履正 社 出身 プロ 野球 選手。 寺島成輝

佐藤正尭

履正 社 出身 プロ 野球 選手

このページの目次• 圧倒的に多い、大阪出身の球児 今年、甲子園に出場した49の代表校で、 地元大阪偕星以外で大阪出身者が在籍している学校の数は、 20校にもおよび、 延61名の選手がいました。 2番目に多い 神奈川出身が、 49校中7校の延14人なので、いかに大阪出身者が多いのかが良くわかります。 しかも、あくまでベンチ入りメンバーの数なので、ベンチに入れなかった選手を含めると、まだ多く在籍しているでしょうし、甲子園に出場できなかった学校を含めると、計り知れないですね。 このように、大阪の中学生は全国の様々な高校へ野球留学をしていますが、なぜわざわざ親元を離れて、地方の学校へ進学のするのでしょうか? 野球留学の歴史 まずは、1970年以降の野球留学生の歴史を簡単にまとめてみます。 1980年前後に 「山陰の暴れん坊」として、一世を風靡したのが 鳥取の倉吉北高校です。 1978年の夏の甲子園では、 初戦で早稲田実業に勝利、1981年の 春の選抜ではベスト4に入るなど、全国に名が知れ渡りました。 また、野球の実力以上に倉吉北を有名にしたのは、剃りこみを入れるなど「ガラの悪さ」でした。 特に、春の選抜でベスト4に入った時のエースであった坂本投手は、ビートたけしがギャグに使うほどでした。 この坂本投手も関西出身者で、 中学時代は報徳学園の金村(現野球解説者)と比較されるほど有名な投手でした。 ちなみに、この時代に倉吉北の野球部に在籍していた方の話では、 春の選抜の準決勝で、仮にPL学園(結果は敗退)に勝っても決勝戦は辞退して欲しいと、高野連から言われていたそうです。 それほど、ガラが悪かったのです。 1980年の後半に差し掛かると、 香川の尽誠学園が台頭してきます。 伊良部(元阪神、兵庫尼崎出身)、佐伯(元横浜、大阪東ジャガーズ出身)、宮地(元西武、大東縄出身)谷(オリックス、弥刀東パワーズ)などは、 全て関西のボーイズリーグ出身です。 90年代に入ると、 大分の柳ヶ浦が登場し、 94年の夏の甲子園でベスト4に入った時も、多くの大阪出身者が在籍していました。 90年代中盤から後半にかけて、福井の敦賀気比、高知の明徳義塾が関西出身者で台頭してきます。 その後、2000年に入ると、青森山田、光星学院の青森県勢、宮城の東北、愛媛の済美、静岡の常葉菊川、岐阜の大垣日大など、近年甲子園で結果を残している学校の多くは、関西出身者が在籍していました。 野球留学をする、選手の実力 地方に野球留学をする選手の実力は昔と今とでは、少々違ってきています。 私が小中高を過ごした、1980年後半から90年中ごろまでは、関西のボーイズリーグで逸材と言われる選手は、大抵は PL学園を筆頭に、上宮、奈良の天理に進学していました。 その他には、90年代前半の大阪の高校野球界を引っ張った 近大付属、91年の夏の甲子園で初出場初優勝を飾った 大阪桐蔭、 北陽(現関大北陽)なども、有力な選手が入学していました。 それに比べて、地方の高校へ野球留学する選手の大半は、大阪の有力校に進学することができなかったレベルの選手でした。 そんな状況を一変させたのが、95年の夏の甲子園でベスト4に進出した、 福井の敦賀気比でした。 敦賀気比は94年の夏の甲子園で初出場しましたが、その時のレギュラーは大半が2年生でした。 しかも、福井県予選の決勝の相手は、プロ注目で福井県No1 投手と呼ばれていた、 横山投手(元広島)擁する福井商業を、2年生軍団が破って甲子園に出場したことは、当時の福井県の野球界に衝撃を与えました。 この時の敦賀気比は、 内藤(鯖江ボーイズ出身)飯田(元ロッテ、京都田辺)を中心とした強豪でしたが、飯田をはじめ当時ボーイズリーグの名門として君臨していた、京都田辺のレギュラーメンバーがごっそりと在籍していたのです。 飯田は、ボーイズの世界大会の日本代表にも選出された程の選手で、敦賀気比以外にも複数の学校からの誘いを断り、敦賀気比に入学してきたのです。 関西のボーイズのチームで、日本代表に選出されるレベルの選手が、地方の学校へ野球留学するケースは、当時としてはかなり珍しかったと思います。 敦賀気比を皮切りに、90年代の後半になると、高知の明徳義塾も大阪の名門ボーイズの主力クラスが入学するようになりました。 PL学園の不祥事と、有名スカウトの存在 そして、大阪の野球界を変えてしまう出来事が発生してしまいます。 そうです、 2001年に起こったPL学園の不祥事です。 当時のメンバーは、今江(ロッテ、京都田辺出身)、朝井(元楽天、大阪平野富士出身)、桜井(元阪神、野洲ボーイズ)小斉(楽天、河南シニア)などが在籍しており、PL学園史上でも最強と噂されていた程のチーム力でした。 当時のPLは、関西のボーイズ・シニアの有名人ばかりでしたからね。 PL学園が不祥事を起こしてしまったことで、それまでPL学園に進学していたレベルの選手が、地方の私立に散らばるようになったのです。 この頃から、青森山田と光星学院(八戸学院光星)が、関西の有力な選手の獲得に力を入れ始めます。 特に、青森山田は2001年に、元PL学園の監督で、長年PL学園の生徒獲得に尽力していたとされる、 井元俊秀氏(現明桜)を招聘し、関西の2流選手ではなく、有力な中学生を青森山田に入学させました。 この時、井元氏が大阪から入学させた一人に、 柳田(元ロッテ、全羽曳野)がいます。 恐らく、PL学園の不祥事がなければ、2001年に井元氏が青森山田に行くことはなかったのではと思います。 その後も、東北高校のダルビッシュ投手(全羽曳野)、駒大苫小牧の田中将大投手(宝塚ボーイズ)、光星学院の田村龍弘選手(ロッテ、狭山ボーイズ)など、関西の有力校に進学できるレベルの選手が、地方の高校へ野球留学するようになっていきました。 田村選手は中学時代、大阪桐蔭をはじめとした関西の有名校からの誘いがあるほど、大阪でも有名な選手でしたが、あえて誘いを断り、光星学院へ進学したといいます。 大阪の中学生は、なぜ野球留学をするのか? それではなぜ、大阪の有力校に進学できるトップレベルの選手が、わざわざ地方の学校に進学するようになったのでしょうか? いくつかのケースを挙げてみたいと思います。 地方の方が、甲子園に出場しやすいから 大阪予選は、今年も180校が出場し、全国で3番目に多い激戦区です。 なので、 大阪桐蔭や履正社などの有力校に進学しないと、大阪から甲子園に出場するのは、極めて可能性が低いと言えます。 それに比べ、鳥取(25校)福井(31校)高知県(31校)は、圧倒的に参加校が少ないため、甲子園へも出場する確率が高いので、地方へ進学する生徒も多いのです。 最も、野球留学生が増えた要因と言えます。 環境の良い学校でプレーをしたいから 例えば、 名門枚方ボーイズから、毎年数名の選手が西東京の日大三高へ進学していますが、西東京も全国有数の激戦区なのに、なぜわざわざ大阪から野球留学する必要があるのでしょうか? それは、 学校の環境が良いことが挙げられます。 日大三高は、野球部専用のグランド、寮などの施設の充実さは全国有数で、これに加えて小倉監督の指導を仰ぎたいと思う中学生が、入部してくるのでしょうね。 もちろん、 日大三高に入部できるレベルは、関西でもトップレベルの実績がある選手しか入れません。 なので、狭き門ですね。 高校卒業後の進路も含めて、条件の良い学校を選択する 日大三高にも言えることですが、高校を卒業した後の進路まで面倒を見てくれる高校を選ぶケースも増えています。 以前、ある 大阪の名門ボーイズの監督さんにお話を伺ったことがあるのですが、その監督さんは 明徳義塾の馬淵監督と親しく、関西でも有名な選手を明徳義塾に送っているのですが、その理由は、 「高校を卒業してかの進路まで、責任を持って見てくれているから」と仰っていました。 高校卒業後の進路の方が、ある意味甲子園に出場するよりも、重要ですからね。 特待で入学ができる 大阪では特待で入学ができなくても、地方の私立だと特待で入学させてくれる学校があるので、地方へ進学するというケースです。 私も、地方の私立高校へ特待で入学したので、これに当てはまります。 私は、大阪の有名校からは一切誘われませんでしたが、地方の甲子園出場校からは、数校勧誘していただいていました。 このように、 大阪だと一般入試でしか進学できなくても、地方だと特待で入学できる学校が多く存在するのです。 親の経済的な負担も考慮して、進学先を決める中学生もいると思います。 これからの野球留学のあり方について 昔は、中学時代大阪でトップレベルだった選手は、まず地方へ野球留学しませんでしたが、今では地方の強豪私立へ進学するケースが増えてきました。 甲子園に出場しやすい地方を選択したり、環境の良い学校を選択したり、理由は人それぞれです。 私も野球留学経験者なので、野球留学については肯定派です。 ただし、有力な中学生を獲得するために、強引な勧誘を行う行為については、賛同できませんし、問題だと思います。 こうした行為があるために、野球留学生自体が悪い目で見られることも事実です。 私は野球留学した県は、今なお県立至上主義の地域の為、私を含め関西から来た生徒は 「外人部隊」と言われ、審判などにもかなり迫害を受けたものです。 なので、行き過ぎた選手の勧誘による野球留学は、改めていただきたいものです。 それと、私が一番気になるというか、少し残念なのが、 大阪のトップレベルの選手が、良い環境を求めて敢えて東京などの激戦区に進学するケースです。 大阪には良い環境の学校がなかったのか? 甲子園に出場しやすくするためだけなら、大阪予選を南北に分ければ、多少は改善されるかもしれませんが、魅力のある学校が大阪にはなく、敢えて府外を選択しているのであれば、学校側にも問題があると言えます。 学校側も、大阪のトップレベルの中学生たちが、「ここで野球がしたい!」と思えるような、環境を用意する努力も必要でしょう。 大阪出身者としては、昔のように大阪のトップレベルの中学生は、大阪の有力校に進学するような時代が、また復活してくれることを願うばかりです。 その為には、大阪の高野連が、なぜ大阪の中学生が地方へ野球留学をするのか?真面目に分析をして、改善する必要があります。 また、野球留学そのものが、頻繁に取り上げられて問題視されることが多いですが、ただ問題定義を起こすだけでなく、高野連の本部も、野球留学の根底にあるものを、もう少し本気で分析し、改善の為の行動を移してもらいたいものです。

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兵庫出身プロ野球選手が多い出身地は?チームは?データをもとにランキングにしてみました。

履正 社 出身 プロ 野球 選手

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社高校(兵庫県)出身のプロ野球選手一覧

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