ブンブ クチャ ガマ。 オカメブンブク

丹後の海の生き物(ブンブクチャガマ)/京都府ホームページ

ブンブ クチャ ガマ

概説 [ ] おとぎ話では、が手放した茶釜(狸の化身で、頭・足・尻尾が生える)が、などの芸をし、これを商売に屑屋が財を築き、茶釜を元の寺()に返還する。 茂林寺は群馬県に実在する寺で、現在も文福茶釜を所蔵する。 ただし寺のは、狸の化けた釜とはせず、古狸(貉)の老僧愛用の「福を分ける」分福茶釜であるとする。 千人の僧が集まる法会で茶をたてたが、一昼夜汲み続けても釜の湯はなくならなかったと記される。 狸や狐が茶釜に 変化 ( へんげ )する昔話(民話)は、全国に分布する。 人間に恩あるか言いくるめられて茶釜に化け、寺の和尚などに売りつけられるが正体が発覚する、という粗筋の類話群である。 狸が芸をする要素()は民話例に少ない。 ・民話研究では、狐の系のが原形とされ、よって『』の分類である「文福茶釜」(238B型)と、「」型、「」型は、大まかに分類すれば同種とみなされている。 のでは、また違った粗筋の滑稽話になっている。 語源 [ ] 「分福」という名の由来については諸説ある。 この茶釜には八つの功徳があり、「福を分ける茶釜」という意味から分福茶釜と呼ばれるようになったという説明や 、する音のという説がある。 また「 文武火の茶釜」とも表記されるが 、文火は弱い火、武火は強い火を指す。 同じ語釈は、の『』「 ( もりんじのかま )」の添え文でも述べられており、文武火の釜が正しい名であるとしている。 おとぎ話版 [ ] のおとぎ話版『文福茶釜』によって広く人口に膾炙したという評もある。 その要約は、次のようなものである: ので、が趣味であるさんが茶釜を買って寺に持ち帰る。 和尚の居眠り中、茶釜は頭や尻尾、足をはやし、小坊主たちにみつかり騒動となるが最初和尚は信じない。 しかし湯を沸かそうと茶釜をにかけると 、足のはえた正体をあらわす。 怪しい釜なので出入りのに売却。 その夜、茶釜はみずから不思議な姿をあらわし、狸の化けた茶釜だと正体をあかし、文福茶釜と名乗る。 狸は、寺での扱いをなじり(火にかけられたり、カンカン言わせて叩かれたり)、屑屋には箱にしまうでもなく丁重に養ってもらいたい、そのかわり軽業、踊りの芸を披露する、ともちかける。 屑屋はを立ち上げ、茶釜大夫の曲にあわせた芸は人気を博す。 一財をなした屑屋は満足し、もうけの半分をとするとともに茶釜をもとの茂林寺に返還し、同寺の宝となった。 この、から顔や手足を出した狸の姿や、傘を持って綱渡りをする姿のイメージが、広範にそして甚だしく化されて伝えられてしまっている。 場所(茂林寺)まで指定するのは、これが伝説から純粋な童話になりきっていないひとつの兆候だとはしている。 近年での改変 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2019年6月) 見世物小屋が繁盛した後の結末が二つに分かれる• 古道具屋がタヌキを元の姿に戻す方法を模索するが、タヌキは化けたままで居続けた疲れから病にかかり、古道具屋の看病も虚しく元に戻れないまま死んでしまう。 悲しんだ古道具屋は茶釜を引き取った寺で和尚さんに全てを話してタヌキをしてもらい、茶釜は寺の宝として安置される。 タヌキはかつて和尚さんに食べ物を恵んでもらった恩があり、古道具屋が再び寺を訪れた際にその事を思い出した和尚さんと再会を喜んで寺で暮らすことになる。 茶釜は毎日お供え物をもらい家宝になる。 寺社伝説 [ ] 画『新形三十六怪撰』より「茂林寺の文福茶釜」。 タヌキが僧に化けたという説に基いて描かれたもの。 茂林寺につたわる伝説などでは、文福茶釜の持ち主の正体が貉や狸であって、狸が茶釜に変身することはない。 茂林寺縁起 [ ] 茂林寺の等によると、年間の開山 より代々の住職に161年仕えた老僧、守鶴が七世の住職月舟正初につかえたおりの千人のとき 披露した無尽の茶釜が由来であり、その茶釜からいくら湯を汲んでも中の湯がなくならなかったことから、守鶴はその釜を福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と命名した、とされる。 その後十世の住職の時代、守鶴は(または狸)の姿を現してしまい、寺を去った。 実際にはのであったろうといわれた。 茂林寺に現存する伝・分福茶釜は、製、容量1斗2升(21リットル強)、 真形 ( しんなり )のである。 周囲は4尺 1. 2 m 、重量3 11. 2 kg 、口径は8寸 24 cm で、元の蓋は逸失しており、現在は新たに作られた蓋があてがわれている。 茂林寺がの際に発行している「分福茶釜略縁起」はいくつか異本があり、含まれる要素もまちまちである。 そのうち古いものは建前上は天正15年()とあるが 、実際は以降の版行ではないかと考察されている。 19世紀頃の稿本は、『甲子夜話』巻三十五に所収された縁起と文章がまったく一致する。 それらでは、守鶴が茂林寺で経た歳月は120余年となっており、で釈迦の説法を聞いたこともあり、齢は数千年に達し、日本に渡ってきてからも800年が経つとも明かしたとされる。 書を能くしたが、はほぼ残らず、の札があるのみという。 茶釜の茶で練って丸めた秘薬を守鶴が伝えたとも記される。 また、守鶴の役職は ( なっしょ )であったということが、「分福茶釜略縁起」にはないが『真書太閤記』等の記述にみつかる。 著『』第一、巻三十五 にも所収されているが 、掲載される(漢籍の)文章は縁起と同じである。 高源寺 [ ] 茂林寺の史料によれば守鶴は住職を務めてはいなかったが、高源寺(群馬県の旧狸塚(むじなづか))の開山・(つまりは住職)であり 、狸の正体が発覚した時にこの釜を持って茂林寺に逃げたという言い伝えがあり、このとき蓋を落としていったとされる。 文福茶釜が、もともとは自分の寺にあったという伝承は、高源寺をふくめて群馬県の五つの寺にある。 江戸期の戯作 [ ] のの例は幾つかあるが、似たような内容である。 最古は・(1680年頃)出版の赤小本『京東山ばけ狐』で、狐の物語である。 の画による年間の赤本『ぶんぶくちゃがま』はその改作で、(一部の役割が)狐から狸に置き換わっている。 あらすじは、京都の東山殿()の茶坊主で、ぶんぶくという名の者が、狐を捕らえて料理しようとする、窮した狐は茶釜に化けるが、火にかけられ「ぶんぶくちゃがまに尾が生えた」などと坊主たちにはやし立てられる。 火傷を負った狐は貉に復讐を託す。 貉は、事が発覚して裸で追放された四人の坊主たちを見つけ、巨大なを広げて覆いかぶせて暖めるが、捕獲されて東山殿( )に献上される。 が版元の『ぶんぶく茶釜』(刊行年次不詳 )も同様の内容で、ただし(つまり)にされそうになった貉(狸)が 自ら報復する話にすり替わっており 、近藤清春の作品の改作と目されている。 ここでは、茶坊主らがはやし立てる文句は「文福茶釜に毛が生えた」であるが 、これは頃から常套句となっているとされる。 台詞として(作の『』(享保5年(1720年)初演)にも使われており 、『本朝俗諺志』では釜でなく釜の持ち主に毛が生えたことをさす、と守鶴の伝説につじつまを合わせた説明をしている。 民話 [ ] (『日本昔話集成』、『日本昔話大成』)では同類の群を「 237B 文福茶釜」に分類している。 構成内容は次のようなものである: ある男が狐(狸)と助けた代償として、あるいは狐(狸)を騙して茶釜になりすまさせ、これを売却して金銭を得る。 (売り先はたいがい和尚で、磨かれると茶釜は「痛い」といい、火にかけられると「熱い」といって踊りだす、と英文版では付け加えられている )。 のち、茶釜は逃亡するか、もとの男の元に帰り、あるいは踊りの芸で金儲けをさせる。 このうち、版のおとぎ話のように、芸で金儲けをさせるがみられるのはきわめて少数派である。 狸と狐 [ ] 関は、幾つか各地の民話例を『日本昔話大成』の本格昔話編で掲載している。 そのうちくず屋の爺さんと狸の話(の採集話)は 、により文福茶釜類型の典型例にも選択されている(『日本昔話名彙』)。 酷似するが狐が化ける話が、「 化け茶釜」()である。 男が代金として和尚から三をせしめる、最後に茶釜が山に逃げ出すなどの詳細が両話に共通している。 分類のあいまいさ [ ] 文福茶釜の類話群は、「」型や「」()型 とはっきり区別しにくく、おおまかにいえば「同種」であると柳田國男は指摘しており 、関敬吾も同様のことを述べている(後述)。 それは例えば「狐遊女」のなかには、茶釜、馬、遊女の順に狐が化ける例もあるからである(「狐の報恩」、岩手県『上閉伊郡昔話集』)。 柳田の推察では馬に化けるかたちがもっとも古く、次いで茶釜に化けるかたちができたとしている。 関敬吾の場合も、「文福茶釜」、「狐と博労」、「狐遊女」、「三人博労」 などは、欧米民話学の「魔術師とその弟子」型( 325)にあてはまるとしている。 実践 [ ] 榎本千賀の論文では「文福茶釜」の伝承として125点の昔話(民話)例を集計しているが、これは広義の意味で動物の茶釜変身譚をすべてカウントするので、「狐と博労」や「狐遊女」の話も含まれている。 これらは東北から九州まで広く分布している。 柳田國男のさらなる分析 [ ] 者のはまた、基話の 「狐の恩返し」を基にすれば、動物と人間との交渉(交流)を物語る昔話の根幹には〈動物援助〉の考えがあり、選ばれた人間にである鳥獣が富を与えるのだという。 そこで動物の危機を救ってやり報恩を受けるのを見ると、動物が的に尽くす好意も理解できる。 動物援助から動物報恩に移行する過渡的な様相を帯びた話といえる。 その他地域の民話例 [ ] 南原横堀町のにも似た類種の伝説が伝わっているが、こちらも狸ではなくが登場する。 翻案 [ ]• 『』 - 本作をモチーフにした映画。 注釈 [ ]• 茂林寺の縁起類(『甲子夜話』も含む)に記述。 『本朝俗諺志』に「水をさせば五七日がほど湧出て.. 常よりぶんぶくゝゝと沸りける」とある。 巌谷小波は単に「 爐 ( ろ )」としているが、明治時代の別の童話本では「」であり 、ちりめん本の挿絵などでも囲炉裏として描かれる。 版では、寺の段では狸だと一切触れられていないが、ジェームス夫人訳では寺の段階で"badger"であると判明している。 開山は応永33年()とされている。 元亀元年()の会合とされる。 軍記物に取り入れられた説明だと天正7年(1579年) か、天正10年(1582年) となっている。 伝説上、守鶴が寺を去ったとされる年• ただし守鶴が高源寺の住職だったという裏付け史料はない。 高源寺(茂林寺の末寺であるという)は、「二百八十年前」(1500—1540年頃)に「正鶴〔ママ〕」が開いたという村人の言い伝えを、も『一話一言』(1779—1820年)で記録する。 坊主らは四人おり、ぶんぶく、ぶんさい、ふくさい、ふくわん(福庵)という名。 「むじな」は清春の画では「狸」と書かれて扇子を持っている。 図書館記録上ではW3CDTF形式で1700年となっているが、文中に1734年初演の歌舞伎『』にふれるので、それ以降の作。 原文では"むじなのすいもの"。 英文版では Types of Japanese Folktales No. 130 に分類。 また、両話とも報恩譚といえるかどうか。 いずれも狐(狸)は頼みを引き受けるが、何かの恩返しか不詳である。 よって発端が明確でないパターンとして、「命を助ける」恩が発端・「だます」発端のパターンとも榎本論文では区別している。 (表の69番、15番)。 柳田のいう狐遊女型は、関敬吾『日本昔話大成』の「238 狐と博労」と「239 狐遊女」 の両方を含む。 『日本昔話大成』「625 三人博労」 出典 [ ] 脚注 []• 、244頁• 138—139. Crepe-paper Books and Woodblock prints at the Dawn of Cultural Enlightenment in Japan 文明開化期のちりめん本と浮世絵. 京都外国語大学 2007年. 2019年6月24日閲覧。 ; 稲田和子 三省堂、2001年、139頁。。 広文庫. 広文庫刊行会. 814. 『一話一言』(1779—1820年)等• 、244頁• 『』中、長野屋勘吉、1805年。 2017 , , translated by Hiroko Yoda; Matt Alt, Courier Dover Publications, p. 204, ,• 141. 2007. Robert McGuire 画. Cavendish Children. 読売新聞(英語版): "不朽の名声を得た immortalized "。 童話作家ティム・マイヤーズの序文による。 小森宗次郎、1876年。。 「文福茶釜」, 221—237頁• 、242頁• 140. , pp. 135. 『日本歴史大辞典』 18巻 河出書房、1959年。。 135—136. 「寄手難戦の事幷分福茶釜の事」• 広文庫. 広文庫刊行会. 812—814. , p. 137. , p. 139. ArtWiki. 立命館大学アート・リサーチセンター. 2019年6月24日閲覧。 , p. 156. 、1984年、20頁。。 136. 、248—249頁• , pp. 136—137. , p. 『日本歴史大辞典』 8巻 河出書房、432頁、1959年。。 『』稀書複製会、米山堂、1928年。 (復刻版)• , pp. 143—144, 150. 1700 2020。 , p. 153. , p. , p. 153. 2018年. 国立国会図書館. 2019年7月7日閲覧。 国立国会図書館 国際子ども図書館 2018年. 江戸絵本とジャポニズム. 2019年7月1日閲覧。 俳諧集『文武具茶釜』 1820年 、, p. 141に拠る。 、262—263頁• 1966 , , Society for Asian Folklore, pp. 67—68 ,• , p. 153 [ 記号 でのパターン]は小波版に相当するが"意外に昔話の採録の中に出てこない"。 156, "綱渡.. [は] 意外に昔話の採録の中に出てこない"。 、『日本昔話大成』第6巻、本格昔話5、113—114頁• 1986. Yanagita Kunio Guide to the Japanese Folk Tale. translated by Fanny Hagin Mayer. Indiana University Press. 127. (英語)• 小笠原謙吉「一九 化げ茶釜」『』柳田國男、三省堂、1942年、42—43。 , pp. 145, 142; 記号解説 p. 149• 127—128. 、132, 180頁。 , 『』、5頁。 , pp. 141、表2 pp. 142—148、記号と分布図 p. 149。 参考文献• 「其十二 文福茶釜」『』博文館、1908年、221—237。 「昔話と子ども絵本 昔話のコスモロジー ; 昔話,追跡と確認 」 『國文學 : 解釈と教材の研究』 34巻11号、84-89頁、1989年。 榎本千賀 『大妻女子大学紀要 文系』 26号、135-157頁、1994年。 James, Mrs. 1886. Japanese Fairy Tale Series. Yoshimune Arai 画. Hasegawa. 「一〇 文福茶釜の傳說童話」『』大東出版社、1941年、240-270頁。 部矢祥子 『國文學論叢』 62号 龍谷大學國文學會、143-170頁、2017年。。 『』中央公論社、1973年。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - の一種。 ・ブンブクチャガマ科。

次の

謎の生物、ブンブクチャガマ

ブンブ クチャ ガマ

先日の日曜日、鳥羽水族館初となるライオンが入館しました… 話題のスナドリネコに続いてついにライオンまで…ではなく 笑 ウニの仲間ですね。 ウニの仲間には、おそらく外見のタヌキっぽい印象からそう名付けられた、ブンブクチャガマ類(あの日本昔話の分福茶釜ね)というグループがいます。 それぞれの種名もユニークで、例えばブンブクチャガマ、キツネブンブク、タヌキブンブク、アナグマブンブク、ネズミブンブク、コザルブンブク、ヤマアラシブンブク、ウルトラブンブク…などなど。 今回入館したのがライオンブンブク Metalia sternalisです。 残念ながら既に死亡していたので標本にします ちなみに同属にはライオネスブンブク(雌ライオンの意)という種もいます。 …ライオネス飛鳥ではない 笑 棘を取り除いて背面から撮影 腹面から撮影 左側面から。 お尻がキュッと上がっています。 ライオンブンブクを目にするのは私は初めてですが、過去に三重県での採集例はあるようです。 三重県立博物館の棘皮動物リストにも掲載されていました。 実はこのウニ、元々の和名はオオブンブクモドキでしたが、改称されてライオンブンブクになったという経緯があります。 ライオンに似ているかはともかくとして、ユニークな名前に改称されたことで話題に上がりやすくなったのは確かなようです。 【飼育研究部 森滝丈也】.

次の

博多 個室居酒屋 ぶん福茶がま(地図/博多/居酒屋)

ブンブ クチャ ガマ

概説 [ ] おとぎ話では、が手放した茶釜(狸の化身で、頭・足・尻尾が生える)が、などの芸をし、これを商売に屑屋が財を築き、茶釜を元の寺()に返還する。 茂林寺は群馬県に実在する寺で、現在も文福茶釜を所蔵する。 ただし寺のは、狸の化けた釜とはせず、古狸(貉)の老僧愛用の「福を分ける」分福茶釜であるとする。 千人の僧が集まる法会で茶をたてたが、一昼夜汲み続けても釜の湯はなくならなかったと記される。 狸や狐が茶釜に 変化 ( へんげ )する昔話(民話)は、全国に分布する。 人間に恩あるか言いくるめられて茶釜に化け、寺の和尚などに売りつけられるが正体が発覚する、という粗筋の類話群である。 狸が芸をする要素()は民話例に少ない。 ・民話研究では、狐の系のが原形とされ、よって『』の分類である「文福茶釜」(238B型)と、「」型、「」型は、大まかに分類すれば同種とみなされている。 のでは、また違った粗筋の滑稽話になっている。 語源 [ ] 「分福」という名の由来については諸説ある。 この茶釜には八つの功徳があり、「福を分ける茶釜」という意味から分福茶釜と呼ばれるようになったという説明や 、する音のという説がある。 また「 文武火の茶釜」とも表記されるが 、文火は弱い火、武火は強い火を指す。 同じ語釈は、の『』「 ( もりんじのかま )」の添え文でも述べられており、文武火の釜が正しい名であるとしている。 おとぎ話版 [ ] のおとぎ話版『文福茶釜』によって広く人口に膾炙したという評もある。 その要約は、次のようなものである: ので、が趣味であるさんが茶釜を買って寺に持ち帰る。 和尚の居眠り中、茶釜は頭や尻尾、足をはやし、小坊主たちにみつかり騒動となるが最初和尚は信じない。 しかし湯を沸かそうと茶釜をにかけると 、足のはえた正体をあらわす。 怪しい釜なので出入りのに売却。 その夜、茶釜はみずから不思議な姿をあらわし、狸の化けた茶釜だと正体をあかし、文福茶釜と名乗る。 狸は、寺での扱いをなじり(火にかけられたり、カンカン言わせて叩かれたり)、屑屋には箱にしまうでもなく丁重に養ってもらいたい、そのかわり軽業、踊りの芸を披露する、ともちかける。 屑屋はを立ち上げ、茶釜大夫の曲にあわせた芸は人気を博す。 一財をなした屑屋は満足し、もうけの半分をとするとともに茶釜をもとの茂林寺に返還し、同寺の宝となった。 この、から顔や手足を出した狸の姿や、傘を持って綱渡りをする姿のイメージが、広範にそして甚だしく化されて伝えられてしまっている。 場所(茂林寺)まで指定するのは、これが伝説から純粋な童話になりきっていないひとつの兆候だとはしている。 近年での改変 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2019年6月) 見世物小屋が繁盛した後の結末が二つに分かれる• 古道具屋がタヌキを元の姿に戻す方法を模索するが、タヌキは化けたままで居続けた疲れから病にかかり、古道具屋の看病も虚しく元に戻れないまま死んでしまう。 悲しんだ古道具屋は茶釜を引き取った寺で和尚さんに全てを話してタヌキをしてもらい、茶釜は寺の宝として安置される。 タヌキはかつて和尚さんに食べ物を恵んでもらった恩があり、古道具屋が再び寺を訪れた際にその事を思い出した和尚さんと再会を喜んで寺で暮らすことになる。 茶釜は毎日お供え物をもらい家宝になる。 寺社伝説 [ ] 画『新形三十六怪撰』より「茂林寺の文福茶釜」。 タヌキが僧に化けたという説に基いて描かれたもの。 茂林寺につたわる伝説などでは、文福茶釜の持ち主の正体が貉や狸であって、狸が茶釜に変身することはない。 茂林寺縁起 [ ] 茂林寺の等によると、年間の開山 より代々の住職に161年仕えた老僧、守鶴が七世の住職月舟正初につかえたおりの千人のとき 披露した無尽の茶釜が由来であり、その茶釜からいくら湯を汲んでも中の湯がなくならなかったことから、守鶴はその釜を福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と命名した、とされる。 その後十世の住職の時代、守鶴は(または狸)の姿を現してしまい、寺を去った。 実際にはのであったろうといわれた。 茂林寺に現存する伝・分福茶釜は、製、容量1斗2升(21リットル強)、 真形 ( しんなり )のである。 周囲は4尺 1. 2 m 、重量3 11. 2 kg 、口径は8寸 24 cm で、元の蓋は逸失しており、現在は新たに作られた蓋があてがわれている。 茂林寺がの際に発行している「分福茶釜略縁起」はいくつか異本があり、含まれる要素もまちまちである。 そのうち古いものは建前上は天正15年()とあるが 、実際は以降の版行ではないかと考察されている。 19世紀頃の稿本は、『甲子夜話』巻三十五に所収された縁起と文章がまったく一致する。 それらでは、守鶴が茂林寺で経た歳月は120余年となっており、で釈迦の説法を聞いたこともあり、齢は数千年に達し、日本に渡ってきてからも800年が経つとも明かしたとされる。 書を能くしたが、はほぼ残らず、の札があるのみという。 茶釜の茶で練って丸めた秘薬を守鶴が伝えたとも記される。 また、守鶴の役職は ( なっしょ )であったということが、「分福茶釜略縁起」にはないが『真書太閤記』等の記述にみつかる。 著『』第一、巻三十五 にも所収されているが 、掲載される(漢籍の)文章は縁起と同じである。 高源寺 [ ] 茂林寺の史料によれば守鶴は住職を務めてはいなかったが、高源寺(群馬県の旧狸塚(むじなづか))の開山・(つまりは住職)であり 、狸の正体が発覚した時にこの釜を持って茂林寺に逃げたという言い伝えがあり、このとき蓋を落としていったとされる。 文福茶釜が、もともとは自分の寺にあったという伝承は、高源寺をふくめて群馬県の五つの寺にある。 江戸期の戯作 [ ] のの例は幾つかあるが、似たような内容である。 最古は・(1680年頃)出版の赤小本『京東山ばけ狐』で、狐の物語である。 の画による年間の赤本『ぶんぶくちゃがま』はその改作で、(一部の役割が)狐から狸に置き換わっている。 あらすじは、京都の東山殿()の茶坊主で、ぶんぶくという名の者が、狐を捕らえて料理しようとする、窮した狐は茶釜に化けるが、火にかけられ「ぶんぶくちゃがまに尾が生えた」などと坊主たちにはやし立てられる。 火傷を負った狐は貉に復讐を託す。 貉は、事が発覚して裸で追放された四人の坊主たちを見つけ、巨大なを広げて覆いかぶせて暖めるが、捕獲されて東山殿( )に献上される。 が版元の『ぶんぶく茶釜』(刊行年次不詳 )も同様の内容で、ただし(つまり)にされそうになった貉(狸)が 自ら報復する話にすり替わっており 、近藤清春の作品の改作と目されている。 ここでは、茶坊主らがはやし立てる文句は「文福茶釜に毛が生えた」であるが 、これは頃から常套句となっているとされる。 台詞として(作の『』(享保5年(1720年)初演)にも使われており 、『本朝俗諺志』では釜でなく釜の持ち主に毛が生えたことをさす、と守鶴の伝説につじつまを合わせた説明をしている。 民話 [ ] (『日本昔話集成』、『日本昔話大成』)では同類の群を「 237B 文福茶釜」に分類している。 構成内容は次のようなものである: ある男が狐(狸)と助けた代償として、あるいは狐(狸)を騙して茶釜になりすまさせ、これを売却して金銭を得る。 (売り先はたいがい和尚で、磨かれると茶釜は「痛い」といい、火にかけられると「熱い」といって踊りだす、と英文版では付け加えられている )。 のち、茶釜は逃亡するか、もとの男の元に帰り、あるいは踊りの芸で金儲けをさせる。 このうち、版のおとぎ話のように、芸で金儲けをさせるがみられるのはきわめて少数派である。 狸と狐 [ ] 関は、幾つか各地の民話例を『日本昔話大成』の本格昔話編で掲載している。 そのうちくず屋の爺さんと狸の話(の採集話)は 、により文福茶釜類型の典型例にも選択されている(『日本昔話名彙』)。 酷似するが狐が化ける話が、「 化け茶釜」()である。 男が代金として和尚から三をせしめる、最後に茶釜が山に逃げ出すなどの詳細が両話に共通している。 分類のあいまいさ [ ] 文福茶釜の類話群は、「」型や「」()型 とはっきり区別しにくく、おおまかにいえば「同種」であると柳田國男は指摘しており 、関敬吾も同様のことを述べている(後述)。 それは例えば「狐遊女」のなかには、茶釜、馬、遊女の順に狐が化ける例もあるからである(「狐の報恩」、岩手県『上閉伊郡昔話集』)。 柳田の推察では馬に化けるかたちがもっとも古く、次いで茶釜に化けるかたちができたとしている。 関敬吾の場合も、「文福茶釜」、「狐と博労」、「狐遊女」、「三人博労」 などは、欧米民話学の「魔術師とその弟子」型( 325)にあてはまるとしている。 実践 [ ] 榎本千賀の論文では「文福茶釜」の伝承として125点の昔話(民話)例を集計しているが、これは広義の意味で動物の茶釜変身譚をすべてカウントするので、「狐と博労」や「狐遊女」の話も含まれている。 これらは東北から九州まで広く分布している。 柳田國男のさらなる分析 [ ] 者のはまた、基話の 「狐の恩返し」を基にすれば、動物と人間との交渉(交流)を物語る昔話の根幹には〈動物援助〉の考えがあり、選ばれた人間にである鳥獣が富を与えるのだという。 そこで動物の危機を救ってやり報恩を受けるのを見ると、動物が的に尽くす好意も理解できる。 動物援助から動物報恩に移行する過渡的な様相を帯びた話といえる。 その他地域の民話例 [ ] 南原横堀町のにも似た類種の伝説が伝わっているが、こちらも狸ではなくが登場する。 翻案 [ ]• 『』 - 本作をモチーフにした映画。 注釈 [ ]• 茂林寺の縁起類(『甲子夜話』も含む)に記述。 『本朝俗諺志』に「水をさせば五七日がほど湧出て.. 常よりぶんぶくゝゝと沸りける」とある。 巌谷小波は単に「 爐 ( ろ )」としているが、明治時代の別の童話本では「」であり 、ちりめん本の挿絵などでも囲炉裏として描かれる。 版では、寺の段では狸だと一切触れられていないが、ジェームス夫人訳では寺の段階で"badger"であると判明している。 開山は応永33年()とされている。 元亀元年()の会合とされる。 軍記物に取り入れられた説明だと天正7年(1579年) か、天正10年(1582年) となっている。 伝説上、守鶴が寺を去ったとされる年• ただし守鶴が高源寺の住職だったという裏付け史料はない。 高源寺(茂林寺の末寺であるという)は、「二百八十年前」(1500—1540年頃)に「正鶴〔ママ〕」が開いたという村人の言い伝えを、も『一話一言』(1779—1820年)で記録する。 坊主らは四人おり、ぶんぶく、ぶんさい、ふくさい、ふくわん(福庵)という名。 「むじな」は清春の画では「狸」と書かれて扇子を持っている。 図書館記録上ではW3CDTF形式で1700年となっているが、文中に1734年初演の歌舞伎『』にふれるので、それ以降の作。 原文では"むじなのすいもの"。 英文版では Types of Japanese Folktales No. 130 に分類。 また、両話とも報恩譚といえるかどうか。 いずれも狐(狸)は頼みを引き受けるが、何かの恩返しか不詳である。 よって発端が明確でないパターンとして、「命を助ける」恩が発端・「だます」発端のパターンとも榎本論文では区別している。 (表の69番、15番)。 柳田のいう狐遊女型は、関敬吾『日本昔話大成』の「238 狐と博労」と「239 狐遊女」 の両方を含む。 『日本昔話大成』「625 三人博労」 出典 [ ] 脚注 []• 、244頁• 138—139. Crepe-paper Books and Woodblock prints at the Dawn of Cultural Enlightenment in Japan 文明開化期のちりめん本と浮世絵. 京都外国語大学 2007年. 2019年6月24日閲覧。 ; 稲田和子 三省堂、2001年、139頁。。 広文庫. 広文庫刊行会. 814. 『一話一言』(1779—1820年)等• 、244頁• 『』中、長野屋勘吉、1805年。 2017 , , translated by Hiroko Yoda; Matt Alt, Courier Dover Publications, p. 204, ,• 141. 2007. Robert McGuire 画. Cavendish Children. 読売新聞(英語版): "不朽の名声を得た immortalized "。 童話作家ティム・マイヤーズの序文による。 小森宗次郎、1876年。。 「文福茶釜」, 221—237頁• 、242頁• 140. , pp. 135. 『日本歴史大辞典』 18巻 河出書房、1959年。。 135—136. 「寄手難戦の事幷分福茶釜の事」• 広文庫. 広文庫刊行会. 812—814. , p. 137. , p. 139. ArtWiki. 立命館大学アート・リサーチセンター. 2019年6月24日閲覧。 , p. 156. 、1984年、20頁。。 136. 、248—249頁• , pp. 136—137. , p. 『日本歴史大辞典』 8巻 河出書房、432頁、1959年。。 『』稀書複製会、米山堂、1928年。 (復刻版)• , pp. 143—144, 150. 1700 2020。 , p. 153. , p. , p. 153. 2018年. 国立国会図書館. 2019年7月7日閲覧。 国立国会図書館 国際子ども図書館 2018年. 江戸絵本とジャポニズム. 2019年7月1日閲覧。 俳諧集『文武具茶釜』 1820年 、, p. 141に拠る。 、262—263頁• 1966 , , Society for Asian Folklore, pp. 67—68 ,• , p. 153 [ 記号 でのパターン]は小波版に相当するが"意外に昔話の採録の中に出てこない"。 156, "綱渡.. [は] 意外に昔話の採録の中に出てこない"。 、『日本昔話大成』第6巻、本格昔話5、113—114頁• 1986. Yanagita Kunio Guide to the Japanese Folk Tale. translated by Fanny Hagin Mayer. Indiana University Press. 127. (英語)• 小笠原謙吉「一九 化げ茶釜」『』柳田國男、三省堂、1942年、42—43。 , pp. 145, 142; 記号解説 p. 149• 127—128. 、132, 180頁。 , 『』、5頁。 , pp. 141、表2 pp. 142—148、記号と分布図 p. 149。 参考文献• 「其十二 文福茶釜」『』博文館、1908年、221—237。 「昔話と子ども絵本 昔話のコスモロジー ; 昔話,追跡と確認 」 『國文學 : 解釈と教材の研究』 34巻11号、84-89頁、1989年。 榎本千賀 『大妻女子大学紀要 文系』 26号、135-157頁、1994年。 James, Mrs. 1886. Japanese Fairy Tale Series. Yoshimune Arai 画. Hasegawa. 「一〇 文福茶釜の傳說童話」『』大東出版社、1941年、240-270頁。 部矢祥子 『國文學論叢』 62号 龍谷大學國文學會、143-170頁、2017年。。 『』中央公論社、1973年。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - の一種。 ・ブンブクチャガマ科。

次の