アイゼンハワー 大統領。 トランプ大統領とは大違い、いま蘇るアイゼンハワー人気 原爆投下について悩み続けた大統領 WEDGE Infinity(ウェッジ)

アイゼンハワー大統領の退任演説(軍産複合体について)

アイゼンハワー 大統領

自分はアイゼンハワーが結構好きなんですが、彼の醍醐味は恐らく「必要なことだけをした」ということではないでしょうか。 まさに歴代のアメリカ保守本流を地で行く感じで、それまでのFD. ローズヴェルトやトルーマンと比べると対照的です。 しかし、一貫して人気があったそうです。 国内経済は政府ではなく、自由な競争によって発展させるべきだと言う考えから、国内政策にはほとんど興味を持たなかったと言われています。 しかし、一方で自身のアメリカ大陸横断に何日もかかったという経験から連邦補助高速道路法を成立させて、アメリカ国内の幹線道路網を整備する公共事業を行いましたが、これは日本の幹線道路整備計画にも影響を与えたようです。 また、アーカンソー州での黒人の高校入学を白人過激派による襲撃が起こるとして知事が拒否した事件でも、陸軍を派遣して黒人を護衛したなど地味ですが、必要な時にはしっかり政策を行っています。 彼の関心は外交政策ですが、これもどちらかと言えば「必要なところに必要な同盟を築いてソ連に対抗する」という考えで、ジョージ・ケナンの影響を受けて封じ込め政策を進めました。 例えば、米韓相互防衛条約、米華相互防衛条約、バグダード条約機構(METO)、東南アジア条約機構(SEATO)、日米安保改定などです。 他にもNATOに西ドイツを加盟させたりしています。 また、むやみやたらにソ連を挑発することはせずに、「雪解け」の時期を現出しました。 例えば、ジュネーヴ四巨頭会談、キャンプデーヴィットでの初の米ソ首脳会談などです。 またフルシチョフに対して核兵器競争の停止を持ちかけています(結局、それらはU-2偵察機撃墜事件などで失敗しましたが)。 自分が一番感心しているのは、第二次中東戦争(スエズ戦争)での対応です。 国内ではイスラエルロビーがいて、アメリカにイスラエルを支持するように迫る圧力もあったのですが、毅然とした態度でイスラエルとアラブ諸国双方に圧力をかけて戦争が第三次世界大戦に発展しないように尽力しました。 さらに、退任間際にアメリカが世界に手を拡大しすぎて軍産複合体がいつかアメリカの自由と民主主義を蝕むことを率直に国民に語ったのも、そのまっすぐな保守さ加減を表していて好感を持っています。 一言で言うなら、「機会に恵まれた人」だろうと思います。 誤解の無い様に言い添えれば、能力が有っても機会に恵まれ無い人が居る一方、彼の様に能力以上に機会に恵まれる人も居ると言う事です。 戦前戦中の米陸軍に在って、マッカーサーの存在には 圧倒的なモノが有っただろうし、パットン、ブラッド レーの様に軍事指揮官としては、彼よりも"上手"の将 軍達が少なからず居た事も確かです。 にも拘わらず、彼が西ヨーロッパに於ける全連合軍の 最高司令官に成り得た理由を考えて見ると、政治的判 断が出来た事、軍人にしては比較的明るいキャラク ター、対人関係で敵が少なかった事等、"非軍人的要 素"に因る所が多かった様に思います。 "威風辺りを払 う雰囲気"のマッカーサーとは、正反対だったと言って 良いでしょう。 大統領としてのアイゼンハワーは、"ゴルフ好き"と言 うのが当時の国民一般のイメージだった様です。 確かに内政外交供に、副大統領のニクソン 当時として は最年少の が仕切って居る様な感が有ったのも事実 だった様ですが、要所 特に軍事的判断 に在っては彼 自身の判断も有った様です。 アメリカ国民一般の評価と言うのは、人種・世代・階 層・政治的立場に因って可也の開きが在ると言わ非る を得無い所が在りますが、一応"中産階級の比較的保守 的な年配の白人層"と断った上で言うなら、「アイゼン ハワーの時代は概ね良い時代だった。 」と言うのがイ メージな様です。 '50年代のアメリカは、次世代に成っ て噴出して来る"矛盾"が、未だ表立って見えた時代で は無かったので、"或る種の人達"にとっては、ノスタ ルジーを誘う所が有るのだろうと思います。 「アイゼンハワー時代」と言うのは、其の様な回顧感 情を引く一方で、"赤狩り"がやがて"マッカーシズ ム"と言うヒステリックな"魔女狩り"にエスカレートし て行った時代でも在ったし、今でも何かと引き合い に為れる"ローゼンバーグ事件"が、世界的な議論を呼ぶ形で"決着"したのも、この時代の事でした。

次の

アイゼンハワーとマッカーサーは対立していたでしょうか、仲が...

アイゼンハワー 大統領

[生]1890. テキサス, [没]1969. ワシントンD. アメリカの軍人,政治家。 第 34代大統領 在任 1953~61。 1915年卒業。 26年幕僚学校を首席で卒業。 33~35年 D. のもとで参謀本部に勤務。 41年 12月日本の後,陸軍参謀本部作戦計画部副部長となり,ヨーロッパ進攻計画の作成に従事。 48年軍務から退き,コロンビア大学総長に就任。 50年 12月 H. 大統領により NATO軍最高司令官に任命された。 からに立候補し,53年1月大統領に就任。 56年再選。 その間,朝鮮戦争休戦,の創設,ソ連の N. 首相との会談などで平和共存への努力を重ねた。 しかし他方,の声明などにみられるように,ソ連に対抗する強い姿勢もみせた。 『ヨーロッパ十字軍』 Crusade in Europe 1948。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 アメリカ陸軍元帥で第二次世界大戦の英雄、第34代大統領。 10月14日テキサスの農家に7人兄弟の三男として生まれる。 弟ミルトンはのちジョンズ・ホプキンズ大学学長。 信仰深い両親のもとカンザス州アビリーンで育ち、1915年陸軍士官学校(ウェストポイント)を卒業。 陸軍大学を経て、おもに陸軍省で補給兵站 へいたん の立案に従事し、1932年陸軍参謀総長マッカーサーの副官となる。 1935年からフィリピン軍事顧問となったマッカーサーのもとで、1939年まで現地軍の育成にあたった。 第二次世界大戦で北アフリカ方面軍司令官として勲功をたて、1943年暮れヨーロッパ連合国軍総司令官に任命される。 混成軍をよくまとめ1944年6月ノルマンディー上陸作戦を指揮、フランスを解放しドイツの無条件降伏をもたらした。 1944年12月元帥に昇進、1945年11月陸軍参謀総長となったが、1948年に退役、コロンビア大学学長に就任。 1950年北大西洋軍最高司令官となったが、1952年の大統領選挙に共和党国際派から推されたため辞任、保守派のタフトを破って共和党候補となり、本選挙では前イリノイ州知事スティーブンソンを大差で破った。 赤ん坊のような笑顔に示される持ち前の人柄で、戦後もっとも人気のある大統領の一人といわれる。 内政をアダムス補佐官、外交をダレス国務長官に多く任せ、ニクソン副大統領を重用して「素人 しろうと 大統領」の超然としたポーズで慎重な施政を行った。 第1期は経済の好況に支えられ、外交面ではスターリン死後のハンガリー暴動に手出しせず、インドシナ戦争で苦戦するフランス軍への援助を拒否、スエズ戦争では英仏の出兵に反対するなど、低姿勢を取り続けた。 心臓病で倒れたのち1956年に大差で再選されたが経済の停滞、人種問題の爆発、さらに当時のソ連に人工衛星打上げで先を越され、U2型機事件によるパリ首脳会談の流産、1960年安保闘争による日本訪問中止などのトラブルにみまわれた。 1961年1月「軍産複合体」の危険を警告する退任演説のあとケネディに後を譲った。 1969年3月28日死去。 [袖井林二郎] 『仲晃・佐々木謙一訳『アイゼンハワー回顧録』2巻(1965、1968・みすず書房)』.

次の

歴代『アメリカ大統領』一覧

アイゼンハワー 大統領

アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower)の英語&和訳のおすすめ名言と人物像 アイゼンハワーの言葉-お気に入りBEST3 【利益を信条より優先してはならない】A people that values its privileges above its principles soon loses both. (信条よりも得られる恩恵に価値をおく人は、すぐに両方ともを失ってしまう。 - 1953年の大統領就任演説にて) 【楽観的に物事を進めよう】Pessimism never won any battle. (悲観主義は、どの戦いにも勝利してこなかった。 ) 【リーダーシップとは?】Leadership is the art of getting someone else to do something you want done because he wants to do it. (リーダーシップとは、自分が他の誰かにやってほしいことを、その人に心からやりたいと思わせる術である。 アイゼンハワーの功績・生涯・エピソード 【3行で知るアイゼンハワーの略歴】 ・第二次世界大戦で連合軍最高司令官になる ・ノルマンディー上陸作戦でドイツ降伏を早めた ・第34代アメリカ大統領 【ノルマンディー上陸作戦を成功させた最高司令官】 陸軍士官学校、陸軍大学を卒業後、第二次世界大戦で陸軍参謀本部作戦部長を経て、ヨーロッパ連合軍最高司令官となる。 シチリア・イタリア本土上陸作戦、ノルマンディー上陸作戦を指揮。 これによりドイツを降伏へと導いた。 戦後はNATO軍最高司令官として西欧諸国の軍備増強に努めた。 62歳で共和党よりアメリカ大統領選に出馬して当選。 第34代アメリカ大統領となった。 対ソ反共「巻き返し」を唱えるも、朝鮮戦争の解決に合意し、平和外交政策をとった。 訪日は、日本国内の「反安保闘争」で中止となった。 【欺瞞で成功させたノルマンディー上陸作戦】 作戦の正式名称は「オーバーロード(大君主)作戦」。 上陸地はパ・ド・カレーとノルマンディーの2地点が候補にあがった。 パ・ド・カレーがイギリス本土から最短で上陸には適していたため、ドイツも警戒していた。 アイゼンハワーらは、上陸地をパ・ド・カレーと見せかける「欺瞞作戦」を徹底し、偽装建築物を建て、ラジオメッセージも捜査した。 日本への原爆投下は、強硬に反対していた。 非商用利用の範囲内でご利用ください。 当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。 アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower)の名言・格言 Pessimism never won any battle. 悲観主義は、どの戦いにも勝利してこなかった。 A sense of humor is part of the art of leadership, of getting along with people, of getting things done. ユーモアのセンスはリーダーシップに必要なものであり、処世術であり、物事を上手く運ばせる方法である。 Peace and justice are two sides of the same coin. 平和と正義は同じコインの表と裏の関係にある。 Leadership is the art of getting someone else to do something you want done because he wants to do it. リーダーシップとは、自分が他の誰かにやってほしいことを、その人に心からやりたいと思わせる術である。 力に訴えようとしたとき、決してやってはならないことがある。 負けることである。 If you want total security, go to prison. The only thing lacking… is freedom. 完全なる保障を望むのなら、刑務所に行くべきだ。 そこでは、食事、衣服などを与えられるからね。 唯一足りないのは、、自由だけだ。 嫌いな人のことについて考えるなんて1分でも時間の無駄遣いをしてはならない。 His wisdom, yes, but not his motives. 他人の動機を問うてはならない。 そう、動機ではなく、知力を問うのだ。 The search for a scapegoat is the easiest of all hunting expeditions. 全ての狩猟において、身代わりを探すことはたやすい。 A people that values its privileges above its principles soon loses both. 信条よりも得られる恩恵に価値をおく人は、すぐに両方ともを失ってしまう。 - 1953年の大統領就任演説にて Extremes to the right and to the left of any political dispute are always wrong. 政治論争における極度の右派、極度の左派は、常に正しくないのだ。 人の頭をたたいて導くのではない。 それは暴行でありリーダーシップではない。 In preparing for battle I have always found that plans are useless, but planning is indispensable. 戦いに備えるにあたり、計画が常に役立たずなことはわかっているが、それでも計画を立案することは不可欠なのだ。 あなたの涙ほど価値のある人はいないが、その人が見つかれば、彼はあなたを泣かせることはないだろう。 If a problem cannot be solved, enlarge it. もし問題が解決できないのであれば、むしろそれを大きくしてみよう。 重要なのは、闘う犬の大きさではなく、犬の闘争心の大きさである。 - 1958年の共和党全国委員会の朝食会での発言より We are going to have peace even if we have to fight for it. 私たちは平和を勝ち取りに行く、たとえ戦わなければならなくとも。 The history of free men is never written by chance but by choice — their choice. 自由市民の歴史は、決して偶然によっては作られたのではない、選択によって作られたのだ。 彼らの選択によって。 - 1956年のピッツバーグでの演説より.

次の