韓国 徴用工。 徴用工問題での日本の「報復措置」に戦々恐々の韓国(辺真一)

徴用工問題は解決済みではない。日本の主張の問題点とは!?

韓国 徴用工

徴用工訴訟問題(ちょうようこうそしょうもんだい)とは、中日本の統治下にあった朝鮮および中国での日本企業の募集やにより労働した元労働者及びその遺族による訴訟問題。 元労働者は奴隷のように扱われたとし、現地の複数の日本企業を相手に多くの人が訴訟を起こしている。 韓国で同様の訴訟が進行中の日本の企業は、、、など70社を超える。 10月30日、韓国の最高裁にあたるは(現)に対し韓国人4人へ1人あたり1億ウォン(約1000万円)の損害賠償を命じた。 日本のへの補償について、韓国政府はので「解決済み」としてきたが、大法院は日韓請求権協定で個人の請求権は消滅していないとしたため、日本政府は日韓関係の「法的基盤を根本から覆すもの」だとして強く反発した。 首相は「本件は1965年(40年)の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決している。 今般の判決はに照らしてあり得ない判断だ。 日本政府としては毅然と対応する」と強調した。 日韓請求権協定には、両国に紛争が起きた際は協議による解決を図り、解決しない場合は「仲裁」という手続きが定められている。 日本政府はこの手続きにより解決しない場合、への提訴も視野に入れている。 呼称 [ ] 首相は(30年)11月1日、でこれまでが使ってきた「」という表現をやめて、今後は「旧朝鮮半島出身労働者」という表現を使うと明らかにした。 安倍首相は「当時、国家総動員法 制定 の下、には募集、官斡旋、徴用があった」として、2018年10月30日のでの原告4名はいずれも「募集」に応じた人たちとした。 韓国政府はが施行された後に動員されたすべての労働者を「強制動員被害者」と認定している。 徴用工訴訟の経緯 [ ] 韓国人慰安婦・サハリン残留韓国人・韓国人原爆被害者の対日補償要求(2005年) [ ] 日本国に対して新たな賠償請求を主張しだした大統領 韓国政府や韓国メディアは、戦後補償について「完全かつ最終的に解決した」と、のを当時韓国国民に積極的に周知を行うことがなかったため、民間レベルではその後も日本政府への戦後補償を求める訴えや抗議活動を行い続けていた。 のちに戦後補償がこの協定により完全解決していることは、政府レベルでは韓国側議事録でも確認され、日本政府もこの協定により日韓間の請求権問題が解決したとしてきたが 、の政権から、韓国政府は、、韓国人原爆被害者の問題については日韓請求権協定の対象外だったと主張し始めた。 また2005年4月21日、韓国の与野党議員27人が、1965年のが屈辱的であるとして破棄し、同時に日本統治下に被害を受けた個人への賠償などを義務付ける内容の新しい条約を改めて締結するよう求める決議案を韓国国会に提出するとともに、日韓両政府が日韓基本条約締結の過程を外交文書ですべて明らかにした上で韓国政府が日本に謝罪させるよう要求した。 日韓会談文書公開直後の2005年8月に韓国は「韓日会談文書公開の後続対策官民共同委員会」を設け、日韓請求権協定は両国の財政的・民事的債務関係を解決するためのもので、反人道的違法行為は解決されたわけではないとの公式立場を表明した。 その一方で、日韓請求権協定を通じ日本から受け取った3億は、個人財産権と強制動員被害補償問題解決の性格を帯びた資金などが包括的に勘案されたとみるべきであるため、政府が相当額を被害者救済に使わなければならない道義的責任があると、あいまいな立場を堅持した。 これを基に韓国政府は、「太平洋戦争強制動員犠牲者支援法」を制定し、から人道的レベルで苦痛を慰労するとの名目で、未払い賃金被害者らに1円当たり2,000に換算して慰労金を支給している。 しかし、被害者らは物価上昇分が十分に反映されていない上、日本であれ韓国政府であれ加害者の謝罪がないと反発し、一部は受け取りを拒否している。 韓国政府が元徴用工の対日補償請求はできないと表明(2009年) [ ] 8月14日、ソウルは、大韓民国が裁判所に提出した書面を通じ「日本に動員された被害者(未払い賃金)供託金はを通じ、日本から無償で受け取った3億ドルに含まれているとみるべきで、日本政府に請求権を行使するのは難しい」と明らかにした。 韓国政府がこのような見解を示したのはに日韓請求権協定が締結されて以降、初めてになる。 韓国政府は過去数十年間この問題に対し戦略的にあいまいな態度を示してきたが、外交通商部のこの表明は旧朝鮮半島出身労働者らに還付されるべき賃金を韓国が日本から代わりに受け取り、韓国国民個人の権利を消滅させたことを公式に認めたものとなった。 日本のは終戦翌年の、日本企業に対して朝鮮人に対する未払い額を供託所に供託するよう指示しており、ソウル行政裁判所は、2009年8月現在、日本に供託形態で保管されたままとなっている韓国・朝鮮人への不払い賃金額は、強制動員労務者2億1500万円、軍人・軍属9100万円などで総額3億600万円となっているとした。 韓国大法院、日本企業の徴用者に対する賠償責任を認める(2012年) [ ] 詳細は「」を参照 韓国政府は元の対日補償請求はできないと表明していたが、韓国は5月23日、時の日本企業による徴用者の賠償請求を初めて認めた。 元徴用工8人がとを相手に起こした損害賠償請求訴訟の審で、原告敗訴判決の原審を破棄し、原告勝訴の趣旨で事案をそれぞれ釜山高法とソウル高法に差し戻した。 韓国大法院は「に締結されたは日本の支配の賠償を請求するための交渉ではないため、が犯した反人道的不法行為に対する個人の損害賠償請求権は依然として有効」とし、「消滅時効が過ぎて賠償責任はないという被告の主張は信義誠実の原則に反して認められない」と主張した。 また、元徴用工が日本で起こした同趣の訴訟で敗訴確定判決が出たことに対しても、「日本の裁判所の判決は植民地支配が合法的だという認識を前提としたもので、強制動員自体を不法と見なすの核心的価値と正面から衝突するため、その効力を承認することはできない」と主張した。 相次ぐ元徴用工と遺族による裁判 [ ] 韓国の下級裁判所では元と元徴用工の遺族が日本企業3社 、、 に損害賠償を求める裁判を相次いで起こしている。 2月、の機械メーカー不二越による戦時中の動員に対して、強制動員被害者13人と遺族が計17億ウォン(約1億5000万円)の賠償を求める訴訟をソウル中央地裁に起こした。 2013年3月、(現)の()と()に強制動員された元朝鮮人労務者ら8人が、(現新日鐵住金)に8億ウォン(約7000万円)支払いを要求してソウル中央地裁に損害賠償請求訴訟をおこした。 2013年7月10日、ソウル高裁は判決で新日鉄住金に賠償を命じたが、その後新日鉄住金は上告した。 は「日韓間の財産請求権の問題は解決済みという我が国の立場に相いれない判決であれば容認できない」とコメントした。 2013年11月8日にソウルで行われた日韓外務次官級協議では、日本ののが韓国の外務第1次官である(キム・ギュヒョン)に対し、元徴用工問題で韓国で日本企業の敗訴が確定した場合、に基づき韓国側に協議を求める方針を伝えた。 また韓国側が協議に応じなかったり、協議が不調に終わった場合はへの提訴のほか、第三国の委員を入れた処理を検討すると表明した。 12月24日現在、確認されただけで係争中の裁判が13件あり、このうち5件で日本企業側に損害賠償を命じる判決が出ており、3件が韓国大法院の判断を待つ状態になっている。 韓国憲法裁判所、「日韓請求権協定は違憲」の訴えを却下(2015年) [ ] 韓国は12月23日、に締結されたは違憲だとする元の遺族の訴えを審判の要件を満たしていないとして却下した。 原告である元徴用工の遺族は、韓国政府による元徴用工への支援金支給の金額の算定方法や対象範囲を不服として、支給を定めた韓国の国内法と日韓請求権協定が財産権などを侵害しているとし、韓国の憲法に違反していると告訴していた。 韓国憲法裁判所の決定は国内法の不備を認めず、支援金支給に関して日韓請求権協定が「適用される法律条項だとみるのは難しい」とした。 また日韓請求権協定が仮に違憲であっても原告の請求には影響しないとし、審判の要件を満たしていないと却下した。 中国で三菱マテリアルによる謝罪と賠償による和解(2016年) [ ] 、と日本は、国交正常化においてを発表、中国は「日中両国民の友好のために、日本に対する戦争賠償の請求を放棄する」と宣言した。 6月1日、中国人による請求訴訟において、はと一人当たり10万(約170万円)の支払いを行う内容で、で原告とを行った。 総額で約64億円となり後最大規模の和解となった 韓国下級裁判所における判決 [ ] 8月23日、ソウル中央地方裁判所は新日鉄住金に対し元遺族らに計約1億ウォン(約890万円 の支払いを命じる判決を出した。 2016年8月25日、ソウル中央地方裁判所は三菱重工業に対し元徴用工遺族ら64人に被害者1人あたり9000万ウォン(約800万円)ずつ賠償するよう命じる判決を出した。 2016年11月23日、ソウル中央地方裁判所はに対し元の5人に1人あたり1億ウォン 約950万円 の支払いを命じる判決を出した。 大法院及び法院行政所 [ ] 韓国はまでの約5年間訴訟について判決を出していなかったが、2018年に韓国の検察当局は政権期に大法院が大統領府や外交省と協議し故意に判決を先送りしてきた疑いがあるとし法院行政所の元幹部などを起訴。 2018年12月3日には職権乱用などの容疑で当時(最高裁判事)だった朴炳大の逮捕状をソウル中央地裁に請求したが 、ソウル中央地裁は12月7日に逮捕状の請求を棄却した。 大法院が新日鉄住金に対し損害賠償を命じる(2018年) [ ] 10月30日、韓国の最高裁にあたるは差し戻し審で(現)に対し韓国人4人へ1人あたり1億ウォン(約1000万円)の損害賠償を命じた。 徴用工訴訟において大法院で結審したのは初めて。 これにより、新日鉄住金の韓国内の資産差し押さえの可能性がでてきた。 韓国で同様の訴訟が進行中の日本の企業は、、、など70社を超えており 、この判決以降韓国の政府機関や支援する財団に「訴訟を起こしたい」という問い合わせの電話が鳴り止まない状況が続いている。 2018年10月30日の大法院の判決では提訴期限の基準を示しておらず控訴審の裁判所の判断は分かれている。 韓国側は提訴期限の起算点を、(国交正常化時)、8月(韓国が請求権協定に関する見解を表明した時)、5月(大法院が個人的請求権に関する判断を行った時)、2018年10月(大法院が損害賠償を命じる判決を行った時)などを想定しており、で全て解決済みだとする日本との損害賠償訴訟をめぐる新たな争点として浮上している。 韓国政府に対する集団訴訟 [ ] 12月、戦時中に日本企業に徴用されたとする韓国人とその遺族が、ので日本政府から3億ドルの無償支援を受け取った韓国政府に補償責任があるとして、韓国政府に対して1人当たり1億ウォン(約1千万円)の補償金の支払いを求める集団訴訟を提起することが明らかになった。 日本の対応 [ ] 11月1日、は日本政府に対しに基づく協議や仲裁の速やかな開始を韓国に申し入れるよう求める決議をまとめた。 原告代理人弁護士が新日鉄住金本社へ [ ] 2018年11月12日、原告代理人の韓国人弁護士がの本社に入館しようとしたが、から遺憾の意を伝達され出入りを阻止された。 原告代理人弁護士は、2018年12月4日にも再び新日鐵住金本社を訪れたが、面会を拒まれたため、社長に対する要請書を受付に残して帰ったのち、でを開き、の手続を開始する用意があることを明らかにした。 同月には日本のの長が大韓民国を訪れ、差し押さえに対する遺憾の意を伝えると共に問題の解決に向け協議を行った。 日韓請求権協定に基づく日本政府の対応 [ ] 韓国政府は司法の判断には介入できないとの立場で、で解決済みとする日本政府との間で協議が全く進展しないため、1月9日日本政府は日韓請求権協定に基づく2国間協議を韓国政府に要請した。 しかし韓国政府は、司法がの個人賠償請求権は日韓請求権協定の効力範囲に含まれないとしているとして全く応じないため、5月20日日本政府は日韓請求権協定に基づき日韓と第三国の委員を加える形式による仲裁委員会開催を要請。 これにも応じないため、6月19日第三国に委員の人選を委ねる形式の仲裁委員会開催を要請。 1ヵ月後の7月18日に第三国を選定する期限が来ても韓国政府は応じなかった。 現在、日本政府は韓国に対し国際法を遵守するよう強く要請している。 個人請求権の解釈 [ ] の(日韓請求権協定)によって日韓の財産及び請求権問題に関するが放棄されていることについては異論がない。 日本政府は条約締結以降、請求権協定によって日韓の請求権問題は個人請求権も含めて終局的に解決されたという立場を維持している。 逆に韓国政府は条約締結以降頃までは請求権協定によって個人請求権が消滅したという立場であったが、その立場を変遷させ2000年には韓国において放棄されたのは外交保護権であり個人の請求権は消滅していないとの趣旨の長官の答弁がなされるに至った。 旧朝鮮半島出身労働者の訴訟は当初で争われたが、は日本における韓国民の財産請求権は「日韓請求権協定協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」(財産措置法) により消滅しているとし、個人請求権を認めなかった。 そのため、今度は韓国の裁判所で争われるようになった。 10月30日、韓国のはの個人賠償請求権を認め、裁判官の多くがの個人賠償請求権はの効力範囲に含まれないと判断した。 韓国の対日請求に関する問題には、訴訟のほか、、、韓国人原爆被害者の問題、がある。 日本政府 [ ] 日本政府は、のについてその締結の当初から個人請求権は消滅していないと解釈していた。 日韓請求権協定締結時の外務省の内部文書には日韓請求権協定第二条の意味はを行使しないと約束したもので、個人が相手国に請求権を持たないということではないと書かれていた。 このような日本政府の解釈は日韓請求権協定締結前から一貫したものであった。 というのも、やの被害者が、日韓請求権協定に先立って締結されたやの請求権放棄条項により賠償請求の機会を奪われたと主張し、日本に補償を求める訴訟を提起したからである。 この訴訟において、日本はそれらの請求権放棄条項によって個人の請求権は消滅しないから、賠償請求の機会は奪われていないと主張した。 韓国との関係に関しても戦後韓国に残る資産を失った日本国民が韓国に対して訴訟を提起する可能性があるため、日本は当初から請求権放棄条項によっては個人の請求権は消滅しないという立場に立っていた。 請求権協定締結の1年後であるに、協定の交渉担当者の外務事務官は、協定で放棄されるのは外交保護権にすぎないから、日本政府は朝鮮半島に資産を残してきた日本人に補償責任を負わないと解説した。 8月27日、条約局長がで、「(日韓請求権協定は)いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない。 日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができないという意味だ」と答弁したため 、それ以降韓国の個人請求権を根拠にした日本への訴訟が相次ぐようになった。 2月26日、柳井は、請求権協定2条3項により「国及び個人の財産、権利及び利益に対する措置」及び「請求権」に対する外交保護権が消滅したと答弁した。 そしてこの「財産、権利及び利益」は協定時の合意議事録で「法律上の根拠により実体法的価値を認められるすべての種類の実体的権利」であることが合意されていて、条約が直接外交保護権を消滅させた「請求権」は実体法上の根拠のないクレームに過ぎないと述べた。 そして、実体法上の根拠がある「財産、権利及び利益」についてはそれ自体の外交保護権が放棄されたわけではないものの、「財産、権利及び利益に対する措置」として国内法たる1965年の「財産措置法」 によって韓国民の財産権は消滅していることを明らかにした。 さらに、1992年3月9日の予算委員会において柳井は「請求権の放棄ということの意味は外交保護権の放棄であるから、個人の当事者が裁判所に提訴する地位まで否定するものではない」と答えた。 また、のは「外交保護権についての定めが直接個人の請求権の存否に消長を及ぼすものではない」とし、「訴えた場合にそれらの訴訟が認められるかどうかまで裁判所が判断する」と述べた。 5月26日の予算委員会 外務省条約局長答弁では 、日本国内においては韓国民の「財産、権利及び利益」は日韓請求権協定の請求権放棄条項及び日韓請求権協定を日本国内で施行するための財産措置法によってのみならず実体的にその権利も消滅しているが、「請求権」は外交的保護権の放棄ということにとどまり個人の請求権を消滅させるものではないとしている。 ただ、請求権につきましては、外交的保護の放棄ということにとどまっておる。 個人のいわゆる請求権というものがあるとすれば、それはその外交的保護の対象にはならないけれども、そういう形では存在し得るものであるということでございます。 に参議院に提出されたの答弁書でも、同条約を受けて日本国内で成立した財産措置法によって請求の根拠となる韓国国民のは国内法上消滅した。 この財産措置法で消滅しているのは韓国民の財産権のみであるから、日本と外国との請求権放棄条項により日本政府が日本国民より賠償請求の機会を奪われたとして訴訟を提起されることはない。 また、日韓請求権協定に伴う財産措置法は外交保護権の放棄により韓国から外交ルートで抗議されることもない。 実際に日本の裁判所で争われた旧大阪訴訟において、は11月19日の判決で協定の国内法的措置である財産措置法による財産権消滅を根拠に一審原告のを棄却している。 この裁判はその後を棄却され確定した。 しかし、旧朝鮮半島出身労働者の韓国での訴訟については、韓国は日本の財産措置法を準拠法としていないので 、韓国の裁判所ではこれを適用していない。 1990年代後半には日本政府に一部不利な判断が出るようになったため 、日本政府は次第に戦後補償は請求権放棄条項で解決済みであるとの主張をするようになった。 日韓請求権協定に関しても韓国人個人の請求権も含め協定によって一切解決済みとの立場を取っている。 現在の日本政府の見解は、旧朝鮮半島出身労働者の損害賠償請求権についての実体的権利は消滅していないが、これを裁判上訴求する権利が失われたというものになっている。 ただし、日本政府の立場を肯定した の判決は、司法上の救済はできないとする一方で被害者救済に向けた関係者の自発的努力を促した。 これを受けて、西松建設は実際に被害者に対する謝罪と賠償を行った。 この2007年の最高裁判決は、判断を左右する条約解釈上の対立点に関する日本政府の立場を肯定しつつ、同時に被害者救済の必要性を指摘している。 韓国政府 [ ] 一方の韓国は締結当初は協定によって個人の請求権が消滅したとの立場に立っていた。 そもそも韓国政府は日韓請求権協定締結前の交渉において、の未払金及び補償金は国内措置として韓国側で支払うので日本側で支払う必要はないと主張していた。 しかし、日本の条約局長による答弁が大きく報道され日本で個人の請求権を主張する訴訟なども提起されたため、日本では個人請求権は外交保護権放棄条項に含まれていないことが広く知られるようになる。 すると韓国はその立場を変遷させ、に韓国においても放棄されたのは外交保護権であり個人の請求権は消滅していないとの趣旨の長官答弁がなされるに至った。 また韓国政府はに官民共同委員会において日韓請求権協定の効力範囲問題を検討し、支配賠償金や等の日本政府の国家権力が関与した反人道的不法行為については請求権協定によっては解決しておらず日本政府の法的責任が残っていると結論した。 ただし、徴用工については同委員会は明示的に日韓請求権協定の効力範囲外に位置付けず、請求権協定によって日本から受け取った資金に韓国政府が強制動員被害者に対する補償問題を解決するための資金が包括的に勘案されているとし、韓国政府は受け取った資金の相当額を強制動員被害者に使用すべき道義的責任があると判断した。 旧大阪訴訟においては、前述のように日韓請求権協定には韓国民の財産権を消滅させた財産措置法があるため、韓国政府が日本から受け取った資金を充てるか否かの判断の対象にならなかった。 しかし、日本の国内法である措置法の効力が及ばない韓国ではこれらの点が大きな争点になった。 大法院 [ ] 賠償義務判決は5月の大法院で初めて出され、によると当時の判事であったが「建国する心情で判決を書いた」と語ったという。 10月30日の韓国判決の多数意見は、の個人賠償請求権はの効力範囲に含まれないと判断した。 14人の裁判官の内3人の個別意見は、徴用工の個人賠償請求権は請求権協定の効力範囲に含まれるが、両国間で外交上の保護権が放棄されたに過ぎないとした。 この中でについても言及し、個人損害賠償請求権の放棄を明確に定めたサンフランシスコ平和条約と「完全かつ最終的な解決」を宣言しただけの請求権協定を同じに解することは出来ないとしている。 また、2人の裁判官の反対意見は、徴用工の個人賠償請求権は請求権協定の効力範囲に含まれ、かつ、請求権協定によって日韓両国民が個人損害賠償請求権を裁判上訴求する権利が失われたとした。 その意見によれば、個人損害賠償請求権自体は消滅していないものの、日韓請求権協定によって外交上の保護権が放棄されただけでなく、日韓両国民が個人損害賠償請求権を裁判上訴求する権利も制限されたため、個人損害賠償請求権の裁判上の権利行使は許されないとのことである。 今回の判決は「原告の損害賠償請求権は、日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する 慰謝料請求権である」とし 、従って「原告が被告に対して主張する損害賠償請求権は、請求権協定の適用対象に含まれると見ることはできない」としている。 その他 [ ]• 元判事で条約局の担当者としての交渉に参加したは、への寄稿で、当時の日本側関係者は請求権をめぐる問題について、韓国側との間でいかなる禍根も残さないことを考え交渉にあたったとする。 請求権協定は両国間及びその国民の間のその請求権に関する問題は「完全かつ最終的に解決」されており、「いかなる主張もすることはできない」と定めている。 これは請求権に関して、いずれの締約国でどのような根拠に基づいて請求しようとも、相手国及びその国民はこれに応じる法的義務はないことを規定したものであるというのが当時の条約起草者の意図であったとしている。 日本の企業に当時のを命ずるということは、協定の交渉経緯に反する解釈であり協定締結のために積み重ねられた日韓両国の関係者の努力を水泡に帰すものと言わざるを得ないとしている。 元大学教授で歴史家のは、この判決について「協定上、賠償金を支払う義務は全くない。 日本政府は経済政策の中で揺さぶりをかけ、韓国内での問題解決を迫るべきだ」「痛みを伴わずに問題を解決させる妙案はない。 現状では日本企業側が命じられた賠償は高額でなく、韓国内の資産差し押さえがあっても影響は限定的といえるため、企業側にも『我慢』が求められる。 個人請求権をなし崩しに認めてしまえば同様に請求権放棄が確認されている中国でも問題が再燃しかねない」と主張した。 元大阪府知事・元大阪市市長の弁護士は上記のような問題点を指摘した上で、結論としては日韓請求権協定によってもはや個人請求権は認められないとの考えを明らかにしている。 国際法の解釈 [ ]• が専門の は、請求権協定2条の解釈について、これまでの国際法の一般的解釈からすると個々の国民の権利や利益に関わるものを含めて全ての問題が包括的に解決されたと解釈でき、日本政府だけでなく、かつての韓国政府や、米国の政府及び裁判所も同じ立場だったとする。 また、に関する2010年代の一連の韓国裁判所の判断については、人権への考慮が他の価値とそれに関わる判断への考慮に優越して扱われるという流れに沿ったものではあるが、このような流れが拡大していくとそもそも国家間で条約を締結して問題を解決する意義が揺らいでしまうと指摘している。 国際法学者で名誉教授のは、外交上の保護権が失われた場合の司法救済の可否について、かつての日本政府の見解を前提とすれば韓国における司法的救済の可否は韓国の国内法の問題となる としている。 大学院教授でアジア学術総合センター長のは「韓国で請求権協定が無視される事態が続けば、両国間の戦後処理が全般的に崩壊するだろう。 政府間の対話で解決できる段階は過ぎた。 協定は解釈上の問題が生じた場合に仲裁機関を設置すると定めており、これを韓国側に提案し解決にあたるべきだ。 国際法の専門家が精査すれば、今回の判決に問題が多いことは十分に理解されるはず。 韓国内での政治情勢などに絡んで解決がさらに先延ばしにされる恐れもあり、日本側からの積極的な働きかけが必要だ」と述べた。 脚注 [ ]• 日本経済新聞 電子版. 2018年10月30日. 2018年11月2日閲覧。 中央日報 2018年11月1日. 2018年11月2日閲覧。 hankyoreh japan 2018年11月2日. 2018年11月3日閲覧。 聯合ニュース. 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新日鉄ソウル高等法院判決日弁連仮訳によれば本件差戻し控訴審判決はこの点を明確に指摘すると同時に、財産措置法を制定したこと自体が請求権協定で放棄されたのは外交保護権に過ぎず個人の請求権は消滅していないことの証左であると指摘している。 出石直「戦後補償訴訟における元徴用工問題と日韓関係」• 神前禎ほか「国際私法(第3版)」(有斐閣アルマ、2012年)、9頁で指摘されているように、裁判地によって準拠法が異なれば結論も異なる。 新日鉄ソウル高等法院判決日弁連仮訳によれば本件差戻し控訴審判決は旧日本製鉄大阪訴訟で準拠法が日本法とされ請求権協定及び財産措置法で権利が消滅したと判断されたことを認定しつつ、準拠法を日本法とすることを否定し、請求権協定の範囲のみを検討して財産措置法の適否は論じない。 山手治之「日本の戦後処理条約における賠償・請求権放棄条項 2 : 戦後補償問題との関連において」、89頁• 出石直「戦後補償訴訟における元徴用工問題と日韓関係」、33頁• 山手治之日本の戦後処理条約における賠償・請求権放棄条項 2 : 戦後補償問題との関連において• 山本晴太「日韓両国政府の日韓請求権協定解釈の変遷」• 朝日新聞デジタル「徴用工、首相「あらゆる選択肢を視野」政府の対応本格化」• 会計学者で東京大学名誉教授のが外務省に架電して政府見解を詳細に聴取し、その内容を自らの個人ブログで公表している。 山手治之「日韓請求権協定2条の解釈について(1)「• 最高裁2007年4月27日西松建設事件判決• 出石直「戦後補償訴訟における元徴用工問題と日韓関係」• は外務省が過去に日本人の戦後補償を否定するための理屈をこねていたことを政治家に説明すべきと指摘している。 もっとも五十嵐正博「日本の戦後補償と国際法」国際法外交雑誌105巻1号にその内容が詳細に引用されているように日本政府はその見解が一貫しているとする。 山本晴太「日韓両国政府の日韓請求権協定解釈の変遷」• 李洋秀「韓国側文書に見る日韓国交正常化交渉」• ただし、日本側には「日本は戦争中、東南アジア諸国から略奪したものや破壊したもなどについて賠償しようとしているが、日本は韓国ではそのような事実がないので、賠償することはないと思う。 もしあるなら賠償するだろう。 」という発言があり、これは被害者の損害賠償請求権が請求権協定で考慮されたことを否定する根拠となっている。 関本克良「国際法と国家の法的責任に関する考察 日本軍「慰安婦」問題と被害者の損害賠償請求権を焦点として• 金昌禄「韓日条約の法的位置付け ~いかに克服するか~」• 山本晴太「日韓両国政府の日韓請求権協定解釈の変遷」• 国務調整室報道資料日弁連仮訳• 国務調整室報道資料日弁連仮訳• ただし、日本政府の国会答弁では請求権協定の請求権問題と解決と無償支援との間には対価関係はなく、賠償の意味もないと説明されている。 五味洋治「徴用工判決で問われる「日韓国交正常化の闇」 韓国大法廷の判決文を熟読してわかったこと」• 出石直「戦後補償訴訟における元徴用工問題と日韓関係」• 新日鉄ソウル高等法院判決日弁連仮訳• 東亜日報 2018年10月30日• 山本ほか大法院判決仮訳• 朝日新聞GLOBE+「韓国人記者が見た元徴用工裁判」• 2018年12月19日読売新聞への寄稿「日韓の法的基盤骨抜きに」元最高裁判事福田博• プレジデントオンライン「橋下徹"徴用工問題、日本が負けるリスク"「法的ケンカ」の準備はあるか」• 大沼保昭、江川紹子著「「歴史認識」とは何かーー対立の構図を超えて」(中央公論社、2015年)、kindle841-870• 山手治之「日韓請求権協定2条の解釈について(1)「 関連項目 [ ]• - 一国の行政府が示した法令解釈を同じ国の最高司法府()が否定したこと、(行政府が関与せずに)外国法人と自国人との間で争われた訴訟であったこと、確定した判決の結果として外国法人が敗訴して自国人が勝訴したこと、など徴用工訴訟と多くの類似点がある、日本のによる確定裁判。 - 日本では前例を踏襲する司法消極主義であるのに対し、韓国では積極的に新しい判断を下す。 - 李宇衍(イ・ウヨン)研究員は強制動員よりも自主的に応募した朝鮮人が大多数と国連人権委員会で発言。

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徴用工問題での日本の「報復措置」に戦々恐々の韓国(辺真一)

韓国 徴用工

徴用工訴訟問題(ちょうようこうそしょうもんだい)とは、中日本の統治下にあった朝鮮および中国での日本企業の募集やにより労働した元労働者及びその遺族による訴訟問題。 元労働者は奴隷のように扱われたとし、現地の複数の日本企業を相手に多くの人が訴訟を起こしている。 韓国で同様の訴訟が進行中の日本の企業は、、、など70社を超える。 10月30日、韓国の最高裁にあたるは(現)に対し韓国人4人へ1人あたり1億ウォン(約1000万円)の損害賠償を命じた。 日本のへの補償について、韓国政府はので「解決済み」としてきたが、大法院は日韓請求権協定で個人の請求権は消滅していないとしたため、日本政府は日韓関係の「法的基盤を根本から覆すもの」だとして強く反発した。 首相は「本件は1965年(40年)の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決している。 今般の判決はに照らしてあり得ない判断だ。 日本政府としては毅然と対応する」と強調した。 日韓請求権協定には、両国に紛争が起きた際は協議による解決を図り、解決しない場合は「仲裁」という手続きが定められている。 日本政府はこの手続きにより解決しない場合、への提訴も視野に入れている。 呼称 [ ] 首相は(30年)11月1日、でこれまでが使ってきた「」という表現をやめて、今後は「旧朝鮮半島出身労働者」という表現を使うと明らかにした。 安倍首相は「当時、国家総動員法 制定 の下、には募集、官斡旋、徴用があった」として、2018年10月30日のでの原告4名はいずれも「募集」に応じた人たちとした。 韓国政府はが施行された後に動員されたすべての労働者を「強制動員被害者」と認定している。 徴用工訴訟の経緯 [ ] 韓国人慰安婦・サハリン残留韓国人・韓国人原爆被害者の対日補償要求(2005年) [ ] 日本国に対して新たな賠償請求を主張しだした大統領 韓国政府や韓国メディアは、戦後補償について「完全かつ最終的に解決した」と、のを当時韓国国民に積極的に周知を行うことがなかったため、民間レベルではその後も日本政府への戦後補償を求める訴えや抗議活動を行い続けていた。 のちに戦後補償がこの協定により完全解決していることは、政府レベルでは韓国側議事録でも確認され、日本政府もこの協定により日韓間の請求権問題が解決したとしてきたが 、の政権から、韓国政府は、、韓国人原爆被害者の問題については日韓請求権協定の対象外だったと主張し始めた。 また2005年4月21日、韓国の与野党議員27人が、1965年のが屈辱的であるとして破棄し、同時に日本統治下に被害を受けた個人への賠償などを義務付ける内容の新しい条約を改めて締結するよう求める決議案を韓国国会に提出するとともに、日韓両政府が日韓基本条約締結の過程を外交文書ですべて明らかにした上で韓国政府が日本に謝罪させるよう要求した。 日韓会談文書公開直後の2005年8月に韓国は「韓日会談文書公開の後続対策官民共同委員会」を設け、日韓請求権協定は両国の財政的・民事的債務関係を解決するためのもので、反人道的違法行為は解決されたわけではないとの公式立場を表明した。 その一方で、日韓請求権協定を通じ日本から受け取った3億は、個人財産権と強制動員被害補償問題解決の性格を帯びた資金などが包括的に勘案されたとみるべきであるため、政府が相当額を被害者救済に使わなければならない道義的責任があると、あいまいな立場を堅持した。 これを基に韓国政府は、「太平洋戦争強制動員犠牲者支援法」を制定し、から人道的レベルで苦痛を慰労するとの名目で、未払い賃金被害者らに1円当たり2,000に換算して慰労金を支給している。 しかし、被害者らは物価上昇分が十分に反映されていない上、日本であれ韓国政府であれ加害者の謝罪がないと反発し、一部は受け取りを拒否している。 韓国政府が元徴用工の対日補償請求はできないと表明(2009年) [ ] 8月14日、ソウルは、大韓民国が裁判所に提出した書面を通じ「日本に動員された被害者(未払い賃金)供託金はを通じ、日本から無償で受け取った3億ドルに含まれているとみるべきで、日本政府に請求権を行使するのは難しい」と明らかにした。 韓国政府がこのような見解を示したのはに日韓請求権協定が締結されて以降、初めてになる。 韓国政府は過去数十年間この問題に対し戦略的にあいまいな態度を示してきたが、外交通商部のこの表明は旧朝鮮半島出身労働者らに還付されるべき賃金を韓国が日本から代わりに受け取り、韓国国民個人の権利を消滅させたことを公式に認めたものとなった。 日本のは終戦翌年の、日本企業に対して朝鮮人に対する未払い額を供託所に供託するよう指示しており、ソウル行政裁判所は、2009年8月現在、日本に供託形態で保管されたままとなっている韓国・朝鮮人への不払い賃金額は、強制動員労務者2億1500万円、軍人・軍属9100万円などで総額3億600万円となっているとした。 韓国大法院、日本企業の徴用者に対する賠償責任を認める(2012年) [ ] 詳細は「」を参照 韓国政府は元の対日補償請求はできないと表明していたが、韓国は5月23日、時の日本企業による徴用者の賠償請求を初めて認めた。 元徴用工8人がとを相手に起こした損害賠償請求訴訟の審で、原告敗訴判決の原審を破棄し、原告勝訴の趣旨で事案をそれぞれ釜山高法とソウル高法に差し戻した。 韓国大法院は「に締結されたは日本の支配の賠償を請求するための交渉ではないため、が犯した反人道的不法行為に対する個人の損害賠償請求権は依然として有効」とし、「消滅時効が過ぎて賠償責任はないという被告の主張は信義誠実の原則に反して認められない」と主張した。 また、元徴用工が日本で起こした同趣の訴訟で敗訴確定判決が出たことに対しても、「日本の裁判所の判決は植民地支配が合法的だという認識を前提としたもので、強制動員自体を不法と見なすの核心的価値と正面から衝突するため、その効力を承認することはできない」と主張した。 相次ぐ元徴用工と遺族による裁判 [ ] 韓国の下級裁判所では元と元徴用工の遺族が日本企業3社 、、 に損害賠償を求める裁判を相次いで起こしている。 2月、の機械メーカー不二越による戦時中の動員に対して、強制動員被害者13人と遺族が計17億ウォン(約1億5000万円)の賠償を求める訴訟をソウル中央地裁に起こした。 2013年3月、(現)の()と()に強制動員された元朝鮮人労務者ら8人が、(現新日鐵住金)に8億ウォン(約7000万円)支払いを要求してソウル中央地裁に損害賠償請求訴訟をおこした。 2013年7月10日、ソウル高裁は判決で新日鉄住金に賠償を命じたが、その後新日鉄住金は上告した。 は「日韓間の財産請求権の問題は解決済みという我が国の立場に相いれない判決であれば容認できない」とコメントした。 2013年11月8日にソウルで行われた日韓外務次官級協議では、日本ののが韓国の外務第1次官である(キム・ギュヒョン)に対し、元徴用工問題で韓国で日本企業の敗訴が確定した場合、に基づき韓国側に協議を求める方針を伝えた。 また韓国側が協議に応じなかったり、協議が不調に終わった場合はへの提訴のほか、第三国の委員を入れた処理を検討すると表明した。 12月24日現在、確認されただけで係争中の裁判が13件あり、このうち5件で日本企業側に損害賠償を命じる判決が出ており、3件が韓国大法院の判断を待つ状態になっている。 韓国憲法裁判所、「日韓請求権協定は違憲」の訴えを却下(2015年) [ ] 韓国は12月23日、に締結されたは違憲だとする元の遺族の訴えを審判の要件を満たしていないとして却下した。 原告である元徴用工の遺族は、韓国政府による元徴用工への支援金支給の金額の算定方法や対象範囲を不服として、支給を定めた韓国の国内法と日韓請求権協定が財産権などを侵害しているとし、韓国の憲法に違反していると告訴していた。 韓国憲法裁判所の決定は国内法の不備を認めず、支援金支給に関して日韓請求権協定が「適用される法律条項だとみるのは難しい」とした。 また日韓請求権協定が仮に違憲であっても原告の請求には影響しないとし、審判の要件を満たしていないと却下した。 中国で三菱マテリアルによる謝罪と賠償による和解(2016年) [ ] 、と日本は、国交正常化においてを発表、中国は「日中両国民の友好のために、日本に対する戦争賠償の請求を放棄する」と宣言した。 6月1日、中国人による請求訴訟において、はと一人当たり10万(約170万円)の支払いを行う内容で、で原告とを行った。 総額で約64億円となり後最大規模の和解となった 韓国下級裁判所における判決 [ ] 8月23日、ソウル中央地方裁判所は新日鉄住金に対し元遺族らに計約1億ウォン(約890万円 の支払いを命じる判決を出した。 2016年8月25日、ソウル中央地方裁判所は三菱重工業に対し元徴用工遺族ら64人に被害者1人あたり9000万ウォン(約800万円)ずつ賠償するよう命じる判決を出した。 2016年11月23日、ソウル中央地方裁判所はに対し元の5人に1人あたり1億ウォン 約950万円 の支払いを命じる判決を出した。 大法院及び法院行政所 [ ] 韓国はまでの約5年間訴訟について判決を出していなかったが、2018年に韓国の検察当局は政権期に大法院が大統領府や外交省と協議し故意に判決を先送りしてきた疑いがあるとし法院行政所の元幹部などを起訴。 2018年12月3日には職権乱用などの容疑で当時(最高裁判事)だった朴炳大の逮捕状をソウル中央地裁に請求したが 、ソウル中央地裁は12月7日に逮捕状の請求を棄却した。 大法院が新日鉄住金に対し損害賠償を命じる(2018年) [ ] 10月30日、韓国の最高裁にあたるは差し戻し審で(現)に対し韓国人4人へ1人あたり1億ウォン(約1000万円)の損害賠償を命じた。 徴用工訴訟において大法院で結審したのは初めて。 これにより、新日鉄住金の韓国内の資産差し押さえの可能性がでてきた。 韓国で同様の訴訟が進行中の日本の企業は、、、など70社を超えており 、この判決以降韓国の政府機関や支援する財団に「訴訟を起こしたい」という問い合わせの電話が鳴り止まない状況が続いている。 2018年10月30日の大法院の判決では提訴期限の基準を示しておらず控訴審の裁判所の判断は分かれている。 韓国側は提訴期限の起算点を、(国交正常化時)、8月(韓国が請求権協定に関する見解を表明した時)、5月(大法院が個人的請求権に関する判断を行った時)、2018年10月(大法院が損害賠償を命じる判決を行った時)などを想定しており、で全て解決済みだとする日本との損害賠償訴訟をめぐる新たな争点として浮上している。 韓国政府に対する集団訴訟 [ ] 12月、戦時中に日本企業に徴用されたとする韓国人とその遺族が、ので日本政府から3億ドルの無償支援を受け取った韓国政府に補償責任があるとして、韓国政府に対して1人当たり1億ウォン(約1千万円)の補償金の支払いを求める集団訴訟を提起することが明らかになった。 日本の対応 [ ] 11月1日、は日本政府に対しに基づく協議や仲裁の速やかな開始を韓国に申し入れるよう求める決議をまとめた。 原告代理人弁護士が新日鉄住金本社へ [ ] 2018年11月12日、原告代理人の韓国人弁護士がの本社に入館しようとしたが、から遺憾の意を伝達され出入りを阻止された。 原告代理人弁護士は、2018年12月4日にも再び新日鐵住金本社を訪れたが、面会を拒まれたため、社長に対する要請書を受付に残して帰ったのち、でを開き、の手続を開始する用意があることを明らかにした。 同月には日本のの長が大韓民国を訪れ、差し押さえに対する遺憾の意を伝えると共に問題の解決に向け協議を行った。 日韓請求権協定に基づく日本政府の対応 [ ] 韓国政府は司法の判断には介入できないとの立場で、で解決済みとする日本政府との間で協議が全く進展しないため、1月9日日本政府は日韓請求権協定に基づく2国間協議を韓国政府に要請した。 しかし韓国政府は、司法がの個人賠償請求権は日韓請求権協定の効力範囲に含まれないとしているとして全く応じないため、5月20日日本政府は日韓請求権協定に基づき日韓と第三国の委員を加える形式による仲裁委員会開催を要請。 これにも応じないため、6月19日第三国に委員の人選を委ねる形式の仲裁委員会開催を要請。 1ヵ月後の7月18日に第三国を選定する期限が来ても韓国政府は応じなかった。 現在、日本政府は韓国に対し国際法を遵守するよう強く要請している。 個人請求権の解釈 [ ] の(日韓請求権協定)によって日韓の財産及び請求権問題に関するが放棄されていることについては異論がない。 日本政府は条約締結以降、請求権協定によって日韓の請求権問題は個人請求権も含めて終局的に解決されたという立場を維持している。 逆に韓国政府は条約締結以降頃までは請求権協定によって個人請求権が消滅したという立場であったが、その立場を変遷させ2000年には韓国において放棄されたのは外交保護権であり個人の請求権は消滅していないとの趣旨の長官の答弁がなされるに至った。 旧朝鮮半島出身労働者の訴訟は当初で争われたが、は日本における韓国民の財産請求権は「日韓請求権協定協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」(財産措置法) により消滅しているとし、個人請求権を認めなかった。 そのため、今度は韓国の裁判所で争われるようになった。 10月30日、韓国のはの個人賠償請求権を認め、裁判官の多くがの個人賠償請求権はの効力範囲に含まれないと判断した。 韓国の対日請求に関する問題には、訴訟のほか、、、韓国人原爆被害者の問題、がある。 日本政府 [ ] 日本政府は、のについてその締結の当初から個人請求権は消滅していないと解釈していた。 日韓請求権協定締結時の外務省の内部文書には日韓請求権協定第二条の意味はを行使しないと約束したもので、個人が相手国に請求権を持たないということではないと書かれていた。 このような日本政府の解釈は日韓請求権協定締結前から一貫したものであった。 というのも、やの被害者が、日韓請求権協定に先立って締結されたやの請求権放棄条項により賠償請求の機会を奪われたと主張し、日本に補償を求める訴訟を提起したからである。 この訴訟において、日本はそれらの請求権放棄条項によって個人の請求権は消滅しないから、賠償請求の機会は奪われていないと主張した。 韓国との関係に関しても戦後韓国に残る資産を失った日本国民が韓国に対して訴訟を提起する可能性があるため、日本は当初から請求権放棄条項によっては個人の請求権は消滅しないという立場に立っていた。 請求権協定締結の1年後であるに、協定の交渉担当者の外務事務官は、協定で放棄されるのは外交保護権にすぎないから、日本政府は朝鮮半島に資産を残してきた日本人に補償責任を負わないと解説した。 8月27日、条約局長がで、「(日韓請求権協定は)いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない。 日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができないという意味だ」と答弁したため 、それ以降韓国の個人請求権を根拠にした日本への訴訟が相次ぐようになった。 2月26日、柳井は、請求権協定2条3項により「国及び個人の財産、権利及び利益に対する措置」及び「請求権」に対する外交保護権が消滅したと答弁した。 そしてこの「財産、権利及び利益」は協定時の合意議事録で「法律上の根拠により実体法的価値を認められるすべての種類の実体的権利」であることが合意されていて、条約が直接外交保護権を消滅させた「請求権」は実体法上の根拠のないクレームに過ぎないと述べた。 そして、実体法上の根拠がある「財産、権利及び利益」についてはそれ自体の外交保護権が放棄されたわけではないものの、「財産、権利及び利益に対する措置」として国内法たる1965年の「財産措置法」 によって韓国民の財産権は消滅していることを明らかにした。 さらに、1992年3月9日の予算委員会において柳井は「請求権の放棄ということの意味は外交保護権の放棄であるから、個人の当事者が裁判所に提訴する地位まで否定するものではない」と答えた。 また、のは「外交保護権についての定めが直接個人の請求権の存否に消長を及ぼすものではない」とし、「訴えた場合にそれらの訴訟が認められるかどうかまで裁判所が判断する」と述べた。 5月26日の予算委員会 外務省条約局長答弁では 、日本国内においては韓国民の「財産、権利及び利益」は日韓請求権協定の請求権放棄条項及び日韓請求権協定を日本国内で施行するための財産措置法によってのみならず実体的にその権利も消滅しているが、「請求権」は外交的保護権の放棄ということにとどまり個人の請求権を消滅させるものではないとしている。 ただ、請求権につきましては、外交的保護の放棄ということにとどまっておる。 個人のいわゆる請求権というものがあるとすれば、それはその外交的保護の対象にはならないけれども、そういう形では存在し得るものであるということでございます。 に参議院に提出されたの答弁書でも、同条約を受けて日本国内で成立した財産措置法によって請求の根拠となる韓国国民のは国内法上消滅した。 この財産措置法で消滅しているのは韓国民の財産権のみであるから、日本と外国との請求権放棄条項により日本政府が日本国民より賠償請求の機会を奪われたとして訴訟を提起されることはない。 また、日韓請求権協定に伴う財産措置法は外交保護権の放棄により韓国から外交ルートで抗議されることもない。 実際に日本の裁判所で争われた旧大阪訴訟において、は11月19日の判決で協定の国内法的措置である財産措置法による財産権消滅を根拠に一審原告のを棄却している。 この裁判はその後を棄却され確定した。 しかし、旧朝鮮半島出身労働者の韓国での訴訟については、韓国は日本の財産措置法を準拠法としていないので 、韓国の裁判所ではこれを適用していない。 1990年代後半には日本政府に一部不利な判断が出るようになったため 、日本政府は次第に戦後補償は請求権放棄条項で解決済みであるとの主張をするようになった。 日韓請求権協定に関しても韓国人個人の請求権も含め協定によって一切解決済みとの立場を取っている。 現在の日本政府の見解は、旧朝鮮半島出身労働者の損害賠償請求権についての実体的権利は消滅していないが、これを裁判上訴求する権利が失われたというものになっている。 ただし、日本政府の立場を肯定した の判決は、司法上の救済はできないとする一方で被害者救済に向けた関係者の自発的努力を促した。 これを受けて、西松建設は実際に被害者に対する謝罪と賠償を行った。 この2007年の最高裁判決は、判断を左右する条約解釈上の対立点に関する日本政府の立場を肯定しつつ、同時に被害者救済の必要性を指摘している。 韓国政府 [ ] 一方の韓国は締結当初は協定によって個人の請求権が消滅したとの立場に立っていた。 そもそも韓国政府は日韓請求権協定締結前の交渉において、の未払金及び補償金は国内措置として韓国側で支払うので日本側で支払う必要はないと主張していた。 しかし、日本の条約局長による答弁が大きく報道され日本で個人の請求権を主張する訴訟なども提起されたため、日本では個人請求権は外交保護権放棄条項に含まれていないことが広く知られるようになる。 すると韓国はその立場を変遷させ、に韓国においても放棄されたのは外交保護権であり個人の請求権は消滅していないとの趣旨の長官答弁がなされるに至った。 また韓国政府はに官民共同委員会において日韓請求権協定の効力範囲問題を検討し、支配賠償金や等の日本政府の国家権力が関与した反人道的不法行為については請求権協定によっては解決しておらず日本政府の法的責任が残っていると結論した。 ただし、徴用工については同委員会は明示的に日韓請求権協定の効力範囲外に位置付けず、請求権協定によって日本から受け取った資金に韓国政府が強制動員被害者に対する補償問題を解決するための資金が包括的に勘案されているとし、韓国政府は受け取った資金の相当額を強制動員被害者に使用すべき道義的責任があると判断した。 旧大阪訴訟においては、前述のように日韓請求権協定には韓国民の財産権を消滅させた財産措置法があるため、韓国政府が日本から受け取った資金を充てるか否かの判断の対象にならなかった。 しかし、日本の国内法である措置法の効力が及ばない韓国ではこれらの点が大きな争点になった。 大法院 [ ] 賠償義務判決は5月の大法院で初めて出され、によると当時の判事であったが「建国する心情で判決を書いた」と語ったという。 10月30日の韓国判決の多数意見は、の個人賠償請求権はの効力範囲に含まれないと判断した。 14人の裁判官の内3人の個別意見は、徴用工の個人賠償請求権は請求権協定の効力範囲に含まれるが、両国間で外交上の保護権が放棄されたに過ぎないとした。 この中でについても言及し、個人損害賠償請求権の放棄を明確に定めたサンフランシスコ平和条約と「完全かつ最終的な解決」を宣言しただけの請求権協定を同じに解することは出来ないとしている。 また、2人の裁判官の反対意見は、徴用工の個人賠償請求権は請求権協定の効力範囲に含まれ、かつ、請求権協定によって日韓両国民が個人損害賠償請求権を裁判上訴求する権利が失われたとした。 その意見によれば、個人損害賠償請求権自体は消滅していないものの、日韓請求権協定によって外交上の保護権が放棄されただけでなく、日韓両国民が個人損害賠償請求権を裁判上訴求する権利も制限されたため、個人損害賠償請求権の裁判上の権利行使は許されないとのことである。 今回の判決は「原告の損害賠償請求権は、日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する 慰謝料請求権である」とし 、従って「原告が被告に対して主張する損害賠償請求権は、請求権協定の適用対象に含まれると見ることはできない」としている。 その他 [ ]• 元判事で条約局の担当者としての交渉に参加したは、への寄稿で、当時の日本側関係者は請求権をめぐる問題について、韓国側との間でいかなる禍根も残さないことを考え交渉にあたったとする。 請求権協定は両国間及びその国民の間のその請求権に関する問題は「完全かつ最終的に解決」されており、「いかなる主張もすることはできない」と定めている。 これは請求権に関して、いずれの締約国でどのような根拠に基づいて請求しようとも、相手国及びその国民はこれに応じる法的義務はないことを規定したものであるというのが当時の条約起草者の意図であったとしている。 日本の企業に当時のを命ずるということは、協定の交渉経緯に反する解釈であり協定締結のために積み重ねられた日韓両国の関係者の努力を水泡に帰すものと言わざるを得ないとしている。 元大学教授で歴史家のは、この判決について「協定上、賠償金を支払う義務は全くない。 日本政府は経済政策の中で揺さぶりをかけ、韓国内での問題解決を迫るべきだ」「痛みを伴わずに問題を解決させる妙案はない。 現状では日本企業側が命じられた賠償は高額でなく、韓国内の資産差し押さえがあっても影響は限定的といえるため、企業側にも『我慢』が求められる。 個人請求権をなし崩しに認めてしまえば同様に請求権放棄が確認されている中国でも問題が再燃しかねない」と主張した。 元大阪府知事・元大阪市市長の弁護士は上記のような問題点を指摘した上で、結論としては日韓請求権協定によってもはや個人請求権は認められないとの考えを明らかにしている。 国際法の解釈 [ ]• が専門の は、請求権協定2条の解釈について、これまでの国際法の一般的解釈からすると個々の国民の権利や利益に関わるものを含めて全ての問題が包括的に解決されたと解釈でき、日本政府だけでなく、かつての韓国政府や、米国の政府及び裁判所も同じ立場だったとする。 また、に関する2010年代の一連の韓国裁判所の判断については、人権への考慮が他の価値とそれに関わる判断への考慮に優越して扱われるという流れに沿ったものではあるが、このような流れが拡大していくとそもそも国家間で条約を締結して問題を解決する意義が揺らいでしまうと指摘している。 国際法学者で名誉教授のは、外交上の保護権が失われた場合の司法救済の可否について、かつての日本政府の見解を前提とすれば韓国における司法的救済の可否は韓国の国内法の問題となる としている。 大学院教授でアジア学術総合センター長のは「韓国で請求権協定が無視される事態が続けば、両国間の戦後処理が全般的に崩壊するだろう。 政府間の対話で解決できる段階は過ぎた。 協定は解釈上の問題が生じた場合に仲裁機関を設置すると定めており、これを韓国側に提案し解決にあたるべきだ。 国際法の専門家が精査すれば、今回の判決に問題が多いことは十分に理解されるはず。 韓国内での政治情勢などに絡んで解決がさらに先延ばしにされる恐れもあり、日本側からの積極的な働きかけが必要だ」と述べた。 脚注 [ ]• 日本経済新聞 電子版. 2018年10月30日. 2018年11月2日閲覧。 中央日報 2018年11月1日. 2018年11月2日閲覧。 hankyoreh japan 2018年11月2日. 2018年11月3日閲覧。 聯合ニュース. 2010年3月18日. 2010年8月22日閲覧。 産経新聞. 2010年3月15日. 2010年8月22日閲覧。 2009年8月14日. 2019年5月23日閲覧。 2009年8月15日. 2014年3月3日閲覧。 2015年12月24日. の2016年2月28日時点におけるアーカイブ。 2017年1月15日閲覧。 日本放送協会• 日本経済新聞• 朝日新聞. 2018年12月3日. 2018年12月7日閲覧。 産経新聞. 2018年12月6日. 2018年12月7日閲覧。 朝日新聞. 2018年12月7日. 2018年12月7日閲覧。 日本語. 朝日新聞デジタル. 2018年11月1日. 2018年11月3日閲覧。 日本経済新聞. 2018年12月18日. 2018年12月18日閲覧。 日本経済新聞2018年11月1日「自民、元徴用工巡り韓国と協議求める」• 産経biz2018. 5 12:58• 産経新聞• 時の法令別冊1966年3月10日において協定交渉担当者の外務事務官谷田正躬は協定で放棄されるのは外交保護権にすぎないから、政府は朝鮮半島に資産を残してきた日本人に補償責任を負わないとの解説をしている。 東亜日報「日本外務省文書「日韓協定と個人請求権は無関係」」• 東亜日報「日本外務省文書「日韓協定と個人請求権は無関係」」• 五十嵐正博「日本の戦後補償と国際法」国際法外交雑誌105巻1号• 東京地判1963年12月7日下級裁判所民事裁判例集14巻2451頁、国立国会図書館「調査と情報」230号• 機関紙連合通信社「〈韓国徴用工問題〉上/「解決済み」という未解決問題/一貫性欠ける両国政府の姿勢」• 時の法令別冊1966年3月10日 [ ]• 2018年10月30日閲覧。 山手治之「日本の戦後処理条約における賠償・請求権放棄条項 1 : 戦後補償問題との関連において」• 日本経済新聞 2013. 外務委員会議事録第2号平成4年2月26日、10頁• いずれも予算委員会会議録15号平成4年3月9日、11頁• 予算委員会会議録第26号平成5年5月26日36頁• 法学部. 2014年10月27日閲覧。 第155回国会(臨時会)参議院議員櫻井充君提出日本の戦後処理問題に関する質問に対する答弁書• 新日鉄ソウル高等法院判決日弁連仮訳によれば本件差戻し控訴審判決はこの点を明確に指摘すると同時に、財産措置法を制定したこと自体が請求権協定で放棄されたのは外交保護権に過ぎず個人の請求権は消滅していないことの証左であると指摘している。 出石直「戦後補償訴訟における元徴用工問題と日韓関係」• 神前禎ほか「国際私法(第3版)」(有斐閣アルマ、2012年)、9頁で指摘されているように、裁判地によって準拠法が異なれば結論も異なる。 新日鉄ソウル高等法院判決日弁連仮訳によれば本件差戻し控訴審判決は旧日本製鉄大阪訴訟で準拠法が日本法とされ請求権協定及び財産措置法で権利が消滅したと判断されたことを認定しつつ、準拠法を日本法とすることを否定し、請求権協定の範囲のみを検討して財産措置法の適否は論じない。 山手治之「日本の戦後処理条約における賠償・請求権放棄条項 2 : 戦後補償問題との関連において」、89頁• 出石直「戦後補償訴訟における元徴用工問題と日韓関係」、33頁• 山手治之日本の戦後処理条約における賠償・請求権放棄条項 2 : 戦後補償問題との関連において• 山本晴太「日韓両国政府の日韓請求権協定解釈の変遷」• 朝日新聞デジタル「徴用工、首相「あらゆる選択肢を視野」政府の対応本格化」• 会計学者で東京大学名誉教授のが外務省に架電して政府見解を詳細に聴取し、その内容を自らの個人ブログで公表している。 山手治之「日韓請求権協定2条の解釈について(1)「• 最高裁2007年4月27日西松建設事件判決• 出石直「戦後補償訴訟における元徴用工問題と日韓関係」• は外務省が過去に日本人の戦後補償を否定するための理屈をこねていたことを政治家に説明すべきと指摘している。 もっとも五十嵐正博「日本の戦後補償と国際法」国際法外交雑誌105巻1号にその内容が詳細に引用されているように日本政府はその見解が一貫しているとする。 山本晴太「日韓両国政府の日韓請求権協定解釈の変遷」• 李洋秀「韓国側文書に見る日韓国交正常化交渉」• ただし、日本側には「日本は戦争中、東南アジア諸国から略奪したものや破壊したもなどについて賠償しようとしているが、日本は韓国ではそのような事実がないので、賠償することはないと思う。 もしあるなら賠償するだろう。 」という発言があり、これは被害者の損害賠償請求権が請求権協定で考慮されたことを否定する根拠となっている。 関本克良「国際法と国家の法的責任に関する考察 日本軍「慰安婦」問題と被害者の損害賠償請求権を焦点として• 金昌禄「韓日条約の法的位置付け ~いかに克服するか~」• 山本晴太「日韓両国政府の日韓請求権協定解釈の変遷」• 国務調整室報道資料日弁連仮訳• 国務調整室報道資料日弁連仮訳• ただし、日本政府の国会答弁では請求権協定の請求権問題と解決と無償支援との間には対価関係はなく、賠償の意味もないと説明されている。 五味洋治「徴用工判決で問われる「日韓国交正常化の闇」 韓国大法廷の判決文を熟読してわかったこと」• 出石直「戦後補償訴訟における元徴用工問題と日韓関係」• 新日鉄ソウル高等法院判決日弁連仮訳• 東亜日報 2018年10月30日• 山本ほか大法院判決仮訳• 朝日新聞GLOBE+「韓国人記者が見た元徴用工裁判」• 2018年12月19日読売新聞への寄稿「日韓の法的基盤骨抜きに」元最高裁判事福田博• プレジデントオンライン「橋下徹"徴用工問題、日本が負けるリスク"「法的ケンカ」の準備はあるか」• 大沼保昭、江川紹子著「「歴史認識」とは何かーー対立の構図を超えて」(中央公論社、2015年)、kindle841-870• 山手治之「日韓請求権協定2条の解釈について(1)「 関連項目 [ ]• - 一国の行政府が示した法令解釈を同じ国の最高司法府()が否定したこと、(行政府が関与せずに)外国法人と自国人との間で争われた訴訟であったこと、確定した判決の結果として外国法人が敗訴して自国人が勝訴したこと、など徴用工訴訟と多くの類似点がある、日本のによる確定裁判。 - 日本では前例を踏襲する司法消極主義であるのに対し、韓国では積極的に新しい判断を下す。 - 李宇衍(イ・ウヨン)研究員は強制動員よりも自主的に応募した朝鮮人が大多数と国連人権委員会で発言。

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徴用工訴訟、韓国1審で大半の請求退け 政府認定外の原告

韓国 徴用工

日本統治時代の朝鮮人徴用(にほんとうちじだいのちょうせんじんちょうよう)は、中のにおいて国策により日本政府が朝鮮人を1939年9月 から労務動員したこと。 日本政府は1939年から毎年、日本人も含めた労務動員計画を立て閣議決定をした。 朝鮮からの動員数も決め日本の行政機構が役割を担った。 動員の形態は年代により「募集」「官斡旋」「徴用」と変わったが、すべての時期でおおむね暴力を伴う動員が見られ、約70万人の朝鮮人が朝鮮半島から日本内地・樺太・南洋占領地等に送り出された。 内務省が調査のため1944年に朝鮮に派遣した職員は、動員の実情について「拉致同様な状態」と文書で報告している。 朝鮮人が日本国籍を持っていた「朝鮮系日本人」だった当時、戦時中の朝鮮人に対する (労務動員)や を「強制連行」と表現することについては議論がある。 戦中の労務動員について 朝鮮人労働者移入ともいわれる。 戦後、戦時の朝鮮人徴用は問題・、問題として取り上げられてきた。 「」および「」も参照 日本が・、または斡旋した際に、集め方が強制的であったとして「強制連行」と呼ばれ始めたとされている。 しかし、この「強制連行」という言葉には疑義が出されており、在日朝鮮人運動史研究家のは、「定義が確立しておらず、ひとによってまちまちな受け止め方がなされている」「もともと、強制連行とは、『強制的に連行された』という記述的な用語である。 そして、強制や連行は、実質概念であり、程度概念である。 その実質や程度について共通理解が確立されないまま、強制連行という言葉だけがひとり歩きして、あたかも特定の時代の特定の歴史現象をさししめす歴史用語であるかのように受けとめられていることに混乱の原因がある」と指摘している。 戦時動員・労務動員との関連 [ ] 金英達は、日本語の文脈で「強制連行」と記述する場合、ほとんどの場合はを制定した戦時体制下の政府が朝鮮半島で行った労務動員を指して使われる言葉となっていると指摘している :61 :32。 金は、戦時中の朝鮮人の強制については「戦時」を使い、そのなかの具体的な暴力的なケースを「強制連行」とすることを提案している。 また、も朝鮮人の労務動員を「強制連行」と呼ぶのは、「日本人の加害者性や朝鮮人の被害者性を誇張しすぎている」として、当時の朝鮮人はのであり、日本人男性が戦場に送られていたのを代替するものとして朝鮮人の労務動員があったとしている。 これらのほか、名誉教授は1980年代には「朝鮮人強制連行」と論文で記していたが 、2005年の共著『朝鮮人戦時労働動員』()で「 朝鮮人戦時労働動員」と呼ぶこととした。 ただし、これは「強制連行」という言葉が攻撃されたからではなく、強制連行というと強制労働、民族差別の問題に目を向けなくなる恐れがあるためと述べている。 山田は「戦時動員」には労働動員と軍事動員の二つがあり、同書ではこのうち軍事動員を除外した労働動員、それも日本内地に限定しこれを「朝鮮人戦時労働動員」と呼び、「強制連行・・」の三つの問題点を含めるとした。 的場光昭は自著『反日石碑テロとの闘い』(展転社)で、朴の著書において南方へ強制連行されたという人物について、北海道新聞が記事で紹介した総督府に残る資料と照合した結果、当該人物は干ばつによる飢饉を逃れて妻子とともにパラオに移住したことが判明したとして、実態は朴の著書にあるような昼夜分かたず官憲が男たちを狩り集めて連れ去ったという内容とは異なると述べている。 人権用語として [ ] 朝鮮人強制連行真相調査団の洪祥進は「朝鮮人強制連行」は、歴史用語としてでなく人権用語になったと主張した。 歴史 [ ] 明治時代の朝鮮人渡航 [ ] (明治9年)、が結ばれ、朝鮮が開国すると1880年、らが第二次として来日、東京にが設置される。 その後、留学生や亡命者などが入国し始める(、、、など)。 また、以前から南部に住む朝鮮人は日本に流入しはじめており、留学生や季節労働者として働く朝鮮人が日本に在留していた。 韓国併合以降 [ ] 「」および「」を参照 の以降、渡航する朝鮮人は急増し、警保局統計によれば1920年に約3万人、1930年には約30万人の朝鮮人が在留していた。 併合当初に移入した朝鮮人は土建現場・鉱山・工場などにおける下層労働者で 、単身者が多い出稼ぎの形態をとっていたが、次第に家族を呼び寄せ家庭を持つなどして、日本に生活の拠点を置き、永住もしくは半永住を志向する人々が増えた。 河宗文によれば、「日本政府は朝鮮人の渡航を抑制したり受容したりしながら、朝鮮人労働者を日本資本の差別的構造の中に編入させて行った」とする。 当時、日本での朝鮮人の生活は劣悪なもので川辺や湿地帯に集落を造り、賃金も日本人の約半分であったとされる。 それでも当時の朝鮮国内の賃金と比較すると破格の高収入だった。 朝鮮人の朴代議士によると1933年当時、年間約5万人の朝鮮人が日本で増加して問題になっていた。 移入制限と解除 [ ] 1919年4月には警務総監令第三号「」により日本への移民が制限され、1925年10月にも渡航制限を実施したが、1928年には移民数が増加した。 朝鮮では1929年から続いた水害や干害によって、国外に移住を余儀なくさせられる者が増えた。 、岡田内閣は「」を閣議決定し、朝鮮人の移入を阻止するために朝鮮、満洲の開発と密航の取り締まりを強化する。 日中戦争期 [ ] 労務動員計画 [ ] 「」を参照 1937年にがはじまると、3月朝鮮総督が日本内地からの求めに応じ、朝鮮人渡航制限の解除を要請し、1934年の朝鮮人移入制限についての閣議決定を改正した。 4月にはが、7月にはが日本本土で施行された(朝鮮では1944年9月から実施 )。 同じ7月、朝鮮総督府はを施行し、朝鮮から労働者が日本に渡るようになった。 1939年以降、日本政府の労務動員計画によって毎年人員・配置先が決定され、朝鮮総督府によって地域が割り当てられ計画人員の達成が目標とされた。 はこの当時、「募集方式の段階から会社・事業所の募集は行政機関、警察の支援を得ていた」としている。 山口公一 もまた「1939年に開始される朝鮮人強制連行は戦争の長期化によって日本の労働力不足が深刻化すると同時に朝鮮内での軍需工業の拡張にともない、朝鮮人を労働力として強制的に動員するためのものであった。 」と説明している。 したがって「募集とは言っても実態は強制連行」であると主張している。 1940年、日本政府は日本工場の労働需給の調整と、朝鮮の技術水準の向上を目的とした「朝鮮工場労務者内地移住幹施に関する件」を発信し、「労働者の朝鮮への往路旅費および帰郷旅費は雇用主が負担」「雇用主は朝鮮の技術向上を目的に必要な知識・技能を授ける事」「雇用主は徳を養う事」「雇用期間は5年以内」などの条件を日本陸軍に通達した。 の付「半島人移入雇用に関する件」では、総督府は、労務者動員計画遂行に協力すること、旱魃による救済のため、内地移住につき積極的援助をなすとあり、募集の実務は「朝鮮官権によって各道各郡各面に於いて強制供出する手筈になつて居る、即ち警察に於て割当数を必ず集める之を各社の募集従事者が詮衡(選考)することになって居る」と書かれていた。 満州国三江省 また、12月のの報告によれば、の鶴岡炭鉱における募集では、募集をしたが、人が集まらなかったので「強制募集」をし、140人の内15人が逃亡したと記録がある。 1942年3月、による官主導の労務者斡旋募集が開始された(細かな地域ごとに人数を割り当て)。 国民総力朝鮮連盟と愛国班 [ ] 1940年に朝鮮ではが組織された。 庵逧由香は、「を契機に、中央連盟ー地方連盟と学校、職場の各種連盟ーによる二重の組織化・統制が朝鮮民衆を戦争動員に引き入れて行った」としている。 また愛国班に参加を強制した女性動員の実情については、樋口雄一が「特に農村部の女性動員は、流出した男子労働力の補充と食料増産の構造の中で行われた」と指摘している。 太平洋戦争期 [ ] 、日本と、、などとのが開始する。 朝鮮人の戦時徴用(1944〜45年) [ ] 朝鮮総督府鉱工局労務課事務官のは『大陸東洋経済』1943年12月1日号での「座談会 朝鮮労務の決戦寄与力」において、 『従来の工場、鉱山の労務の充足状況を見ると、その九割までが自然流入で、あとの一割弱が斡旋だとか紹介所の紹介によっています。 ところが今日では形勢一変して、募集は困難です。 そこで官の力-官斡旋で充足の部面が、非常に殖えています。 ところでこの官斡旋の仕方ですが、朝鮮の職業紹介所は各道に一カ所ぐらいしかなく組織も陣容も極めて貧弱ですから、一般行政機関たる府、郡、島を第一線機関として労務者の取りまとめをやっていますが、この取りまとめがひじょうに窮屈なので仕方なく半強制的にやっています。 そのため輸送途中に逃げたり、せっかく山に伴われていっても逃走したり、あるいは紛議を起こすなどと、いう例が非常に多くなって困ります。 しかし、それかといって徴用も今すぐにはできない事情にありますので、半強制的な供出は今後もなお強化してゆかなければなるまいと思っています。 』とのべている。 9月、日本政府はによる戦時を朝鮮半島でも開始し、1945年3月までの7か月間実施された。 1944年9月から始まった朝鮮からの徴用による増加はの戦況の悪化もあってそれほど多くは無かったともいわれる。 『朝鮮人強制連行論文集成』に記録されている証言では、徴用令には召集令状と同じ重みがあったこと、北海道や樺太、九州の炭鉱に面(村)で500人徴用されたという。 1944年5月霊光郡での事例 付の、北海道炭礦汽船株式会社の霊光郡送出責任者が釜山の駐在員に宛てた書簡では、霊光郡において「集合日指定時間内に120名割当に対し参集せる者36名よりなく(之れも面にて強制的に連行せるもの)」、このため「郡庁職員9名警察署高等経済係員及面職員を総動員、寝込みを襲ひ或は田畑に稼動中の者を有無を言はせず連行する等相当無理なる方法を講し」て動員対象者を確保し、また「万一割当責任数供出不能の場合は理事長の自己の家族中より適任者を送出するか或は本人出動する様、郡、警察、面長等より夫々申渡しを」するなどの措置をとって動員対象者の確保に努めていた。 だが、この段階ではそのような強硬な手段を以ってしても十分な人員は集められず、「郡庁迄連行中逃走せしもの或は宿舎にて逃走せるもの等簇生又は不具者或は老人(息子逃走身代りとして父親を連行せる者)病人等多数あり」、しかも、「送出に無理せりたる為家族等と郡職員及面職員との間に大乱闘あり労務主任、次席等は顔面其他を殴打され負傷する等の騒ぎあり」というような事態を現出させていたことが書簡に記されていた。 外村大は「地方組織や警察などを通じての」と「や縁故渡航による」では、働く場所や条件が違っていたと記述する。 「朝鮮人労働者を希望した炭鉱の経営者など」は「劣悪な労働条件でも働いてくれる人材を調達するため」朝鮮にそれを求めたがやがて集まらなくなった。 そこで「寝込みを襲ひ或は田畑に稼働中の者を有無を言はさず連行する等相当無理なる方法」を講し、徴用令の令状を交付した。 内務省復命書 1944年7月31日付、嘱託から内務省管理局長に提出された では「民衆をして当局の施策の真義、重大性等を認識せしむることなく民衆に対して義と涙なきは固より無理強制暴竹(食糧供出に於ける殴打、家宅捜査、呼出拷問労務供出に於ける不意打的人質的拉致等)乃至稀には傷害致死事件等の発生を見るが如き不詳事件すらある。 斯くて供出は時に掠奪性を帯び志願報国は強制となり寄附は徴収なる場合が多いと謂ふ」とある。 また「…然らば無理を押して内地へ送出された朝鮮人労務者の残留家庭の実情は果たして如何であろうか、一言を以って之を言うならば実に惨憺目に余るものがあると云っても過言ではない。 朝鮮人労務者の内地送出の実情に当っての人質的掠奪的拉致等が朝鮮民情に及ぼす悪影響もさることながら送出即ち彼等の家計収入の停止を意味する場合が極めて多い様である…」 、「徴用は別として其の他如何なる方式に依るも出動は全く同様な状態である。 其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的略奪拉致の事例が多くなるのである、何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼等を精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思はれる、内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破壊が屡々あったからである」と記録されている。 この復命書について、元朝鮮総督府高級官僚であったは「この報告は朝鮮総督府への要求を緩和させるための、陳情の目的もあった事を理解して頂きたい」「これは朝鮮全体として見ると、決して一般的ではなかった。 地方地方で事情が異なっており、各人により対応が異なっていた」と語っている。 千葉県東金警察署長の報告書 終戦直後の付の長から宛「終戦後の朝鮮人取扱に対し極度の不平不満に関する件」では、「大東亜戦争勃発と同時に移入労働者を徴用するに当り、田畑より看守付きでしかも自宅に告げる事なく内地の稼動場所へと 強制労働に従事せしめた」「朝鮮人も日本人である以上大東亜戦争をして有終の美を得せしむべく不可能なる労働を可能ならしめ戦力の増強に寄与したる点は内地人に劣らざる」と書いている。 労働現場の実態と事例 [ ] 労働環境 [ ] この節で示されている出典について、該当する記述が 具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、。 ご存知の方はをお願いします。 ( 2015年10月) 山口公一によると、こうしてされたは過酷を極め、炭鉱労働者の場合「」に入れられ、12時間を超える平均労働時間、生命の危険が多い炭鉱夫への配置がなされ、実際に死亡率が高かった。 また、賃金は日本人の半分程度であり、強制貯金と労務係のの結果、手元には残らなかったと主張している。 一方、は朝鮮人徴用工自身が書いた手記を元に、朝鮮人徴用工の待遇は良かったとしている。 1944年12月に広島市の東洋工業に徴用されたある徴用工は、月給140円という高給を受け、なまこやあわびを食べ酒を飲んで宴会をするなど食生活も豊かだった。 工場勤務も厳しいノルマなどなく、日本人の女工達と楽しく過ごしていた。 夜には寄宿舎から外出して、日本人の戦争未亡人と愛人関係になっていた。 また、1945年3月に大阪府の吉年可鏻鋳鉄工場に徴用された別の徴用工は、徴用工の隊長とケンカで殴り合いを繰り返し、宿場を抜け出し鉄道で東京の立川へ行き、「自由労働者」として働いた。 朝鮮人の親方の飯場で雇われ、半日仕事で日給15円もらった。 仕事を休み東京見物もしていた。 さらに別の飯場に移ると日給20円に上がった。 西岡は、これらの手記は、戦後補償を求める運動が韓国で本格化するずっと以前に書かれたものである点で史料価値が高いとしている [ ]。 また、韓国の落星台研究所イ・ウヨン研究員は、当時の炭坑の賃金台帳を元に朝鮮人炭鉱労働者の賃金が朝鮮半島で働く教員の4. 2倍にもなる炭坑もあったとし、また他の職に就く日本人に比べても賃金面で優遇されていたとしており、韓国の映画などで「やせ細った朝鮮人労働者」のイメージが広がっているが「当時の写真を見れば健康で壮健堂々としていた」としている。 松代大本営建設の徴用 [ ] から着工された建設におけるの場合、当初は朝鮮人約7,000人と日本人約3,000人が、1945年4月頃は日本人・朝鮮人1万人が交代で作業した。 延べ人数では・県土木部工事関係12万人、付近の住民などの7万9600人、西松組鹿島組関係15万7000人、朝鮮人労務者25万4000人、合計延べ61万0600人だった。 「勤労報国隊」「勤労報国会」そして学生や生徒,児童などの日本人も工事に携わっていた。 しかしその労働は過酷であり 、松代大本営の地下壕の掘削は、そのほとんどが朝鮮人の手で進められたという。 「松代」で働かされていた朝鮮人の中には、給金がもらえるものがいたし、「怪我や病気なんかするとすぐに病院にいけた」と言う者もいた。 しかし一方でその生活は極めて劣悪であり、3k労働である上に、食事はコーリャンに塩をかけたもので、量も少なく栄養失調や目が見えなくなった人もいたという。 また、朝鮮語を話しただけでもリンチを受け、あまりに酷い扱いに耐え切れず逃げ出すと見せしめに拷問を受けたという証言もある。 そして天皇の「ご座所」を掘った朝鮮人180名は、秘密漏洩を防ぐため殺害されたとも言われている。 逃亡と抵抗運動 [ ] の記録 でも「移入朝鮮人労働者」による多くの逃亡があったとされている。 日本内地に動員された朝鮮人労務者の逃走者総数は22万6497人である。 内訳は、募集時7万8181人、官斡旋及び徴用時14万8316人。 これら逃走者で発見送還された者4121人、職場復帰した者1万2626人、所在不明者は20万9750人に上った。 のにおける労務斡旋と逃亡の事例は次のようなものだった。 福岡県飯塚市住友鉱業所に於ては、五月二十四日朝鮮総督府より朝鮮労務者72名の斡旋を受け、同所労務補導員にて引率鉱山到着までの間に於て内54名は逃走所在不明となり、又、同県糟屋郡志免町所在九州鉱業所の於いても五月二七日朝鮮総督府より朝鮮人労務者37名の斡旋を受け労務補導員2名にて引率鉱山到着までの間に於て、内36名逃走所在不明となりたる事案発生せり。 は「こうした戦時強制連行については、抵抗運動があった」と書き、遠藤公司の『戦時下の朝鮮人労働者連行政策の展開と労資関係』 や山田昭次の『朝鮮人強制連行研究をめぐる若干の問題』 を参考文献に挙げている。 証言 [ ] 朝鮮総督府関係者の証言 [ ] 鎌田澤一郎の証言 がを務めた時代(1927〜1936年)に政策顧問を務め、同時に韓国統監府の機関紙である社の社長も務めたは著書『朝鮮新話』1950年において、が朝鮮総督であった時代(1936〜1942年)の労務者の強制的な徴募方法について、 もつともひどいのは労務の徴用である。 戦争が次第に苛烈になるに従って、朝鮮にも志願兵制度が敷かれる一方、労務徴用者の割当が相当厳しくなつて来た。 納得の上で応募させてゐたのでは、その予定数に仲々達しない。 そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、突如男手のある家の寝込みを襲ひ、或ひは田畑で働いてゐる最中に、トラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果たすといふ乱暴なことをした。 但 ただ 総督がそれまで強行せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺ふ朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやつてのけたのである。 と証言している。 ただし、によれば、鎌田の証言はなど強制連行論者によく引用されてきたが、証言中の「総督がそれまで強行せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺ふ朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやつてのけた」という朝鮮人官僚が実行したという箇所について引用されることはまずないと指摘している。 朝鮮総督府に勤務し、戦後入国管理局総務課で勤めたは、1939〜45年の労務動員について「日華事変以後の戦時体制下にあって、政府は、朝鮮人を集団的に日本内地に強制移住せしめる策をとった」と説明している。 労務者の証言 [ ] 強制性の証言 [ ] 崔亮鎬の証言では、兵隊や憲兵による「片っ端」徴集がなされたので面長や面役所の募集係は断り切れなかったという。 うちの面に徴用令が来ると、人間がいないから出せませんじゃすまされなかった。 徴用令は軍隊の召集令状と同じ重みがありましたからね。 面役所のほうでぐずぐずしていると、兵隊とか憲兵を連れて来て、畑の中で仕事をしていようと、道を通っていようと片っ端でね。 面の募集係も巡査も、どこの部落に何人の働き手がおる、どこの家には誰と誰がおるとか、手にとるように分かっていますからね。 徴用令が来ても、うちの面にはやるだけの人間がもうおらんからと、嘘のことをいうて追い返すが、そういつまでも駆け引きはできん。 病気の両親がおるとか、子供や女房が体が弱いとか、行かれない事情が、それぞれありましたよ。 最後には、もうそんなことは理由にはならない。 子供であろうと年寄りであろうと無差別でしたから。 命令ですから反対はできん。 強制して恨まれるのは面長とか、面役所の募集係でね。 結局、もう村の人に顔が立たんから、面役所の何人かは、引率隊長として自分から志願して行きました。 北海道や樺太の炭鉱、それに九州の炭鉱よ。 うちの面は一二〇〇戸あって、五〇〇人徴用で行きましたからね。 炭鉱で亡くなったら名誉の戦死だ。 お国のために働いて死んで嬉しいと、心にもないことをいわんといけんやった。 日本が戦争勝つために朝鮮人が死ぬる理由なんか一つもありませんからね。 (中略)男がごっそり徴用にとられてから、子供ができんで、うちの面では急に人口が減りましてねえ」 徴用志願者による証言 [ ] 戦時中に自らが三菱手稲鉱業所で徴用を志願したは、当時1000名の鉱夫募集に対して7000人の応募者が殺到したために1000人が選考試験を受けたこと、「採用者(徴用者)たちは歓喜に溢れ、船内では全員歌舞に耽って、元気旺盛そのものであり、手稲鉱業所への就業後も、休祭日は自由に札幌市内に繰り出し、ショッピングはもとより銭函湾での船遊びまで楽しんだ」と証言している。 また北朝鮮と朝鮮総連は「強制連行と主張するが、強制連行か、志願か、または徴用に対する応募であったかは、主観的判断による」「国民徴用令に基づく徴用、または挺身隊の志願者が多かったのは明白な事実であって、それらすべてを強制的に連行したというのはおかしい」と批判している。 また、崔基鎬は、自身の徴用志願の体験を韓国の学者に語っても、その学者は「新聞で読んだ話は正反対」だとして、知人の実体験に基づく証言よりも、新聞の宣伝を信用するのであると述べている。 人数・総数 [ ] 当時の在日朝鮮人の全人口 の韓国政府見解では在日韓人は1939年に961,591人、1944年に1,936,843人。 (昭和34年)の日本外務省発表では在日朝鮮人の総数は1939年末で約100万人。 1945年終戦直前には約200万人とした。 法務省入国管理局「終戦前における在日朝鮮人人口の推移」によると、労務動員計画が開始された1939年の在日朝鮮人の人口は96万1591人、1940年119万444人、1941年146万9230人、官斡旋による動員が開始された1942年は162万5054人、1943年188万2456人、1944年9月から朝鮮全土で国民徴用令による動員が開始されたこの年の人口は193万6843人。 他方、1944年当時の朝鮮における総人口は2591万7881人であり、このうち内地人は71万2583人であった。 によれば、終戦当時の在日朝鮮人の全人口は約210万人。 また朝鮮人強制連行真相調査団は、2,365,263人だとする。 日本での調査・主張 [ ] 朝鮮人の労務動員の総数については、政府調査でも確定しておらず、研究者間でも様々な見解がある。 日本への 労務動員数としては、• 1945年9月の勤労局「朝鮮人集団移入状況調」で66万7684人とある。 この厚生省調査については、日韓両政府が採用している。 1961年12月21日の日韓会談で韓国政府が日本側に資料を提出しており、労務者66万7684人、軍人・軍属36万5000人、合計103万2684人が動員されたと主張した。 1962年2月23日の日韓会談で日本政府が韓国側に提出した資料「集団移入朝鮮人労務者数」によると、自由募集(1939年9月~1942年2月)14万8549人、官斡旋(1942年2月~1944年8月)約32万人、国民徴用(1944年9月~1945年4月頃)約20万人、総数66万7684人と記されている。 これらの数値は朝鮮半島から日本内地へ動員された朝鮮人労務者数であり、朝鮮半島内・樺太・南洋占領地等に動員された朝鮮人労務者は対象から除外された。 1947年頃に書かれた管理局『』(通巻第10冊:朝鮮編第9分冊)では日本への労務動員数は72万4787人とある。 また、朝鮮内外での国民徴用数を約27万人、現員徴用者は約26万145人、朝鮮内の官斡旋数は約42万人、軍要員は約15万人。 (昭和34年)の発表では、1939年末から1945年終戦までに増加した在日朝鮮人約100万人のうち、約 70万人は自発的渡航と出生による自然増加、残り 30万人の大部分は仕事の募集に応じて自由契約にもとづいたものと報告した。 軍務動員については、• 厚生省援護局「朝鮮在籍旧陸海軍軍人軍属出身地別統計表」(1962年)に24万2341人とある。 1953年の総務課「朝鮮人人員表(地域別)分類表(陸軍)」では25万7404人、同「終戦後朝鮮人海軍軍人軍属復員事務状況」に10万6782人とあることから、(代表、、)では合計36万人4186人としている。 日韓会談において日韓両政府が主張した朝鮮人軍人軍属総数は、韓国政府主張36万5000人 、日本政府主張24万2341人 であった。 様々な見解• は1955年の著書『在日朝鮮人処遇の推移と現状』で、昭和14年以来の 約60万の動員労務者中、逃亡・所在不明が約22万、期間満了帰鮮者,不良送還者その他をのぞくと事業場現在数は動員労務者の 半数にもみたなかった」と書いており 、これに従えば 約30万未満となる。 1974年の法務省・編「在留外国人統計」では、朝鮮人の日本上陸は1941〜1944年の間で 1万4514人とされ、同時期までの朝鮮人63万8806人のうち来日時期不明が54万3174人であった。 「(強制連行について)日本政府は、72万人としている」とは書いている。 ただし、日本政府は公式に72万人と計算を公表していない。 『角川新版日本史辞典』(1997年)では朝鮮人動員数は「 72万人とも 150万人とも」と書かれている(中国人は約4万人)。 は終戦時の在日朝鮮人は約200万人であり、1939年(昭和14年)からの朝鮮人内地移送計画によって終戦までに増加した120万人のうち戦時動員労働者が32万人、計画期間中に自発的に日本へ渡航した朝鮮人労働者とその家族が63万人、官斡旋・徴用で渡航した後に現場から逃走し自由労働者となった者が25万人であると述べている。 80万説• 山口公一は、日本や樺太、アジア太平洋地域などへの強制連行は 約80万人だが、朝鮮内への動員もなされており、合計 485万人に達すると主張している。 2014年、強制連行研究者の竹内康人が韓国の新聞に報告したところによれば、理事官の種村一男の資料から、1939年度から1944年9月までに朝鮮人59万9306人を労務動員の名目で「強制連行」したことが判明した。 その内訳は1939年度が7万9660人、1940年度が8万7133人、1941年度が7万5155人、1942年度が12万2262人、1943年度が11万7943人、1944年度4月〜9月が11万7152人(以上合計59万9305人)で、これに1944年〜1945年に動員30万人の推計を計算すると、約 80万人となるとした。 これまでの説では66〜72万人であったが、それには縁故募集は含まれていなかったとした。 在日韓国人による調査 [ ] の子団体、在日本大韓民国青年会の中央本部が、1988年に刊行した『アボジ聞かせて あの日のことを—我々の歴史を取り戻す運動報告書 -- 』では、渡日理由について、在日一世1106名から聞き取り調査し、「徴兵・徴用13. 韓国における主張 [ ] 在日韓僑について政権は、「300万人が帰国したが、まだ60万人が残っている」として「彼らに正当な権利を与えるべきだ」と主張した。 李承晩政権はに「」で、1905年から1945年にかけて約200万人の韓国人が日本移住を強要され、1942年から1945年だけでも約52万人が強制労役に従事した。 戦後約134万が送還されたが、約65万人が日本に残ったと主張した。 日本の外務省はこれに反論した(後述)。 では、 650万人の朝鮮人が強制的に動員され、 数十万人の朝鮮女性が強制的に慰安婦にされたと記載された。 しかし、教授は当時の20歳から40歳の朝鮮人男性は321万人で、16歳から21歳の朝鮮女性は125万人であるため、この数値は虚構であり、日本帝国による被害が誇張されていると批判した。 北朝鮮における主張 [ ] の後、の機関誌「」は記事で、強制連行された朝鮮人は840万人と新調査で解明されたと報道した。 また記事では、「強制徴兵者」の数は陸軍(志願兵)が1万7664人、陸海軍(徴兵)が24万847人、学徒兵が4385人、陸海軍(軍属)が15万4186、強制徴用者の総数は 778万4839人で、これに日本軍 慰安婦20万人 を足して 840万人と計算された。 同記事では日本が朝鮮を占領した当初から朝鮮人を野蛮な方法で抑圧、搾取し、さらに朝鮮人労働者に「中世期的な奴隷労働」を強要したことは「類例のない非人間的で反人倫的な犯罪」「人類史に前例のない最大、最悪のもの」「想像を絶する悪行」であると批判した。 具体的には朝鮮人労働者は一日に14〜16時間の労働を強いられた、朝鮮の青年を戦場で弾除けにした、朝鮮人女性を手当たり次第、慰安婦として連行して性奴隷の生活を強要したと述べた。 4月のでも北朝鮮は同様の主張をした。 こうした北朝鮮の主張については虚構とした。 戦後 [ ] 終戦時の帰国状況 [ ] 終戦後、1946年3月までに在日朝鮮人のうち140万人の帰還希望者が日本政府の手配などにより朝鮮に帰還した。 によれば、日本の敗戦によって強制労働させられていた朝鮮人労働者は先を争って帰国した。 のは1945年8月15日を「強制連行、強制労働からの解放の日」であったとした。 金はさらに「すべての朝鮮人強制連行者が、帰国を急いだ」が、「日本に進駐した米軍は朝鮮人の帰国を一時停止し、港に朝鮮人が集結することを禁止した。 (中略)事態が混乱し、収拾が困難になるにしたがい、進駐米軍も、朝鮮人強制連行者を帰国させる以外にこの混乱を収拾する方法がないことを認め、彼らの帰国が再開された。 」「強制連行者の多くは、この時期に帰国した」と書いている。 金賛汀はまた、帰国する朝鮮人の未払い賃金を、朝鮮総連が各企業に請求して徴収したが、そのほとんどは労働者個人には渡らず、朝鮮総連の活動資金となり、また朝鮮総連から日本共産党にも渡された、と述べている。 在日朝鮮人帰還事業と強制連行論 [ ] 詳細は「」を参照 休戦後、1959年からへのが推進されるようになった。 これに対して韓国は「北送」として抗議した。 外務省はを発表した。 韓国による強制連行論 [ ] 李承晩政権はに「」で、日本政府に対して以下のことを主張した• 「日本が植民地として韓国を占領した1905年から1945年の期間中、約200万人の韓国人が日本に移住することを強要された」• 「1942年から1945年に至る間でだけでも約52万人の韓国人が日本に連れて行かれ、軍需工場で強制労役に従事した。 「1939年に961,591人だった彼ら在日韓人は、1944年には1,936,843人に増加した。 1945年日本が降伏した後約134万名の韓国人が現在の大韓民国の地に送還されたが、彼らは過去数年間の強制労働の代価や財産上の損失、または彼らが受けて来た不当な待遇に対して何の補償も受けられないで送還されたので、残る約65万人の韓国人は日本に残る道を選んだ」。 「在日韓人は移住を強要され、また強制労働者として利用されただけでなく、日本で出生した日本人と同等の地位を付与しなかったのに、日本は彼らを日本国民として看做した」「1952年日本が独立を回復した後に、彼らは特別に優待されなければならなかったのにも拘わらず、日本政府は却って雇用、教育、厚生、法律適用、一般社会生活その他、すべての面でわざと差別待遇をした」• 「日本は1923年のの時、数十万の韓国人を大量虐殺した」• 「罪名も裁判もなく、またいつ釈放されるという希望も与えず、数多くの韓国人をに閉じ込めて置いた」 日本外務省による反論 [ ] このような「現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるという主張」に対する反論として、は(昭和34年)に「 在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」を発表した。 この朝鮮人渡来等に関する外務省発表では「第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがつてまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する」と明記され、実情として以下のことが記載されている。 1939年末日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約100万人。 1945年終戦直前には約200万人に達した。 この間に増加した約100万人のうち、約70万人は「自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加による」。 「残りの30万人の大部分は工鉱業、土木事業等による募集に応じて自由契約にもとづき内地に渡来したもの」であった。 元来、は朝鮮人(当時は日本国民)のみに限らず、日本国民全般を対象としたもので、日本内地では1939年7月に施行されたが、「朝鮮への適用は、できる限り差し控え、ようやく1944年9月に至つて、はじめて、朝鮮から内地へ送り出される労務者について実施」され、1945年3月(関釜間の運航が杜絶したため)までの短期間であった。 1945年8月から1946年3月までに、帰国を希望する朝鮮人は日本政府の配船によつて、約90万人、個別的引揚げで約50万人、計約140万人が朝鮮へ引揚げ、また復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。 1946年3月、連合国最高司令官の指令に基づき残留朝鮮人約65万人について帰還希望の有無を調査。 帰還希望者は約50万人ということであつたが、実際に朝鮮へ引揚げたものは約8万人にすぎず、「残余のものは自から日本に残る途をえらんだ」。 1946年3月の米ソ協定、1947年3月連合国最高司令官の指令により北朝鮮引揚計画がたてられ、約1万人が申し込んだが、実際に帰還したのは350人だった。 中は朝鮮南北いずれへの帰還も行わなかつた。 休戦成立後南鮮へは1958年末までに数千人が南鮮へ引揚げた。 北朝鮮へは香港経由等で数十人が、自費で「北鮮へ引揚げたのではないかと思われる」。 このように記載したあと、「こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残つたものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であつた。 戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残つたものは極めて少数である」とし、1959年時点での在日朝鮮人の総数は約61万で、外国人登録票について調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきたものは245人であったとした。 さらに、「終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であつて、現在日本に居住している者は、前記245人を含みみな自分の自由意志によつて日本に留まつた者また日本生れのものである。 したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない」と結論した。 1959年の在日朝鮮人の来住特別内訳表。 登録在日朝鮮人総数 611,085人• 所在不明 13,898人(1956年8月1日以降登録未切替)• 居住地の明らかなもの 597,187人• 終戦前からの在留者 388,359人• 1939年8月以前に来住したもの 107,996人• 1938年9月1日から1945年8月15日までの間に来住したもの 35,016人• 来住時不明のもの 72,036人• 終戦前の日本生れ 173,311人• 終戦後の日本生れおよび入国者 208,828人 外務省発表への批判 [ ] 外務省の見解については発表直後から在日コリアンによって批判された。 記事によれば、が具体的な数字を挙げて反論の声明を出した。 は、外務省発表が史実に目を向けていないことに大きな憤りを感じて事実発掘の研究をはじめ 、1965年『朝鮮人強制連行の記録』(未来社)を発表した。 この本は、強制連行という言葉が広がるきっかけになった。 朴によれば、朝鮮人の強制連行は日本政府が策定した「」に基づき実施された。 朝鮮人に対しては1944年8月まで(日本)人と異なりは適用されなかったが 、「企業による募集形式で強制連行された」と指摘している :50。 教授によれば、朴慶植によって初めて「強制連行」という言葉が日本軍による徴用に限定して使われた。 『朝鮮人強制連行の記録』には付録として北朝鮮の平壌での「朝鮮民主法律家協会の声明」(1964年3月20日)が添付されている。 大学院准教授は「在日コリアンの大部分が強制連行によって日本に来たとする主張は誤りである」が 、この外務省発表には「労務動員の実態把握の誤謬がある」と批判している。 外務省資料は、徴用(適用による徴用)以外の労務動員についてあたかも問題なしに進められ朝鮮人が望んで日本にやってきたかのように「『自ら内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加』が約70万人」と記録しているが、1939年以降の徴用ではない「募集」「官斡旋」と呼んでいた制度も「自由契約」とは到底言えないケースが多数見られており、それは、朝鮮総督府の事務官が『大陸東洋経済』1943年12月1日号において「労働者の取りまとめは…半強制的にやっております」と述べている事からも確認できるのだという。 外村は2010年の論文で「戦時期の動員計画に基づく日本の事業所への朝鮮人の配置は徴用によってのみ行われたわけではない。 すでに述べたようにそれ以前の「募集」「官斡旋」によっても行われたのであり、それらの場合でも暴力性を伴う労働者の充足=強制連行と呼ぶにふさわしい実態があった。 在日コリアンのルーツのどれだけが強制連行と関係しているのかを論じるのであれば、徴用によって日本に来た朝鮮人の外国人登録者の数字のみを挙げて云々するではなく少なくとも「募集」「官斡旋」によって日本に来た者でその後も居住している朝鮮人の数字を含めて考えなければならない」と主張している。 さらに「外務省資料は「朝鮮人徴用労務者」の日本内地への「導入」が「1944年9月から1945年3月(1945年3月以後は関釜間の通常運行が途絶したためその導入は事実上困難となった)までの短期間」としているが、これも間違いであり企業の文書や当時の新聞史料から1945年3月以降も徴用された朝鮮人の日本内地への送り出しが続けられていることが確認できる」としている。 なお、外村は「強制かそうではないかの議論は不毛だ。 本人が強制と考えたらそれは強制だ」と主張している。 戦後補償問題 [ ] 日韓基本条約・日韓請求権協定 [ ] 詳細は「」「」「」を参照 日本と韓国は1965年の と [ ]によって日韓請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」と確認した。 対日請求の再燃と賠償請求裁判 [ ] 詳細は「, 」を参照 韓国は1965年のによって対日請求権を放棄したとしてきた。 しかし、1991年8月27日、日本の参議院予算委員会で当時の外務省条約局長が「( 日韓基本条約は [ ])いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない。 日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができないという意味だ」と答弁。 それを受けて、韓国では1997年に朝鮮人強制連行に関連して賠償請求訴訟がはじまった。 その後、原告敗訴が続いた。 10月には、が小泉政権に朝鮮人強制連行問題の真相究明と被害回復措置を講じるよう勧告した。 また、朝鮮人強制連行問題は未解決であるとするが組織され、日韓政府へ働きかけて行った。 2005年の政権以降、対日請求が再燃したが、2009年、韓国政府は日韓請求権協定によって完了したと確認した。 しかし、さらに2012年5月、韓国最高裁(大法院)が「個人請求権は消えていない」と判定し、や(現)など日本企業は、徴用者に対する賠償責任があるとした。 2013年2月、の機械メーカーによる戦時中の動員に対して、強制動員被害者13人と遺族が計17億ウォン(約1億5000万円)の賠償を求める訴訟をソウル中央地裁に起こした。 2013年3月、(現)の釜石製鉄所()と()に強制動員された元朝鮮人労務者ら8人が、(現)に8億ウォン(約7000万円)支払いを要求してソウル中央地裁に損害賠償請求訴訟をおこした。 、ソウル高裁は判決で新日鉄住金に賠償を命じた。 その後、新日鉄住金は上告し 、官房長官は「日韓間の財産請求権の問題は解決済みという我が国の立場に相いれない判決であれば容認できない」とコメントした。 しかし、前記柳井局長答弁にあるように協定自体は個人の請求権を国内法的な意味で消滅させるものではない。 1993年5月26日の衆議院予算委員会における丹波實外務省条約局長答弁や 、2003年に参議院に提出された小泉総理の答弁書によれば同協定を受けて日本国内で成立した措置法によって請求の根拠となる韓国国民の財産権は国内法上消滅した。 実際に日本の裁判所で争われた旧日本製鉄大阪訴訟において、大阪高裁は2002年11月19日の判決で協定の国内法的措置である財産措置法による財産権消滅を根拠に一審原告の控訴を棄却している。 この裁判はその後上告を棄却され確定した。 大阪高裁が決め手とした財産措置法は日本の国内法であるから、日本法が準拠法として採用されない限り韓国の裁判所を拘束しない。 そのため、大阪高裁で決め手となった財産措置法は韓国の裁判所では争点となっていない。 その後、2018年10月30日、韓国大法院は個人的請求権を認めた控訴審を支持し、新日鉄住金の上告を退けた。 大法院判決多数意見は、徴用工の個人賠償請求権は請求権協定の効力範囲に含まれないと判断した。 これに対し、3人の裁判官の個別意見は、徴用工の個人賠償請求権は請求権協定の効力範囲に含まれるが、両国間で外交上の保護権が放棄されたに過ぎないとした。 この中で現在の日本政府の見解を肯定した日本の2007年最高裁判決の事案で問題となったサンフランシスコ平和条約についても言及し、個人損害賠償請求権の放棄を明確に定めたサンフランシスコ平和条約と「完全かつ最終的な解決」を宣言しただけの請求権協定を同じに解することは出来ないとしている。 また、2人の裁判官の反対意見は、徴用工の個人賠償請求権は請求権協定の効力範囲に含まれ、かつ、請求権協定によって日韓両国民が個人損害賠償請求権を裁判上訴求する権利が失われたとした。 その意見によれば、個人損害賠償請求権自体は消滅していないものの、日韓請求権協定によって外交上の保護権が放棄されただけでなく、日韓両国民が個人損害賠償請求権を裁判上訴求する権利も制限されたため、個人損害賠償請求権の裁判上の権利行使は許されないとのことである。 これに対して安倍首相は衆議院本会議において「1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決している。 この判決は、国際法に照らしあり得ない判断だ。 日本政府として毅然として対応していく」と答弁している。 2018年11月29日には同じく新日鉄住金に対して別の徴用工の遺族3人が提訴した訴訟の第二審判決が下される予定である。 歴史認識問題 [ ] 事典・辞書の記載 [ ] 百科事典等• の第2版の「強制連行」(執筆)では「1937年に日中全面戦争に突入して以降,労働力や軍要員の不足を補うために,日本は国策として朝鮮人,中国人を日本内地,樺太,南方の各地に投入したが,駆り集め方が強制的であったためこう呼ばれる。 」とし、「38年4月には国家総動員法が,翌年7月には国民徴用令が公布され,日本の内外地における労務動員計画がたてられた。 1939年の労務動員計画数110万のうち8万5000は朝鮮人に割り当てられ,各事業主にその狩出しを認可し,42年からは国家自身の手になる〈官斡旋〉に移行した。 」とある。 丸善エンサイクロペディアでは「(中国人1943-45、朝鮮人1939-45)第二次大戦中、中国人、朝鮮人を強制的に軍需動員したもの。 総力戦体制の一環として、中国人労働者、朝鮮人労働者内地移入に関する件が各々閣議、朝鮮総督府により決定された」と記述する。 のには「朝鮮人強制連行」という項目がある(執筆 [ ])。 「朝鮮総督府の官公吏・警察官および会社労務係らが一体となって暴力的に各事業所に強制連行した。 それらは割当て動員数を満たすため昼夜を分かたず、畑仕事の最中や、勤務の帰りまでも待ち伏せしてむりやりに連行するなど「奴隷狩り」のような例が多かった。 (中略)陸軍慰安婦として数万人の女性がの名のもとに狩り立てられた。 」と記載している。 『角川新版日本史辞典』(1997年)には「アジア太平洋戦争時に日本政府が朝鮮人や中国人に強制した労務動員を指して、一般に使われる。 戦時統制経済下で、政府は1939年(昭和14年)にを作成し、不足する労働力を「移入朝鮮人」で補おうとする方針を立てた」「連行先は日本国内だけでなく、樺太、東南アジア、太平洋諸国と広範囲におよび、炭坑・土木工事など、危険な重労働につかされたため死傷・逃亡が多かった」と書かれている。 近現代史研究者 は「辞典によっては朝鮮人を日本軍の兵士や軍属、「従軍慰安婦」としたことも強制連行として説明しているケースもある。 このような記述はこれまでの歴史研究の成果を反映したものである」と書いている。 辞書の記載 岩波書店のは4版以後で「朝鮮人強制連行」として記載が登場する。 【朝鮮人強制連行】• (6版2008年1月)日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。 女性の一部は日本軍の慰安婦とされた。 とは5版の記載を前提に、これは史実と異なる記述でありにもとづく記述は辞書に値しないと批判し、は訂正と謝罪を行うべきであると主張している。 辞典に言及した1997年の政府答弁 [ ] の参議院予算委員会において、議員の質問に対して政府委員である文部省中等教育局長は次のように答弁している。 一般的に強制連行は国家的な動員計画のもとで人々の労務動員が行われたわけでございまして、募集という段階におきましても、・・・任意の応募ということではなく、国家の動員計画のもとにおいての動員ということで自由意思ではなかったという評価が学説等におきましては一般的に行われているわけでございます。 (中略)例えば、ここにを持っておりますが、募集、官あっせん、徴用など、それぞれ形式は異なっていても、すべて国家の動員計画により強制的に動員した点では相違なかったというような、歴史辞典等にも載せられているところでございまして、私どもはこうした学界の動向を踏まえた検定を行っているということでございます。 批判 [ ] 「現在の在日は強制連行の子孫」説への批判• は『現代コリア』1991年1月号で「戦時中、徴用などという強制によって多くの朝鮮人が日本に連れてこられたことは事実である」としながら、戦後、自由を回復したあと日本に居住したが、自分たちで選んだ行為をなかったことにして、自分たちが日本に居る理由を「強制連行の結果」とすることはであると批判している。 田中は「自分たちは戦前、日本人にやられたまま、戦後の45年をも送ってきた哀れな存在」だとみなすことは、「みずからを貶めている」のであり、自己責任において決断と選択を繰り返す事が主体的に生きることであるが、「強制連行」論者は自分たちを「責任負担能力のない被害者」にしたてあげることで、それが「なんでもひとのせいにする韓国人」という不名誉な通念を補強していると批判した。 は、植民地時代に日本に来た朝鮮人のすべてを強制連行の結果とみなすことは「甚だしい歴史の改竄」であり「政治的な言説以外の何ものでもない」と批判し、教育の機会や経済的成功を夢見て日本へ渡航したと論じている。 強制連行説への批判• は斡旋・徴用で渡航した朝鮮人労働者は、現場を逃走し条件のよいに移動するケースもあり、それは「自由労働者」と当時呼ばれた。 また、日本政府は移送計画中も密航者を取締り、送還することもしていたが、西岡はこの朝鮮への送還こそ「本当の強制連行だ」と述べた。 は、の15歳から45歳までの男子と16歳から25歳までの女子もされたが、それは強制的なものであったし、応じない場合には「」として制裁を受けたのであって、「強制連行などという言葉で朝鮮人の被害者性を特権化し、また日本の加害者性を強調する態度はミスリーディングといわなければならない」と述べた。 鄭大均は2006年にも労務動員や徴用で渡日した朝鮮人を「強制連行」とするのは「後世の発明」であって、むしろ当時の渡航朝鮮人の多くは渡航を選択したとして、渡航をすべて強制連行のせいにするような議論はむしろ渡航した朝鮮人の品位を傷つける行為であると批判した。 また「強制連行」という言葉が1980年代のなどを背景に大衆化させたのは日本人のであり、彼らは「意識を自らの使命とするような人々であった」と論じている。 は鄭大均による強制連行批判を「無理解」「誤解」として批判したが 、これについて鄭大均は「有効な批判にはなりえていない」と反論した。 日本の教育における問題 [ ] センター入試出題事件 [ ] 2004年のの世界史B第1問の問5で、『日本統治下の朝鮮で、第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた。 』を正しい選択肢とする出題が行われた。 多くの教科書に記載されていれば出題してかまわない」と回答した。 受験生の中には「第二次大戦当時の言葉としてはなかった朝鮮人の『強制連行』が、確定的史実として出題され思想の自由を奪われた」として、大学入試センターに対し、この問題を採点から除くことを求める仮処分命令申し立てをに行なった者も出た。 なお請求は2005年10月2日、棄却決定が出ている(つくる会のサイトには未掲示)。 2004年2月26日、文部科学省高等教育局はの議員連盟・の総会にて、問題作成者の氏名を公表する方針を示した。 これに対しては反対した が、問題出題者が自らネット上を含めて論文などを発表した。 朝鮮人慰安婦問題と強制連行説 [ ] 詳細は「」を参照 の様相を呈したでは、日本でも女性や子供が戦時体制の為に動員され、動員対象地もから当時の一部であった朝鮮半島やへと広がった。 戦後の1977年以降、元軍人を自称するは戦時中になどでアフリカの奴隷狩りのように若い朝鮮人女性をで捕獲・拉致し、したと著書や新聞や講演などで語った。 しかし1992年には様々な調査によって否定されるようになり、93年の韓国の研究家の著作者である『証言・強制連行された朝鮮人慰安婦たち』でさえその証言の信憑性が疑問視され 、1996年には吉田が自ら証言の虚偽を認めた。 秦郁彦は『日本陸軍の本・総解説』(1985年、自由国民社)での著作『従軍慰安婦』の紹介を書き、そこで「昭和期の日本軍のように、慰安婦と呼ばれるセックス・サービス専門の女性軍を大量に戦場に連行した例は、近代戦史では他にない。 その7・8割は強制連行に近い形で徴集された朝鮮半島の女性だったが、建前上は日本軍の「員数外」だったから、公式の記録は何も残っていない。 ・・・・他に類書がないという意味で貴重な調査報告といえよう」と書いていた。 しかしその後の調査で秦は「問題は・・・女子挺身隊と慰安婦を混同したり・・「半強制・強制狩り出し」が横行したかのような書き方をした点にあった」と千田夏光の調査力を批判した。 また、慰安婦問題の最大争点は「官憲による組織的な強制連行があったか否か」であったとし、これについて吉見義明や韓国挺身隊問題対策協議会の鄭鎮星の意見を例に出して、「学術的レベルでは「強制連行はなかった」とする見方が浸透しつつあるので、運動家たちは次に示すような論拠で再構築をはかろうとしている。 」として、「 1 未発見文書に期待」「 2 監督責任を問う」「 3 強制連行の定義の拡大」「 4 挙証責任の転嫁」を挙げている。 のは1990年「挺身隊取材記」をに発表し、朝鮮人女性が挺身隊の名目でとして動員されたとして日本政府に真相究明と謝罪を求める声を挙げた。 これを受けては国会で責任を追及し、政府は1990年6月6日の第118回国会参議院予算委員会において「徴用の対象業務は国家総動員法に基づきます総動員業務でございまして、法律上各号列記をされております業務と今のお尋ねの従軍慰安婦の業務とはこれは関係がないように私どもとして考えられます」と、の募集は業務とは無関係であると答弁していた。 また、第120回国会でも、業務を担当したやなどからは資料は発見されなかったとも説明した。 1991年には、この答弁をテレビで見て憤激したが被害者として初めて名乗り出て「強姦」された体験などを語った。 これをは、「『』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」の一人が名乗り出た」と報じた。 1991年12月には、日本政府を相手に損害賠償裁判を起こした。 1993年に挺対協は「当時の国際条約に規定されているように[詐欺または、暴行、脅迫、権力乱用、その他一切の強制手段]による動員を強制連行だと把握するならば、本調査の(慰安婦)19人の場合は大部分が強制連行の範疇に入る。 」と主張した。 政府調査と河野談話 [ ] 「」を参照 日本政府は、関係省庁における関連文書の調査、米国国立公文書館等での文献調査、さらには軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査や挺対協の証言集の分析等の一連の調査を行ったが「強制連行」に該当する事例は確認できなかった が、韓国政府の意向・要望について受け入れられるものは受け入れ、受け入れられないものは拒否する姿勢で、当時の官房長官の名で談話を発表した()。 この談話の中には強制連行という言葉はないが、河野が記者会見で強制連行の事実があったという認識なのかという質問に対して 「そういう事実があったと。 結構です」と述べている。 また、韓国政府は河野談話を受けて「日本政府が今次発表を通じ、軍隊慰安婦の募集・移送・管理等において全体的な強制性を認定した」と論評した。 日本軍慰安婦強制連行説 [ ] は、オランダ人女性を強制連行して慰安婦にした以下インドネシアの8事例や中国慰安婦訴訟の2004年12月の判決(最高裁判決は上告棄却)から「強制連行は事実である」とのべている。 林は日本軍による慰安婦の「強制狩り出し」は43条および46条への違反であり、日本が化していた及び、占領した中国、フィリピン、インドネシアなどでの「未成年者の強制連行」について違反であり、また朝鮮半島における就業や騙しによる慰安婦の徴集を戦前日本の刑法226条に違反する誘拐事件であると主張している。 また、朝鮮半島での慰安婦業者は就業行為を行っていたが、警察と軍はそれを黙認し、「軍と共謀して慰安婦集めも組織した」。 また警察文書に「内密に」「何処迄も経営者の自発的希望に基く様取運」ように指示している事から 、「軍と警察が共謀して慰安婦を集めているが、それがばれると困るので、業者が勝手にやっているような振りをした」のだと解釈している。 ゆえに慰安婦制度は、「国家による大規模な犯罪」であり、それは現在の人権の水準に照らしてそうであるだけではなく、「当時の国際法に照らしても国内法に照らしても犯罪だ」と述べている。 朝鮮人慰安婦強制連行説への批判 [ ]• 名誉教授のは、と共同で3年間に渡って日本軍慰安婦について調査をおこなった 結果、強制連行があったとする一部の慰安婦経験者の証言はあるが、客観的資料は一つも見つからなかったとした。 また、2007年3月に「私の知る限り、日本軍は女性を強制動員して慰安婦にしたなどという資料はない。 貧しさからの身売りがいくらでもあった時代に、なぜ強制動員の必要があるのか。 合理的に考えてもおかしい」と発言し、当時兵隊風の服を来たものは多数いたし日本軍とは特定できないと発言している。 (も参照)• 元の評論家は、元日本軍慰安婦は大半が厳しい経済事情のため自ら性売買を望んだ人だとしている。 は、実質的に強制であるかどうかではなくて、物理的な強制連行の有無が問題だとし、「そうしないと、ある世代の全員が『強制連行』になりかねない。 」と異議を唱えている。 は、慰安婦の募集は現地の業者が行い、悪質な業者に騙されて慰安婦になるケースはあったものの、大多数の慰安婦は自由意思によるもので、強制連行には当たらないと主張している。 また、慰安婦は一般兵士の10〜50倍の報酬を支払われ、2015年現在の価値で1億円相当の収入を得た慰安婦もいたことや、接客拒否、外出、廃業、帰国の自由もあったことから、とも言えないとしている。 研究史 [ ] この節は歴史学論文を紹介していますが、全ての文献が網羅されているわけではありません。 1965年5月、『朝鮮人強制連行の記録』以来、1967年にが、翌1968年には田中直樹が、以後依田豪家や琴乗洞がそれぞれ論文を発表した後に、1975年にはの『証言 朝鮮人強制連行』が書かれている。 1977年に戸塚英夫は『日本帝国主義の崩壊と移入朝鮮人労働者』を「日本労使関係史論」(東京大学出版社)に発表し、翌年は『日本軍と朝鮮人』を書いて、当時の新聞社説から連行朝鮮人を調査した。 また、畑中康男は樺太の炭坑を調査し、『記録・朝鮮人労働者の戦い』を書いている。 1985年の遠藤公嗣の論文を巡って長沢秀との論争が起こった。 1960年代に公表された らの古典的研究は金英達、、らによって研究の精度の問題が指摘されている。 一方で廉仁縞は 「 金ミンヨンの研究 において、強制連行の実態は学会では様々な文献証拠によって証明されている」と解説している。 とはを共同で設立し 1997年より活動を開始し、日韓共通教材が作成され際に「強制連行」についての論文が提出された。 朝鮮人の徴用を扱った作品 [ ]• 『』……の小説。 1995年に監督、主演で映画化された。 脚注 [ ]• 朝日新聞デジタル「(インタビュー)強制連行、史実から考える 歴史学者・外村大さん」2015年4月17日• 内務省管理局「復命書(竹内徳治管理局長宛)」1944年7月31日,P23. P28• 崔基鎬「日韓併合」祥伝社、2004年,p40-46• 荒木和博:在日韓国・朝鮮人の参政権要求を糺す、現代コリア研究所 岩手大学構造工学研究室 (2009年版)• 長野邁、金旻栄「」経済論集第25巻第1号、1992年5月• 第2版• p61-63• 山田昭次「朝鮮人強制連行調査の旅から」季刊三千里第21号、1980年。 山田昭次「朝鮮人強制連行の研究ーその回顧と展望」季刊三千里第31号、1982年• 河明生、1997、『韓人日本移民社会経済史 戦前篇』、明石書店• 河宗文『日本本土移住の朝鮮人の生活と動員』p436、• 朝鮮人強制連行真相調査団『強制連行された朝鮮人の証言』p12、明石書店• 神戸大学附属図書館. 2018年1月20日閲覧。 吉見義明、林博文『共同研究 日本軍慰安婦』p46、大月書店• 国立公文書館アジア歴史資料センター 1934年10月30日. 河棕文『日本本土移住の朝鮮人の生活と動員』p439、• 河棕文『日本本土移住の朝鮮人の生活と動員』p440、• 経歴;一橋大学大学院 社会学研究科 特任講師、追手門学院大学 国際教養学部 アジア学科 准教授 など、論文に「植民地期朝鮮における神社政策と朝鮮社会」• 水野直樹他『日本の植民地支配 肯定賛美論を検証する』P40,P41ー• 朝鮮工場労務者内地移住幹施に関する件…アジア歴史資料センター(昭和15年9月5日)レファレンスコード:C01001832500• 檔案館, 廣西師範大學出版社編『日本関東憲兵隊報告集(第一輯)』6、廣西師範大學出版社、2005年、398頁• 庵逧由香『朝鮮における戦時動員政策の展開ー国民運動の組織化を中心に』『国際関係学研究』21津田塾大学、P7、1995• 樋口雄一『太平洋戦争下の女性動員』「朝鮮史研究会論文集」1994 32 , p125, 1994• 『』1943年12月1日号「座談会 朝鮮労務の決戦寄与力」• 外村大『朝鮮人強制連行』P63P〜76、P149、P178岩波新書• 国立公文書館 アジア歴史資料センター 外務省外交史料館A門「本邦内政関係雑纂/植民地関係 第二巻」 8.復命書及意見集/1 復命書及意見集の1 レファレンスコード B02031286700• 同センター コード B02031286700 19項目、画像右側、「四、第一線行政の実情 殊に府、邑、面に於ける行政浸透の現状如何」• 同センター コード B02031286700 23項目、画像右側「六、内地移住労務者送出家庭の実情」• 同センター コード B02031286700 28項目、画像左側。 「七、朝鮮内に於ける労務規制の状況並に学校報国隊の活動状況如何」「動員の実情」• 千葉県警察部特別高等課『昭和二十年・内鮮報告書類編冊』1945年9月28日付、東金警察署長から千葉県知事宛「終戦後の朝鮮人取扱に対し極度の不平不満に関する件」• 歴史教育研究会『日本と韓国の歴史共通教材をつくる視点』pp. 304-305、山口公一「大東亜共栄圏の中の植民地朝鮮」• 『朝鮮人徴用工の手記』訳、河合出版、1990年• 編『在日朝鮮人関係資料集成 第4巻』に収録されているの手記• 2019年7月1日 産経新聞• 131. 松代大本営の保存をすすめる会『マツシロへの旅』p9、• 松代大本営の保存をすすめる会編『ガイドブック 松代大本営』p14、2006年• 林えいだい『松代地下大本営』p27、1992年、明石書店• の活動記録の一部は国立国会図書館で「特高月報」を閲覧可能• 明石博隆, 松浦総三『昭和特高弾圧史8-朝鮮人に対する弾圧(下)』太平出版社、P233「国民動員計画に基づく移入朝鮮人労務者の状況」• 明石博隆, 松浦総三『昭和特高弾圧史7-朝鮮人に対する弾圧(中)』太平出版社、P238〜P240「国民動員計画に依る移入朝鮮人労働者の主なる紛争議」• 外務省アジア局北東アジア課「朝鮮人移入労務者数」(移入朝鮮人労務者数 昭和20年3月末)1962年2月9日• 明石博隆, 松浦総三『昭和特高弾圧史8-朝鮮人に対する弾圧(下)』太平出版社、P238• 『歴史学研究』567,歴史学研究会、1987• 『日本植民地研究』6,1994• 歴史教育研究会、監修加藤章、李存、編集君島和彦、木村茂光、坂井俊樹『日本と韓国 歴史教科書を読む視点』p210,214、梨の木舎• 『朝鮮新話』1950年• 森田芳夫「法務研究報告書第四三集第三号」『在日朝鮮人処遇の推移と現状』法務研修所1955年、17頁• 「日韓併合」祥伝社、2004年,p38-39• 崔基鎬「日韓併合」祥伝社、2004年,p40-43• 「日韓併合」祥伝社、2004年,p42• 「日韓併合」祥伝社、2004年,p46• 51-54. 「(三) アジア、豪州関係 1. 在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について 記事資料 昭和三十四年七月十一日」• 法務省入国管理局「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法案参考資料」(第2表 終戦前における在日朝鮮人人口の推移)• 外務省アジア局北東アジア課「日韓会談における韓国の対日請求8項目に関する討議資料」(朝鮮における道別、人種別人口調書 19. 1現在)1964年1月10日,P38• 朝鮮人強制連行真相調査団『強制連行された朝鮮人の証言』p12、公安資料統計ー「在日朝鮮人運動の概況」• 内訳:厚生省資料の集団移入朝鮮人労務者数66万7864人、終戦時現在数32万2890人• 外務省アジア局北東アジア課「一般請求権徴用者関係等専門委員会第1回会合」(朝鮮関係軍人軍属数)1962年2月13日• 森田芳夫『在日朝鮮人処遇の推移と現状』1955年• 法務省編「在留外国人統計」1974年• 朝鮮人強制連行真相調査団『検証・朝鮮植民地支配と補償問題』P21「日本の朝鮮植民地支配の実態とその不当性について」• p43-44• 『アボジ聞かせて あの日のことを -- 我々の歴史を取り戻す運動報告書 --』1988年• 歴史教育研究会、監修加藤章、李存、編集君島和彦、木村茂光、坂井俊樹『日本と韓国 歴史教科書を読む視点』P299、外務部政務局「在日本韓僑事情とその対策」、梨の木舎• PRESSIAN 2005年4月26日. 2012年7月23日閲覧。 ハンコクドットコム 2005年5月19日. 2012年7月23日閲覧。 『』2005年4月23日付• 2003年1月31日• 「慰安婦20万人」については参照• 国連代表部金永好書記官発表による。 『』2005年4月23日付• 朴慶植「朝鮮人強制連行の記録」P98、1965• 金賛汀『朝鮮総連』新潮社、2004年• 国立公文書館• 朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』未来社 1965年• 2010年• 2017年12月13日. の2017年12月15日時点におけるアーカイブ。 聯合ニュース 2009年8月14日、産経新聞2009年8月16日• 神前禎ほか「国際私法(第3版)」(有斐閣アルマ、2012年)、9頁で指摘されているように、裁判地によって準拠法が異なれば結論も異なる。 世界大百科辞典第2版 マイペディア(Web版)。 の(第二巻、1993年)は執筆が同じく田中宏。 内容もほぼ同じ。 sumquick. html、• 外村大『朝鮮人強制連行』岩波新書,p2• (4版1991年1月)「日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄などに強制的に連行し労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。 女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。 」 (5版1998年11月)「日中戦争・太平洋戦争期に百万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。 女性の一部は日本軍の従軍慰安婦とされた。 :『広辞苑』が載せた「朝鮮人強制連行」のウソ。 『広辞苑の嘘』光文社2001,pp210-211• p50-51• 『韓国、ひき裂かれるコスモス』平凡社、2001年、p169-170• p164-170• 「朝鮮人戦時労働動員」岩波書店2005• 2004年2月2日 産経新聞• 2004年2月4日 産経新聞• 新しい歴史教科書をつくる会• 財団法人 史学会• - 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-• 外部リンク [ ] 韓国の 李宇衍(イ・ウヨン) [ ]•

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