吾輩 は 猫 で ある 内容。 「吾輩は猫である」のあらすじを簡単に!モデルは夏目漱石の飼い猫!

読書感想文を夏目漱石の「吾輩は猫である」で書こうと思っているのです...

吾輩 は 猫 で ある 内容

この記事を読むのに必要な時間は約 14 分です。 こんにちは。 『吾輩は猫である』は、夏目漱石の作品の中でも題名のインパクトが強いので、題名だけはよく知られている作品ですね。 「読んだことある?」と聞くと、 「いや~・・・。 」という感じの答えが多かったりします。 それも、よく分かります。 文章がつめつめで、改行とかあまりなくって、かなり、読みにくんですよ、この話。 540ページほどありますから、結構長い話ですしね。 でも、明治時代は、現代文がようやく今の形に統一された時期ですから、仕方のないことなのです。 そして、この作品は、作家・夏目漱石が生まれた記念すべき 第1作目です! それまで、漱石先生は、英語の教師でした。 今回は、 『吾輩は猫である』のあらすじと楽しみ方をお伝えします。 『吾輩は猫である』 夏目漱石は、文部省留学生として、ロンドンへ留学します。 そこでの生活は、彼にとってストレスだらけで、帰国したときには、神経も胃も弱り疲れ果てていました。 そんなとき、漱石は、俳句を載せていた雑誌「ホトトギス」の編集・ 高浜虚子に、「小説でも書いてみない?」とすすめられます。 高浜虚子は、俳人として知られた人です。 漱石の俳句の師で親友でもある 正岡子規の紹介で、知り合ったそうですよ。 ちょうどその頃、漱石の家に、1匹の「のら猫」が迷い込んできました。 その「猫」を題材にして書き始めたのが、この作品なのです。 夏目漱石の特徴と生涯は、こちらでお伝えしています。 ユーモラスな雰囲気が、冒頭からも伝わります。 吾輩は猫である。 名前はまだ無い。 どこで生まれたかとんと見当けんとうがつかぬ。 何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。 『吾輩は猫である』の登場人物 主な登場人物を紹介します。 この作品は、登場人物の「談話」が多くを占めているため、かなり多くの人が登場します。 猫 吾輩 ー主人公。 珍野家の飼い猫。 名前はまだない。 三毛子 ー 隣宅に住む二絃琴の御師匠さんの家の雌猫。 車屋の黒 ー 大柄な雄の黒猫。 べらんめえ口調の乱暴猫。 人間 珍野苦沙弥(くしゃみ)ー 猫の飼い主。 中学の英語教師。 妻と3人の娘がいる。 迷亭(めいてい)ー美学者。 苦沙弥の友人。 ホラ話ばかり言っている。 水島寒月(かんげつ)ー理学者。 苦沙弥の元教え子。 好青年。 越智東風(とうふう)ー自称詩人。 寒月の友人。 「オチコチ」 八木独仙(どくせん)ー哲学者。 髭を生やし意味不明な自論を持つ。 おさんー珍野家の下女。 甘木先生 ー苦沙弥の主治医、温厚な性格。 金田(かねだ)ー近所の実業家。 苦沙弥は嫌っている。 鼻子(はなこ)ー金田の妻。 巨大な鼻の持ち主。 富子(とみこ)- 金田の娘。 ワガママ娘。 多々良三平(たたら さんぺい)-実業家。 苦沙弥の元教え子。 簡単なあらすじ この話は、 「吾輩」(猫)の飼い主・陳野家のたわいない日常風景を描いた作品です。 登場人物の会話(論談)を楽しむのがメインなので、ストーリーらしきものはあまりないんですね。 大筋としてしっかり話になっているのは、「寒月と富子の結婚話」や「家に泥棒が入った事」です。 とにかく 「論談」がやたらと長くて、会話文だらけ!! 哲学的なうんちく話も多いので、なんだか意味不明な難解さを感じてしまいます。 「人間社会の風刺」と「ユーモラスな語り口」が、際立った特徴だと思います。 第一話・第二話 生まれて間もなく捨てられた猫が、陳野家に迷い込みます。 そして、その猫は、主人の承諾を得て、陳野家で飼われるようになりました。 (笑) 主人の苦沙弥(くしゃみ)は、中学校の英語教師で、絵やバイオリンなど何にでも手を出しながら、何ひとつものにできないという中途半端なインテリ趣味人です。 ) そして、この陳野家に、友達や元教え子などいろんな人が遊びに来ます。 元教え子で理学者の寒月、 ホラ話ばかりしている美学者の迷亭、 詩人の東風・・・。 来客たちも一筋縄ではいかない、変人たちばかりです。 「吾輩」は、彼らのことを 「太平の逸民(いつみん)」というヒマ人で、知的な笑いを誘う勝手な論談にふける者たちだと考えます。 また、「吾輩」は、隣家の琴の師匠の飼い猫「三毛子」と話をすると、心が晴れ晴れする気がします。 これは恋の予感かな?と、ときめいたのですが、「三毛子」ちゃんは、あっけなく病死してしまいました。 恋に破れた「吾輩」は、ますます主人の苦沙弥のように無精な猫になってしまいます。 第三話・第四話 ある日、実業家の金田の夫人「鼻子」が苦沙弥を訪ねて来ます。 (夫人は、巨大な鼻をしているので、「鼻子」とあだ名されています。 ) なんと、金田夫妻の娘・富子と理学者の寒月との間に結婚話が持ち上がっているのです。 鼻子は鼻持ちならない女性で、寒月が博士になれば娘と結婚させてやるとえらそうに言うので、苦沙弥が怒ってしまい、結婚話は決裂してしまいます。 (寒月君は不在です) 金田夫妻は、その後もいろいろと苦沙弥に嫌がらせをするようになり、「吾輩」は金田家に忍び込んで偵察することにしました。 第五話・第六話・第七話 ある日、陳野家に泥棒が入ります。 「吾輩」は、泥棒に気づきますが、何もせずに見守るだけ・・・。 先だってから、日本はロシアと大戦争をしているそうなので、「吾輩」も「猫中の東郷大将」として戦略的にネズミを取ろうと試みたりしますが、なかなかうまくいきません。 ) 泥棒騒動は、泥棒が捕まって一件落着しました! また、その後、「吾輩」は運動することにし、公衆浴場を覗きます。 その公衆浴場で、「吾輩」はある「奇観」を目にしてしまいます。 猫の目から見た 「口にするのをはばかる程の奇観」というのは、 【裸体の人間がうじゃうじゃいること】でした。 「吾輩」は「20世紀のアダムだ!」と思います。 実は、この事件も、金田が画策したものでした。 古井と浜田と遠藤の3人が、金田の娘が生意気だからと、からかうつもりで、艶書(恋文)を送りました。 その艶書(恋文)の差出人に自分の名を貸してしまった古井は、退学処分にならないか後で不安になって、苦沙弥に相談に来ます。 その返答に、もったいぶって「そうさな。 」を繰り返す苦沙弥を見て、「吾輩」はなかなかおもしろいなと思います。 第十一話 迷亭と独仙は、碁盤を間に据えて対峙しています。 碁を打ち、そのまま、独仙、苦沙弥、寒月、東風らが、女性論、夫婦論を展開することになりました。 珠磨をやめた寒月は、いつの間にか、故郷で親の決めた女性と結婚していました。 富子は、苦沙弥の元教え子で現在実業家の多々良との結婚が決まったそうです。 客たちが帰ったあと、「吾輩」はしばし考えます。 そして、みんなが飲み残したビールを飲んで酩酊し、なんと!水がめの中に転落してしまいます! 「吾輩」は、水カメの中で、もう無駄な抵抗をやめ自然に任せようと思いました。 吾輩は死ぬ。 死んでこの太平を得る。 太平は死ななければ得られぬ。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。 ありがたいありがたい。 おわりに 『吾輩は猫である』のおもしろいところは、なにより、皮肉っぽくユーモアのある猫・「吾輩」の語り口にあります。 そして、 苦沙弥たちのウィットに富む無駄話も楽しいです。 日常生活の中の、本当にたわいのない話が多いです。 苦沙弥の抜いた鼻毛が白髪だったとか、奥さんの頭に禿があるとかで悪口を言い合ったり、みんなでつらつらと無駄話を続ける様は、まるで落語か漫談のようなノリです。 とん子、すん子、めん子(坊ば)という名の、苦沙弥の娘たちも、なかなか変わった娘たちで、名前も変わっていますね。 (笑) そして、最期は、語り手(吾輩)が死亡するというオチでした。 この作品のおもしろさは、やはり読んでいただかなければ味わえないなあと思うのでした。

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「吾輩は猫である」を読んだ感想

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「吾輩は猫である」を読んだ感想 この「吾輩は猫である。 名前はまだ無い」という句で始まる夏目漱石の小説が世界文学の中でも非常に有名だと言われている。 そして、この小説は、明治の終わりになる時の社会を背景にして、苦沙弥と住んでいる猫の視野で観察したことをいろいろ紹介することである。 すこく斬新な書き方なので、読者の中で人気がとてもあると思われている。 それどころか、小説の内容は多くのところに風刺や黒いユーモアを使うから、作者の資本主義に対する批判的な思想も伝われる。 実は、正直に言うと、「吾輩は猫である」という小説は私にとって、単語も文法もすこし難しいが、面白い風刺の書き方で書いた主人公と他の人物についての馬鹿げたことを読んた時、いつも私を笑わせてから夏目さんの深い悲しさも感じさせる。 たとえば、苦沙弥は主人公として、確かに完璧ではない人物だ。 彼は「あまり口を聞かない人が、不活溌徴候をあらわしている」。 そして、「胃弱で膚の色がいつも淡黄色だ」。 それだけではないが、自分の家に閉じこもっていて、友達と伝統的な文学の知識をひけらかす趣味も持っています。 最初、私が苦沙弥に対する印象は本当につまらない人だった。 しかし、時間が経つにともなって、私はますますお金も地位も名誉も気にしない彼に感動した。 苦沙弥は教師の仕事ですこし貧しいにもかかわらず、金田夫婦を初めとする拝金主義の人に頭を下げるはずはない。 だからこそ、彼はいつも極楽主義で金田夫婦に頼る鈴木藤十郎に笑われる。 確かに、当時の資本社会の現実で、苦沙弥を代表する知識階級は政府に重視されていないし、お金も地位もないし、生活がとても苦しくてつらいだ。 それで、自分は必要がない存在だという哀しい考え方がある学者もたくさんいるかもしれない。 ところで、資本主義を深刻的に批判することはこの小説の一番大きな主題だと思っている。 夏目先生が書いたとおりに、「僕は実業家は学校時代から大嫌だ。 夏目先生がこの小説を創作している日本では、資本主義がますます向上しているところだ。 そして、資本階級は外国へ戦争を訴えるために、ぼろ儲けすることがいっぱいになった。 一方、多くの戦争費用は労働者に担当させるようになった。 低い給料で貧しい生活を過ごす国民に対して、資本階級はあまりにも幸せで豊かな生活を楽しんでいる。 これはなんと無公平な現実だろう!ただし、がっかりさせられることに、そんな悪い階級にサービスを提供する学者もどんどんいる。 彼だちはお金の前で頭を下げて、自分の良知を隠して、自分の使命を忘れた。 だから、当時の背景に、夏目先生はこの金銭万能のような社会に強い憤怒がして、風刺のペンで現実の資本主義にチャレンジしようと思った。 皆に知っているとうりに、「吾輩は猫である」の中で、大量の風刺を使われて、鮮明的な黒いユーモアを読者に伝わりたい。 まず、夏目先生は猫の視野で苦沙弥と客さんのつまらない相談や手紙の内容を反映して、また自分の感想は猫の考え方を通じて表す。 たとえば、「吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。 こんな働き手を見るたびに撲なぐってやりたくなる。 こんなものが一人でも殖ふえれば国家はそれだけ衰える訳である。 こんな生徒のいる学校は、学校の恥辱であって、こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。 恥辱であるにも関らず、ごろごろ世間にごろついているのは心得がたいと思う。 日本の人間は猫ほどの気概もないと見える。 情なさけない事だ。 こんなごろつき手に比べると主人などは遥はるかに上等な人間と云わなくてはならん。 意気地のないところが上等なのである。 無能なところが上等なのである。 猪口才ちょこざいでないところが上等なのである」。 確かに、こういう文を読んだら、苦沙弥の気骨がない性格はより一層はっきり見えたのではないでしょうか。 その上に、誇張した書き方も辛い風刺を含まれている。 金田夫人は鼻だけは無暗に大きくて、作者が人の鼻を盗んで来て顔の真中へ据すえ付けたように見えると言って、非常に強い風刺の意味を感じられたのはいうまでもない。 この小説は一般的な小説に比べて、少し違うが、プロットはあまりにも簡単過ぎて、小説のように見えない。 この作品は、プロットもなくて、結構もなくて、まるで海参のような頭も足もない様子だ。 夏目先生自分さえでこういう評価した。 しかし、プロットは簡単だの反面に、表す内容は簡単ではない。 ときとき、簡単なように見える文の中に深い哲理があるかもしれない。 この猫はこっそりして餅を食べているところに4の真理を感得した。 1番目、「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」 2番目、「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」 3番目、「危きに臨のぞめば平常なし能あたわざるところのものを為なし能う。 之これを天祐てんゆうという」 4番目、「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」 その中で、私は最後の真理にとても賛成した。 成功への道路はきっといつも順調ではないだろうか。 だからこそ、私だちの努力や持続はとても重要な力になった。 確かに、さまざまな困難や辛い煩悩がたくさんあるので、あきらめることも考えられるかもしれない。 でも、この部分を通したら、自分の能力とか自信とかいろいろ高められた。 つまり、成功にますます近くなった! とにかく、夏目先生が書いた「吾輩は猫である」の小説を通して、私はいろいろ勉強になった。 特に、そんな混乱の社会で作者自身の高尚な品質や資本主義にチャレンジする勇気に十分に感動させられた。 黒い夜が過ぎたら、暖かい太陽が空に輝いて、怖い大雨が降ったあど、美しい虹がかかる。 だから、これから、私は必ず先生のような精神で自分の未来のため頑張ろうと思う。 実は、正直に言うと、「吾輩は猫である」という小説は私にとって、単語も文法もすこし難しいが、面白い風刺の書き方で書いた主人公と他の人物についての馬鹿げたことを読んた時、いつも私を笑わせてから夏目さんの深い悲しさも感じさせる。 実 は、正直に を言うと、「吾輩は猫である」という小説は 私にとって、単語も文法も 私にはすこし難しいが、面白い風刺の書き方 で書い によって描かれた主人公と他の人物についての馬鹿げた こと 出来事を読んた時、いつも私 を は笑わ せてから ったあとに、夏目さんの深い悲しさも感じ させる。 面白い風刺の書き方、という表現よりは 面白おかしく世の中を風刺する文体で書かれた小説の主人公と…の方が、やや高度ですが、自然です。

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吾輩は猫である(夏目漱石)の1分でわかるあらすじ&結末までのネタバレと感想

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さて、暦の上では秋刀魚の美味しい季節が近づいてきましたね! 秋刀魚が食べたいなあ、食べたいなあ、食べたいにゃあ!などとくだらぬことを言っているうちに、有名なのに読んだことのなかった作品が思いつきました。 ということで、きょう扱うのはこちら!! 夏目漱石『吾輩は猫である』です!!!! 言わずと知れた夏目漱石の処女小説ですね。 冒頭の猫「吾輩」の台詞は多くの人が耳にしたことのある有名作かと思います。 恥ずかしながら未読のまま平気の平左ですましておりましたが、ついに読みました。 ひとことでいうと 、猫が猫自身の視点から飼い主やその奥さん、友人ら人間の生活を観察し、皮肉ったり笑ったり、不思議がったりする物語。 考察コーナーは真面目に書いているので、そこだけでも見ていってくださいにゃ! ユーモアにあふれたこの作品、ドキッとさせられる台詞も多く、味わい方たっぷりです!それでは早速参りましょう!• 『吾輩は猫である』登場人物、あらすじ、内容 登場人物(登場猫物?) 「吾輩」 猫。 名前はまだない。 捨てられ、空腹をこらえきれず人家へ。 その家にそのまま住みつき、主人をはじめとした人間たちの生活を観察します。 人間の傲慢なさまやおかしな点を、猫の視点から描きます。 「主人」苦沙弥 くしゃみ こちらは人間です。 中学の教師。 「吾輩」が忍び込んだ家の主人です。 すぐ書斎にこもってみるが大抵は寝ています。 新しいものに飛びついてみるが続きません。 胃が弱い。 迷亭 人間。 主人の友人で美学者。 すぐにほら話をするお調子者。 自分の知識をひけらかすのが好き。 金田家のひとびと 実業家の一族。 主人宅の近所に大きな家を構えています。 夫人は鼻が大きく「鼻子」と呼ばれています。 苦沙弥の天敵です。 娘が富子。 母親ほど鼻は大きくない。 寒月 理学士。 なんか研究に必要なガラス球を毎日削っているらしい。 博士になるんかいならへんのかい、なるんかいならへのかーーーい!! 富子と結婚すんのかいせんのかい、すんのかいせんのかーーーい!! あらすじ、内容 あらすじとかないです。 人間の普通な生活を、猫視点から「吾輩」が語ってくれます。 ところどころ不思議がったり、不満を言ったり、馬鹿にしたりラジバンダリです。 あとは「吾輩」が高貴な白猫ちゃんの白君を慕ったりします。 それから、寒月君が鼻子の娘と結婚するとかしないとかあったり、金田が「主人」へめちゃくちゃな嫌がらせをしてきたりします。 その中でも時折、鋭い考察や皮肉が差し込まれ、読者もドキッとしたり笑ったりラジバンダリします。 そして最後は唐突に衝撃のラストが!!!!!!!!にゃーーーーーー!!!!! 『吾輩は猫である』感想 「吾輩」かわいいし吾輩も猫になりたい。 『吾輩は猫である』考察 日々に「猫の視点」を ああであると言いながら、実際の行動はこうであると言っている。 これが大切だと言いながら、あれが大切であるかのように行動している。 昨日はああだったものが、きょうはこうなっている。 昨日もおとといも、先週も先月も去年もしてきたことは、自分が損をすることであっても疑うことなくきょうも繰り返してしまう。 まったく賢いのかあほなのかわからないのが人間なのかもしれません。 さて、そんな人間をみて楽しく笑うためにも、あほとして生涯を終えることがないようにするためにも、生活に「猫の視点」を取り入れたらいいのかも。 思考停止して日々を消費していくのではなく、普段の生活をいつもとは違う視点から観察してみたら、面白い発見や笑いの種がそこここに転がっているかもしれません! 自分の目に映るものをそこから見るだけではなく、ちょっと違う位置から眺めてみる。 地球はとっても広いはずなのになんとなく息苦しく感じる。 そんな狭隘な自分の世界から抜け出すために、ちょっと猫になってみてはいかがかにゃ? おわりに なんだか今回はとてもあほみたいでまとまりのない内容になってしまいました 笑 周りから「変わっている」といわれるあなたは、もしかしたら正体が猫なのかもしれませんね!!(は?) この作品の最後は衝撃的すぎて、読み終わった夜はなかなか寝付けませんでした。 ラストが気になるきみは、自分の目で確かめよう!! シェアやコメントお待ちしております!それでは!.

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