大崎 洋 会長。 大崎会長のインタビューは嘘だらけ?吉本はブラックと堂々宣言?【画像】

【画像】吉本興業大崎洋会長の経歴・学歴や年収がすごい!ダウンタウンとの関係は?|RealVoice

大崎 洋 会長

大﨑洋 おおさきひろし :プロフィール 生年月日:1953年7月28日 出身地:大阪府 肩書:吉本興業代表取締役社長 学歴:関西大学社会学部卒業 関西大学ではサーフィン三昧、勘違いで吉本へ 1978年、大学卒業後吉本興業に入社。 二浪して入った大学ではサーフィンに明け 暮れる日々を送り、吉本に入社したのは 私服通勤可だったのと、まとまった休みが 取れると勘違いしたためだそうです。 1980年に東京支社に異動。 1982年に大阪の吉本総合芸能学院 NSC 開校に伴って同学院の担当社員に。 無名時代のダウンタウンのマネージャーに。 当時の社員は皆人気芸人を担当したがって いたそうですが、大崎洋社長だけは、まだ 無名ながらムチャムチャ面白いダウンタウン に目を付けた。 先見の明があったんですね。 しかし、ダウンタウンが売れたからといって 大崎社長が順風満帆な出世街道を歩んできた わけではありませんでした。 力のあるものにうまく取り入るタイプでは なかったようで、上司にでも違うと思えば 「違う!」と主張する人物。 権力におもねらない姿勢は敵も作るが そこに正義があるなら人望を集めもする。 社長の座はウマいこと手に入れたのではなく 実力と行動、人望で築き上げたものと 思われます。 2000年以降は複数の子会社や吉本興業の 取締役に就任し、2006年には取締役副社長 2009年には取締役社長に就任し現在に至ります。 プールの約束は何に使った? まだダウンタウンが売れていなかった頃、 大崎社長も仕事がないので、よく松ちゃんと 2人で映画館や銭湯に行っていたそうです。 ある時、2人でプールに行って大崎洋社長が 松ちゃんにかけを持ち掛けた。 「俺が端から端まで息継ぎせんと泳げたら これから先お前がどんだけ売れても、 俺の言うこと1つだけ聞いてくれ」と。 将来、成功すると思っていなかった 松本人志は気軽に了承。 あっさり25mを潜水で泳ぎきった大崎社長 ですが、それから20年以上も何の要求も なく過ぎ去りました。 しかし、ある時松ちゃんがどうしても「うん」 と言わないことがあった時に、 「あの時のプールの約束、今使うわ」 といきなり言い出しました。 苦笑しつつも「分かりました」と了承した 松ちゃん。 大崎洋社長が要求をのませたのは何だったと 思います? それは松ちゃんに禁煙しろという要求でした。 「俺禁煙するから、おまえも禁煙しよう」と。 むちゃむちゃ、いい話じゃないですか。 作ってるんじゃないのと思うぐらい、関西 ノリのええ話ですなぁ。 世界に向けて日本のバラエティを売る 日本のテレビ局は番組のフォーマットを 各国に売ってきましたが、それは売り切り で、版権収入を得てはいなかったために ビジネスモデルとして成立してはいません でした。 しかし欧米では巨額の製作費をかけた 番組を販売し、版権でさらに巨額な 利益を上げている。 このノウハウを得るためにすでに吉本は 米国最大手のタレントエージェンシー CAAと2008年に提携し、世界を対象 とする製作費をかけた番組とアジア向けの シンプルで安価な番組の2つの路線での 販売戦略を展開してきました。 「住みます芸人」とは? 吉本興業では地域の活性化や地域発信を目的 としたプロジェクトを複数立ち上げている そうで「あなたの街に住みますプロジェクト」 はその1つ。 全国47都道府県に「住みます芸人」を居住させ エリア担当社員とともに、笑いの力による 地域活性化を目指しているんだそうです。 モットーは「地域が元気にならないと、 日本は元気にならない」 このバリエーションとして地域の物語を 地域で上演する「よしもとふるさと劇団 プロジェクト」も展開中。 ちっとも知らなかったけど。 さて、これだけではなく「住みます芸人」の アジア版「住みますアジア芸人」というのも すでに展開されているようです。 これは株式会社MCIPホールディングスが アジアでエンタメ事業を展開するための先駆け となるプロジェクトで台湾・タイ・インドネシア マレーシア・ベトナムに9組13人の芸人が 派遣されて、現地で生活しながら日本の エンタメコンテンツの伝道師の役割を果たす というもの。 メンバーはすでに現地入りして生活を始めて います。 MCIPホールディングスとは吉本興業、電通、 ドワンゴ、ソニー・ミュージックエンタテイン メント、滋慶学園、イオンモールの6社の 合弁会社で、日本のコンテンツの発信元であり アジアコンテンツの受け皿でもあるプラット フォーム。 すでに前述の世界戦略の基盤は整ったという ことですね。 大崎洋社長の年収は? お笑いの老舗で、泥臭くあか抜けない印象が あった吉本興業ですが、大崎洋社長の下で 大きな変貌を遂げようとしています。 やり手革新社長はどれほど稼いでいるのか、 気になるところですね。 吉本は売れないうちは月収数千円なんていう 話も聞きますが、社員も薄給で有でした。 大崎社長が東京支社に異動した当時、最初に やったことは給与水準の引き上げだった そうです。 これによって今では40歳で年収1400万円の 実績と言いますから、上には上があるものの 老舗に恥じない額です。 吉本の芸人さんの年収は、 「トップ芸人なら年収10億稼ぐ」 とは大崎洋社長自身の弁。 トップならマージンの割合も変わってくるの でしょうが、吉本のギャラの割合は事務所と 芸人で9:1ですから、年商はかなりいくと 思うんですけどね。 何しろ所属芸人が多いですし。 2013年頃にはジャニーズ事務所は年商700億 吉本は466億円と言われていました。 また、ジャニーズ事務所のジャニー氏は年収 9億と言われています。 所属タレントは圧倒的に吉本が多いのに 年商は下なんですね。 2015年には資本を約125億から1億に減らして 中小企業化したことで危ないんじゃないかと 言われたりもしましたが、アジアはじめ世界 戦略の基盤づくりにかなり投資したせいでは ないかと思われます。 今後それらが回収できるまでは中小企業で 行こうと。 年商からしても、そうした現状からしても ジャニー氏ほど年収を取っているとは 思えませんね。 あくまで推測ですが5億くらい? いやもう少し少ない気もします。 アニメやカワイイ文化でクールジャパン を確立した日本のコンテンツ。 お笑いをはじめとするエンタメコンテンツ でも世界に名をとどろかせてほしいものです。 カテゴリー• 108• 264• 139• 678• 151• 111•

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大崎洋会長(吉本)の年収や高校大学(学歴経歴)は?若い頃がヤバい!

大崎 洋 会長

吉本興業ホールディングスの会長を務めている大崎洋さんについて調べてみました。 吉本は日本の芸能界においてお笑いの世界のドンですよね。 特に大阪周辺にお住いの方には、街の文化であり、生活の一部になっていると思います。 2011年にはテレビ東京の『カンブリア宮殿』にも出演するなど、関西地方に留まらず国民レベルで注目される経営者です。 その経営手腕は、ダウンタウンの松本人志さんや東野幸治さん・引退した島田紳助さんなど、多数のタレントに愛され尊敬されている方でもあります。 そんな大崎洋さんは、どの様に今の地位に上り詰めたのでしょうか? 今回は『大崎洋 吉本興業会長 の年収や収入は?経歴と学歴も気になる!』をご紹介します。 転載元: プロフィール• 本名:大崎洋 おおさき ひろし• 生年月日:1953年7月28日• 出身地:大阪府堺市• 学歴:関西大学社会学部卒業• 職業:吉本興業ホールディングス株式会社会長 経歴・学歴 大崎洋さんがどうしてこんなに有名なのかと言えば、勿論タレントのコンプライアンス違反に端を発した騒動で度々メディアに名前が取り上げられるからです。 でも、単にグループの総帥だからという理由だけではなく、吉本興業が『東京支社』にもなっていない『東京事務所』の頃からダウンタウンと共に苦労して来た方だからです。 大崎さんは関西大学社会学部を卒業していますが、偏差値は68~71ですのでとても優秀な方です。 1978年、大学卒業後に吉本興業に入社しますが、吉本を選んだ理由は『私服で通える事』だったそうです。 当時サーファーだった大崎さんは、入社条件をそこに重きを置いていたんですね。 最初は全く仕事にやる気がなく適当に過ごしていましたが、ある日同僚と徹夜でマージャンをしてボロ負けしてしまいました。 そこで突如、窓を開けて「絶対に出世する!!!」と怒鳴ったそうです。 その日から仕事に邁進して、1982年に吉本総合芸能学院 NSC の起ち上げの担当になります。 1980年~1988年まで続いた漫才ブームをダウンタウンと共に支えて来ました。 転載元: 2000年、㈱ファンダンゴの取締役に就任・2001年には吉本興業と㈱アール・アンド・シーの取締役に就任します。 ファンダンゴは今は存在しませんが、2008年まで放送していた『ヨシモトファンダンゴTV』というお笑い専門チャンネルです。 ㈱アール・アンド・シーはレコード会社ですが、創業当時は小室哲哉さんが関わっていました。 現在は小室さんとは全く関係無くなっていて、社名も㈱よしもとミュージックに社名変更されています。 2002年、㈱有明スタジオの取締役の就任・2006年には吉本興業取締役副社長に就任しました。 窓の外に向かって「絶対に出世する!!!」と叫んだ言葉を実現しました。 2009年、吉本興業の代表取締役社長に就任します。 10年間務めた後に2019年4月、現在の代表取締役会長に就任されました。 まさに立身出世の神様『豊臣秀吉』のような生き様ですね! 【ごっつええ感じで大崎洋さんが出演!ドッキリを仕掛けた】 転載元: これは何も吉本興業だけの問題ではなく、他の芸能事務所も一般の企業でも悩みは一緒だと推察します。 パワハラ・セクハラの境界線はどこなのか?契約解除や解雇・辞任や引退に至るまで人事に掛かる問題はいつの時代も難しいものです。 でも、個人的には『芸人ファースト』ではなく、『お客様ファースト』でなければ吉本興業の未来は危ういと思ってしまいました。 どこか論点がずれているこの現状を、大崎洋さんを初めとして社員さんやタレントさん達にもよく考えて頂きたいですね。 また吉本のお笑いで日本中が『大声で笑う事』が出来る様に、陰ながら応援していきたいと思います! 今回は『大崎洋 吉本興業会長 の年収や収入は?経歴と学歴も気になる!』をご紹介しました。

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吉本興業・大崎会長「いまのやり方変えない」発言に人気芸人も反発……トップダウン体制の限界か|日刊サイゾー

大崎 洋 会長

来歴・人物 [ ] に卒業後、吉本興業に入社。 以後、エンターテインメントビジネス界において様々なプロジェクトを成功させ、からの東京事務所時代には、を支えた。 吉本に入社した理由は、私服で通勤が可能な会社だったからと語っている。 入社当初は仕事に対して特別やる気もなく適当に仕事をしていたが、ある日、会社の同僚と徹夜でマージャンをしたときに終始一人負け続けたことがあった。 夜が空けた明け方近くまでずっと負け続けた大崎はおもむろに立ち上がり、カーテンと窓を開けて外に向かって大きな声で「絶対に出世する! 」と怒鳴り声を上げた。 その日以来、仕事に対する姿勢は一変し、最終的に社長に上り詰めた。 はかねてより大崎の能力を崇拝しており、自分の子供の名前をつける際、姓名判断の占い師に相談したついでに大崎の名前も鑑定してもらったところ、「掃除夫から社長になる男」との診断をもらったらしい。 吉本所属タレントの中でも、特にとの関わりが強く、開校時の担当社員となり、無名時代の2人の兄貴分・マネージャー的存在として業界のイロハを教える。 その後、大阪で人気の頂点に立ったダウンタウンを東京に進出させる(は、「大阪で満足していたが、遠くて近い外国・TOKYOに無理やり移住させられた」とネタにしている)。 また、ダウンタウンがメインの番組には・オーガナイザーなどとして参加、「ダウンタウンのごっつええ感じ」ではダウンタウンの二人が打ち合わせ中に大喧嘩するというドッキリの仕掛け役としてテレビ出演し、そのリアルな演出にすっかり騙された今田耕司が本気で泣いてしまうという事もあった [ ]。 東京支社長就任後は、吉本興業の企業としての近代化を進めると共に、新たな劇場の建設や若手育成に力を注ぐ反面、会社の方針に従わない芸人やタレントを大胆にリストラし、の淫行事件で早々に専属芸能家契約の解除を決定し 2016年11月に吉本復帰が許された 、の暴力団との親密交際 最終的には紳助が自ら引退 など、不祥事、モラルに反する行為を起こしたタレントに対し厳格な措置を取る(ただ、紳助が引退を決断する前に大崎が本人に対して、どういった措置を取るつもりだったのかは著書においても述べられておらず、不明である。 しかし、著書によれば吉本社内において様々な意見が出たが、大崎は紳助本人に決断をしてほしかったと述べられている )。 、まだ松本が20歳頃、松本も大崎も仕事が無く、ヒマをもてあました2人で映画館や銭湯等によく行っていた。 ある日、大崎が広いスポーツジムの25メートルプールで突然「俺が端から端まで息継ぎせんと泳げたら、これから先お前がどんだけ売れても、俺の言うこと1つだけ聞いてくれ」と言った。 お互いこの業界で成功しそうにないと思っていた松本は「いいですけど」と答え、大崎は本当に潜水してみせた。 その20年後、本当に売れた松本は「1つだけって、なに言われるんやろ? 断ったろ思ってんねんけど」とネタにする。 しかし更にその後に松本が頑として首を縦に振らなかった出来事があった時に「あのときのプールの約束、今使うわ」と大崎が言うと松本は「こんなときにですか…」と言いつつ「わかりました」と苦笑しながら了承した 経歴 [ ]• 1978年 吉本興業入社• 1980年 吉本興業東京事務所に、上司の(東京事務所長)と共に異動• 1982年 吉本総合芸能学院の担当社員に異動• 2000年 取締役• 2001年 吉本興業取締役、取締役• 2002年 取締役兼務• 2006年 吉本興業取締役副社長• 2009年 吉本興業代表取締役社長• 2019年 吉本興業ホールディングス代表取締役会長 暴力団との関係 [ ] 2012年、「週刊現代」1月28日号では吉本興業の創業家当主・林正樹が、大崎が5代目組長・の娘の芸能界デビューを画策していたと暴露している。 この件について「週刊現代」は、吉本興業とに連名で提訴されている。 2019年、吉本芸人が起こした闇営業騒動の中、元所属芸人のがで大崎について語り、前田らのマネージャーをしていた時代にヤクザから何回も仕事を受けていたと語った。 関連文献 [ ]• 『笑う奴ほどよく眠る 吉本興業社長・大崎洋物語』幻冬舎、2013年。 脚注 [ ] [].

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