飛鳥 時代 仏像。 仏教文化が栄えた飛鳥時代! 広まる仏教と白鳳文化とは?

京都で見られる【国宝・重要文化財】の有名仏像15体

飛鳥 時代 仏像

友松 洋之子 (ともまつ よしこ)奈良市在住。 NPO法人奈良まほろばソムリエの会所属。 第1回Nara観光コンシェルジュアワード最優秀賞受賞。 講師、ガイドとして奈良の魅力を発信している。 飛鳥時代の仏像 飛鳥大仏 (銅造釈迦如来坐像)[飛鳥時代・銅造・重文] 写真:(株)飛鳥園 面長の輪郭や杏仁形(きょうにんぎょう)と呼ばれるアーモンド形の目は、多くの飛鳥仏に共通する特徴。 法隆寺金堂の釈迦三尊像〈国宝〉などにもみられます。 7世紀初頭に造立された像で、像高は約275㎝。 日本に現存する最古の仏像といわれます。 大部分が後世の補修とされていましたが、近年の調査の結果、現在はお顔や右手の大部分が造立時のままと考えられています。 飛鳥寺 本堂• 高市郡明日香村飛鳥682• 0744-54-2126 菩薩半跏 はんか 像 (寺伝では如意輪観音)[飛鳥時代・木造・国宝] 写真:(株)飛鳥園 優美な微笑みは古代ギリシャ彫刻などにもみられ、アルカイック・スマイルと呼ばれます。 和辻哲郎が『古寺巡礼』で『神々しいほどに優しい「たましいのほほえみ」』と絶賛した、優美な微笑みが印象的です。 衆生を救う方法に思いを巡らせる、半跏思惟像の代表のひとつとして知られます。 中宮寺 本堂• 生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2• 0745-75-2106 薬師三尊像 [飛鳥時代(白鳳期)・銅造・国宝] 写真:薬師寺 飛鳥仏と比べ、シルエットはより写実的に。 お顔も丸みを帯び、優しい表情が印象的です。 古代金銅仏の最高峰と称えられる、薬師寺のご本尊です。 像高254. 7㎝の堂々とした薬師如来坐像の左右に、日光・月光菩薩立像が立ちます。 寺は平城京遷都時に藤原京から移転しており、像も同時期に移されたと考えられています。 薬師寺 金堂• 奈良市西ノ京町457• 0742-33-6001 奈良時代の仏像 鑑真和上坐像 [奈良時代・脱活乾漆造・国宝] 写真:(株)飛鳥園 天平仏の特徴のひとつが、理知的で写実的な表現です。 鑑真和上像は日本最古の肖像彫刻としても知られます。 唐(中国)から苦難の末に来日した、鑑真和上の写実的な肖像。 像高は80. 8世紀に造立された像ですが、今もしっかりと彩色が残ります。 秘仏で開扉は6月5~7日のみですが、お身代わり像は開山堂で拝観できます。 奈良市五条町13-46• 0742-33-7900 十二神将立像 [奈良時代・塑造・国宝(1体は昭和の補作)] 写真:(株)飛鳥園 天平時代には乾漆造など多くの技法が確立しました。 新薬師寺の十二神将立像は、粘土で作られた塑造。 1300年もの間、両足で立っておられます。 十二神将とは、薬師如来を守護する12の武神の総称。 新薬師寺ではほぼ等身大の写実的な像が円陣を組み、本尊・薬師如来坐像〈国宝〉を守ります。 干支(十二支)の守護神としても信仰されます。 新薬師寺 本堂• 奈良市高畑町1352• 0742-22-3736 平安時代の仏像 釈迦如来立像 [平安時代(前期)・木造・国宝] 写真:(株)飛鳥園 平安前期の仏像の特徴のひとつが、翻波式(ほんぱしき)衣文と呼ばれる、大小の波が交互に並ぶ衣の表現。 この像は大きな波の間に2本の小さな波が並び、特に漣波式(れんぱしき)衣文と呼ばれます。 室生寺金堂〈国宝〉の中尊で、黒の尊顔と、像高237. 7㎝の堂々とした体躯が印象的です。 平安前期の造立で、光背に描かれた七仏薬師などから、当初は薬師如来として造立されたと考えられています。 室生寺 金堂• 宇陀市室生78• 0745-93-2003 大日如来坐像 [平安時代(後期)・木造・国宝] 運慶に代表される慶派仏師はその後も鎌倉幕府の庇護を受け発展。 東大寺、興福寺などにも、多くの慶派仏師による仏像が伝わっています。 鎌倉時代初期に活躍した天才仏師、運慶の最初期の作。 長く多宝塔に安置されていましたが、現在は新設された相應殿に移され、多宝塔には平成29年に奉安された、精巧な模刻像が安置されています。 円成寺 相應殿(そうおうでん)• 奈良市忍辱山町1273• 各ページの記載記事、写真の無断転載を禁じます。

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日本史の仏像の名前が覚えられないのですが、何か覚え方とかありますか??

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仏像彫刻品の種類や見分け方、時代ごとの特徴 仏像彫刻品は、寺院や美術館に安置、陳列されているものだけでなく、個人所有のものやお地蔵様など、多数現存しています。 仏像彫刻品を見る際に、彫刻に関する知識があると、より興味深く鑑賞することができるのではないでしょうか。 そこで今回は、仏像彫刻品の種類や見分け方、時代ごとの特徴についてご紹介します。 仏像の種類 仏様の姿を彫り刻んだ像である仏像は、狭い意味では 「如来(釈迦如来、阿弥陀如来など)」「菩薩(観音菩薩、地蔵菩薩など)」「明王(不動明王・愛染明王など)」「天(帝釈天・毘沙門天など)」の像を指します。 しかし、 弘法大使や羅漢などの祖師像、僧形八幡神像などの神像も仏像に含めることがあります。 仏像の誕生 初期の仏像は、 釈迦の姿を拝むために作られたといわれています。 しかし、釈迦が亡くなってからすぐに仏像が作られるようになったわけではありません。 釈迦の没後しばらくは、菩提樹や法輪、足跡などで釈迦は象徴的に表されていました。 生前の釈迦が、弟子に「自らを灯とし、法を灯とせよ(自己と法(真理)を拠りどころとしなさい)」と教えを説いたため、偶像崇拝がはばかられたことが影響していると考えられています。 その後、仏像が作られるようになったのは アレクサンドロス大王の東方遠征によって、西方のギリシャ文化や古代オリエント文化がアジアに持ち込まれた影響です。 光背(後光)を背負うギリシャ風の顔立ちをした釈迦には、ヘレニズム文化が色濃く出ています。 ガンダーラ仏像の特徴 西北インドのガンダーラ地方と北インドのマトゥラー地方で最初の仏像が作られ、中央アジアから東アジアへと伝わっていきました。 仏像が作られた時期は1世紀末から2世紀初めといわれています。 ガンダーラ仏像は、 眉間の上の白く長い毛(白毫)、カールした長髪を頭上で束ねた肉髻、西洋人風の容貌,両肩を覆う厚手の衣に深く刻まれた襞などを特色とし,表現は 具体的・現実的な傾向が強く、 光背を背負っているという特徴を持ちます。 日本の仏像と時代ごとの特徴 日本には、 木像、石象、塑像、乾漆像、金銅像などの仏像が存在します。 木像が多く作られる時代もあれば、金銅像が多く作られる時代があるなど、時代によって仏像に使用される材質が異なります。 ここでは飛鳥時代から鎌倉時代までの仏像についてご紹介します。 飛鳥時代 中国や朝鮮半島を経由して日本に仏教が伝わり、仏像も作られるようになりましたが、伝わって間もない飛鳥時代は 釈迦如来、弥勒菩薩、観音菩薩の仏像に限られていました。 北魏様式と南梁様式の2タイプがあり、左右対称の幾何学的衣文、杏仁形の目、仰月形の唇があれば 北魏様式、顔・姿が柔和な特徴を持つ仏像であれば 南梁様式です。 白鳳時代 白鳳時代には仏像の種類が増え、南アジアやインド風の仏像も作られます。 明るく若さにあふれた作風の金銅像が多くなります。 代表的な仏像として、薬師寺の三尊像や聖観音像、法隆寺阿弥陀三尊像・夢違い観音像があります。 天平時代 天平時代には、国が寺の建立や仏像の造営、仏教の地方への伝播に努めたこともあって、技法も 石造、乾漆造、塑造などのさまざまな技法で仏像が作られます。 写実的で美しい体型のものが多く、東大寺法華堂の日光・月光菩薩像や不空羂索観音像、東大寺戒壇堂四天王像、新薬師寺十二神将像が有名です。 平安時代初期~中期 平安遷都以後は木像が主流となり、 密教派の多面多臂(複数の手と顔を持つ)の明王像などが多く作られます。 豊満で切れ長の目が特徴です。 観心寺如意輪観音像や神護寺五大虚空蔵菩薩像なども密教と結びつきのある仏像です。 平安時代後期 平安時代後期、遣唐使が廃止されると 和様彫刻が中心となり、中でも仏師の定朝による 「定朝様」が隆盛を極めます。 伏し目・丸顔の穏やかな風貌と優美な体型が特徴です。 また、末法思想の影響により、三十三間堂などのような 大規模な仏像群も作られました。 地方にも豊後臼杵の磨崖仏群や奥州平泉の中尊寺の仏像などがあります。 平等院や浄瑠璃寺の阿弥陀如来像も平安時代後期に生まれました。 鎌倉時代 鎌倉時代には、 武士の気風を感じさせる力強く写実的な仏像が好まれるようになります。 運慶らが中心となり、東大寺南大門金剛力士像のような 大規模で巨大な像も造られました。 中国から「宋朝様」の仏像が伝来した時期も鎌倉時代です。 おわりに 中国や朝鮮半島から伝わった仏像は日本独自の進化を遂げ、現在では日本の伝統文化として世界から高く評価されています。 時代ごとの特徴を押さえて、仏像の良さを深く味わってみてはいかがでしょうか。 「いわの美術」では、仏像彫刻品の査定・買取も行っています。 ご自宅に仏像が眠っている場合は、価値を確かめるためにも一度査定を検討してみてはいかがでしょうか。

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古美術商で、販売されている、古い仏像は、何時代のものがある...

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法隆寺の歴史 法隆寺は飛鳥時代、607年に推古天皇と聖徳太子が建立し、薬師如来像を祀ったのが始まりとされています。 聖徳太子の父である第31代天皇・用明天皇が自身の病気平癒のために建立を発願しましたが、志半ばで亡くなってしまったために、その遺志を継いだともされています。 日本書紀によれば、670年に落雷による火災で伽藍や塔が焼失してしまいましたが、その後すぐに再建されてそれらの建築物のほとんどが当時の姿のまま現在まで残っています。 法隆寺は世界最古の木造建築であり、日本と大陸の文化交流を示すものとして、1993年に世界文化遺産に登録されました。 現在、日本にある国宝の仏像の数は131体で、そのうちの17体は法隆寺が保有しており、これは同じ奈良県にある興福寺とともに日本一となっています。 ちなみに仏像の数え方は、普通は「1体・2体」で、他にも「1尊・2尊」「1躯・2駆」など数種類存在しています。 法隆寺の仏像 法隆寺の西院伽藍は現存する世界で最古の木造建造物群とされていますが、その中には多くの貴重な仏像が祀られています。 まずは中門の両側にある、阿・吽(うん)の一対の仁王像は、どちらも塑像(木、もしくは金属の芯に粘土で肉付けしたもの)です。 この像は711年に造られてからほぼ野ざらし状態で安置されていたにも関わらず、現在まで1300年間も立ち続けているという、現存する最古の金剛力士像です。 法隆寺には本堂というものがなく、金堂が本堂と同じ位置づけとなっており、そこには釈迦三尊像(国宝)・薬師如来像(国宝)・阿弥陀三尊像(重要文化財)が祀られています。 他にも、日本最古の四天王像、木造毘沙門天立像、吉祥天立像など、一度は見ておきたい仏像が全部で17体所蔵されています。 飛鳥時代の仏像の特徴と魅力 飛鳥時代の仏像の一番の特徴として、古代ギリシャの人物彫刻特有の「アルカイックスマイル」にあります。 アルカイックスマイルとは、結んだ唇の両端がやや上向きで微笑んでいるような表情のことを指し、「古拙の微笑」ともいわれます。 目は「杏仁形」で、杏仁とは杏(あんず)の種の中の核のことで、アーモンドアイとも呼ばれており、瞼の上下が同じ弧を描いていることが特徴です。 これは、正面からの礼拝や鑑賞を意識して作られたものとされており、服はインドの像のような薄着ではなく、中国の影響を受けた厚着です。 飛鳥時代の仏像は日本が国際的な交流を持ったことによって、さまざまな国の影響を受けています。 そして1400年も前に作られた仏像の優しい微笑みは、私たち現代人の心を癒してくれる、それが大きな魅力と言えるのではないでしょうか。

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