ボウイ 1224。 BS日テレ

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ボウイ 1224

BOOWY解散の理由・真相 BOOWYの解散の理由は当初は謎に包まれていて、様々な事が噂されていた。 ボーカル氷室京介と布袋寅泰が仲が悪い説、メンバーのお金の取り分が不公平だったので、金で揉めた説、氷室と布袋が女を取り合って喧嘩した説など様々だ。 BOOWY解散の理由を氷室京介に聞こうと思っても、怖そうなんで突っ込んで聞けないし、解散のきっかけを作ったと言われている布袋寅泰に聞いてみても、 解散の理由は墓場まで持って行くと、はっきりしないし、松井常松はどこに行ったか分からないし、という中でドラムを担当していた、高橋まことが著書「スネア」に真相が書かれている。 布袋寅泰の行動が引き金 当時布袋寅泰は山下久美子と結婚していた。 山下久美子というのは、今では全く見る機会は無いがシンガーソングライターで、 BOOWYがブレイクする前から有名で一時期布袋は山下久美子のヒモの様な存在であったと言われている。 そんな布袋だったが、BOOWYでの音楽活動が徐々に人気を呼び、 山下久美子以上の人気者になりつつあった。 そんな時山下久美子のツアーに布袋も参加していたのだが、 そのツアーにベースの松井常松も誘われ、その後高橋まことも誘われた。 高橋は氷室に相談なしに3人が他人のツアーに参加するなんてまずいと思って、 氷室京介に相談したところ、「よし、じゃあ来月解散すっか」と言って解散になったのが真相だそうだ。 松井常松と高橋まことは今どうしているのか? 気になっている方は、以下のリンクから確認できます。 BOOWYというバンド ここで、知らない人の為にBOOWYというバンドの成り立ちやメンバーの立ち位置などを紹介しよう。 まずこのバンドのリーダーは氷室京介、群馬県出身、元不良少年で喧嘩のエピソードが結構有名、歌が上手く、この氷室京介がギターの布袋を誘った事からBOOWYが結成される。 年も一歳上だし、怖いしで余り絡んだ事はなかった。 BOOWY結成前は何もせずブラブラしていた。 ベースの松井常松は氷室京介の同級生で群馬時代同じバンドに所属していた昔からの友達、BOOWYの前は別のバンドのベースを担当してプロで活躍していたが、氷室と布袋がバンドを組むというのを聞きつけてBOOWYに合流。 そしてドラムスの高橋まこと、高橋は氷室京介より7歳年上。 高橋だけが昔からの友達ではなく、バンドが行ったオーディションに参加して採用された。 その他にギター、サックスを入れた6人のバンドだった。 そこで布袋寅泰は、バンドの雰囲気を変える事を皆に提案する。 ファッションや曲も、明るい雰囲気に変え、世の中の不満を歌うパンク色の強い曲ばかりではなく、ラブソング中心の楽曲に変更する事を。 結果この方向転換が吉と出る。 しかし、その変化についていけない2人は脱退した。 そして、その後皆が知る事となるBOOWYが生まれたのだ。 ボーカル、ギター、ベース、ドラムと最小単位ながらも、それぞれがしっかりと仕事をする事によって、厚みがあるサウンドになりBOOWYは完成した。 BOOWYの曲はその殆どが、作詞は氷室京介が担当して、 作曲は布袋寅泰が担当している。 アルバムのプロデュースは布袋寅泰が担当し、楽器の演奏、メンバーのファッションも提案し、布袋のアイデアはバンバン当たった。 布袋がBOOWYが売れたのは、俺のおかげ! と思っていたかは分からないが、BOOWYの快進撃は続いた。 人気が出ると出たで違う悩みも出て来た、 アイドルを見る様なミーハーな客がライブの会場に押し寄せた。 当時はとにかく凄い人気でした。 その時ファンだった人も芸能人にも結構います。 客のお目当ては、ボーカルの氷室京介で、氷室に対して黄色い声援を送った。 BOOWYの音楽を聞くというよりも、ただキャーキャー騒いでいる客が兎に角ウザかったと布袋は語っている。 売れれば売れる程、何か違和感の様なものが感じられて、 仲の良かったBOOWYのメンバーも何故かギクシャクする様になったという。 そんなわけで、名実ともにナンバーワンとなったBOOWYだったが、雰囲気は余り良くなく、 解散が決まってからも、音楽活動がしばらく続き、1987年の12月24日の渋谷公会堂のライブで解散を発表した。 氷室も解散すると皆に言ったものの、本当は解散したくなかったという説もあり、 解散を発表したステージで、布袋寅泰が背を向けてなかったら、 解散を撤回していたかもと高橋まことは語っている。 氷室と布袋の関係についてはこちらの記事に書いています。 芸能人の記事のまとめページ 関連記事 関連記事: 関連記事: カテゴリー•

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ボウイ 1224

背景 誰も知らなかった、突然の解散宣言。 1987年12月24日。 ファンの熱狂。 そして奈落。 絶頂と悲しみを同時に体感したこの日、クリスマスイブの渋谷公会堂は、日本ロック史に永遠に語り継がれることとなった。 発掘されたオリジナルフィルムを、LA のスタジオで4Kスキャニングしデジタル映像データ化。 初めての16:9画角。 【本編】• LIAR GIRL• ANGEL PASSED CHILDREN• BLUE VACATION• ハイウェイに乗る前に• PSYCHOPATH• CLOUDY HEART• MARIONETTE• わがままジュリエット• LONGER THAN FOREVER• 季節が君だけを変える• WORKING MAN• B ・ BLUE• RENDEZ-VOUS• HONKY TONKY CRAZY• PLASTIC BOMB• BEAT SWEET• IMAGE DOWN• NEW YORK• 【アンコール】• MEMORY• ONLY YOU• これまでの作品ではアンコールで演奏された「ONLY YOU」の中盤で画像・音声が数十秒ほど欠損しているが、今回この欠損箇所の映像が発見され、ライヴから30年以上の時を経て初めて完全版の『1224』が世に送り出される。 「ONLY YOU」欠損部分について… 2001年の発売当時はビデオ・マスターから商品化を行ったが、その際に何らかの理由で「ONLY YOU」の中盤に欠損が生じていた。 今回、当時収録をしたオリジナルフィルムが倉庫から発見され、フィルムを確認したところ、この欠損箇所も完全な映像で残っていたことが判明した。

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バンドスコア ボウイ/1224 BOOWY

ボウイ 1224

伝説のロックバンド・BOOWYが、1987年12月24日に東京・渋谷公会堂でおこなった解散コンサートを再編集した映像作品『BOOWY 1224-THE ORIGINAL』が12月24日に発売されることを受けて、今月12日、その上映イベント『BOOWY 1212-THE ORIGINAL-ONE NIGHT PREVIEW 1212』が東京と大阪のZeppでおこなわれた。 東京会場では、BOOWYのドラマー高橋まこととダイノジが登場。 このなかで高橋は1985年の時点で「頂点に立ったら解散する」ことを4人で決めていたことを明かした。 『BOOWY 1224-THE ORIGINAL』は、BOOWYの35周年プロジェクトの集大成として再編集し、発売されるもの。 今年、事務所の倉庫で見つかったオリジナルフィルムを、米ロサンゼルスのスタジオで4Kスキャニングし、デジタル映像データ化した。 それを、BOOWY作品を数多く手掛けてきた映像ディレクターの前嶋輝氏が新たに編集し、初めてHD・HDR化、16:9画角で映像作品化した。 音源は新たにリマスターされたものを使用。 この映像には幻の「ONLY YOU」の空白の数十秒が初めて復元されている。 この日、1000人の観客を出迎えたのは、BOOWYのドラマー・高橋まこととBOOWYの大ファンとして有名なお笑いユニットのダイノジ。 映像をいち早く見たというダイノジは「30年前に戻った」と感慨深く語った。 高校時代はBOOWYのコピーバンドをやっていたダイノジ・大地洋輔。 世界エアギター大会で二度優勝しているが、その時に真似をしたのは布袋寅泰の演奏スタイルだったとして「現地でもお前の好きなギタリストは誰だ? と言われて布袋さんと答えた」と回顧。 さらに、布袋ファンを証明するべく、布袋の愛用ギター「HOTEI」モデル「G柄」の幾何学模様が入ったノートを披露して「高橋さんにサインしてもらおうと思った」と語った。 BOOWY この日、会場を喜ばせたのは高橋の登場。 高橋といえば、大声を張り上げてドラムを叩く光景が印象的だが、当時のエンジニアから、高橋と松井常松のヴォーカルマイクのフェーダーを下げられたとのエピソードを明かした。 また、ダイノジから「ドラムの位置から見た氷室京介、松井、布袋寅泰の姿はどう映ったか」という問いには「かっこよかったよ。 バランスが取れていたバンドだと思う」とし、メンバーそれぞれの象徴的なポージングを真似、特に氷室の時は「ヒムロックの体勢はキツイんだよな」と笑顔をみせ、会場を喜ばせた。 今回の映像作品については「前回の編集よりも格段に良いです」と太鼓判。 この時の解散コンサートはもともとライヴ用として撮る目的ではなかったようで「16ミリフィルムという映画用で撮った」と解説。 ダイノジ・大谷ノブ彦も「大スクリーンで本当に映える映像。 奇跡的にメンバーそれぞれを撮っていた」と偶然が重なった貴重映像であると補足した。 また、前回映像には欠損していた「ONLY YOU」の幻の数十秒間のコマが復元されている。 大谷は「布袋さんが泣いていたことがうかがえる」と語るも、高橋は当時それには気づかなかったとして「渋谷公会堂は広いステージじゃないんだけど、そこまではわからなかった」と振り返った。 話題はBOOWYのテンポにも及んだ。 ダイノジのお気に入りは、自身のコントにも取り入れているという「PLASTIC BOMB」であるとし、大谷は改めて同映像に収録されている同曲を聴いて「信じられないぐらいかっこいい。 そしてめっちゃ早い」とし、BOOWYの曲はライヴではテンポが速くなることを指摘。 これに対し、高橋は「いいんだって早くて。 今のようにイヤモニをしてクリックを聴いてやらなくて良いんだから。 その時の感情なのよ。 大概早いよね、ライヴになると」とあらかじめ決められたテンポに左右されることなく、その時の空気感でテンポが変わるBOOWYの特徴を明かした。 1ch) 当時、このコンサートでは「解散」は公になっておらず、さらにスタッフでも限られた人しか知らされていなかった。 その解散は、その年の初めにすでに決まっていたというのは、関係者取材でも明らかになっているが、ダイノジ大谷は『BEAT EMOTION』が発売された1986年11月頃かと尋ねると、高橋は「もっと前よ」と、ツアー『BOOWY'S BE AMBITIOUS』が開催された1985年の頃であるとし、「今でも覚えています。 長野のワシントンホテルの上にラウンジがあって、そこで4人だけで、そういう話をして。 売れたらやめようと。 そこでやめようぜ、ではなくて、その頃はやっと階段を昇った頃だったから。 上に行ったらやめようぜと」と解散コンサートからさかのぼること約2年前の時点ですでに4人の間では解散についての共通認識があったと告白した。 この日の上映イベントの会場には当時、渋谷公会堂での解散コンサートを観覧したファンの姿もあった。 当時は、会場に入れないファンがたくさんおり、会場の周りを埋め尽くしていた。 押し寄せるファンによって会場のガラス扉が割れたことも当時はニュースになったが、ダイノジは「ガラスを割った方はいますか?」と呼びかけて笑いを誘った。 トークも終盤、ダイノジ大地から「もし4人が再び集まって1曲だけ演奏するとしたら?」の問いに高橋は「『NO. NEW YORK』か『IMAGE DOWN』。 どっちか」と答え、観客を喜ばせた。 映像上映では、イントロダクションの音が流れ始めた瞬間から当時にタイムスリップ。 映像から流れる歓声と会場の歓声が合わさるなど、時空を超えて当時の感動が蘇っていた。 終盤、解散を告げる氷室に見えるはっきりとした涙。 会場もその涙で心を潤していた。 縦横無尽に踊る布袋のギター、それを支える高橋と松井のリズム。 そして、その演奏のなかで華麗に歌いあげる氷室。 いまも色あせることない4人のビートがそこにはあった。 なお、BOOWYの左から3つ目の「O」は、ストローク符号を付したO。 【取材=木村陽仁】.

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