衆議院議員をしています。 太宰治の子供、 津島園子さんの家族を家系図で、 確認すると、 このようになります。 ・津島雄二 旭日大綬章 レジオンドヌール勲章 昭和5、志摩亮平長男 東大法学部卒 大蔵省大臣官房参事官 衆議院議員(11期)、厚生大臣 弁護士 妻・園子 昭和16、太宰治長女 長男・淳 昭和31 学習院大文学部卒 衆議院議員 太宰治の息子 長男 の、名前は正樹さん それから、 太宰治の息子についてです。 太宰治には、 息子は一人います。 名前は正樹さんといいました。 太宰治さんの、 息子の正樹さんは、 病弱だったようで、 15歳でなくなってしまいました。 太宰治の二女・津島祐子は有名な作家 それから、 太宰治の娘といえば、 もっとも有名なのが、 次女の津島祐子さんです。 太宰治の次女、 津島祐子さんは、 小説家であり、 国際的な評価が高い 日本人の小説家の一人でした。 本名は、 津島里子さんといいましたが、 ペンネームの津島祐子さんという名前が、 有名ですね。 ・津島佑子(本名・津島里子) 昭和22、太宰治二女 白百合女子大英文科卒、明大大学院英文学専攻中退 作家 太宰治のもう一人の子供の名前は、太田治子さん そして、 太宰治のもう一人の娘である、 太田治子さんも、 太宰治の子供、としては有名な方です。 昭和22年 1947 に生まれました。 母親の太田静子さんは、 太宰治の傑作『斜陽』の主人公である、 かず子のモデルとなった女性です。 太田静子さんの家系も、 太宰治の実家と同じように、 名家に連なる家系であり、 叔父は元逓信次官の大和田悌二氏です。 太田治子さんの名前の、 「治」の字は、 太宰治の名前から、一字とったものです。 太宰治の娘である、 太田治子さんは、 明治学院大学文学部で、 英米文学を専攻し、 小説家としてデビューします。 直木賞候補にまでなった、 とても筆力のある小説家であり、 文学の才能を、 父親から受け継いだ、 といった評価もされています。 今回は、 作家・太宰治の 「結婚歴は?嫁はどんな人?子供は何人?娘や息子の名前は?子孫は政治家で衆議院議員?家族と家系図は?」 といった事柄について、 見ていきました。 最近の投稿• アーカイブ アーカイブ カテゴリー• 1,732• 131• 142• 971• 111• 145• 204• 87 メタ情報•

次の