鈴村 興太郎。 鈴村興太郎|プロフィール|HMV&BOOKS online

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鈴村 興太郎

第1代 1968-70年• 第2代 1970年• 第3代 1971年• 第4代 1972年• 第5代 1973年• 第6代 1974年• 第7代 1975年• 第8代 1976年• 第9代 1977年• 第10代 1978年• 第11代 1979年• 第12代 1980年• 第13代 1981年• 第14代 1982年• 第15代 1983年• 第16代 1984年• 第17代 1985年• 第18代 1986年• 第19代 1987年• 第20代 1988年• 第21代 1989年• 第22代 1990年• 第23代 斎藤光雄 1991年• 第24代 1992年• 第25代 上河泰男 1993年• 第26代 1994年• 第27代 1995年• 第28代 1996年 日本経済学会• 第29代 1997年• 第30代 1998年• 第31代 1999年• 第32代 2000年• 第33代 2001年• 第34代 2002年• 第35代 2003年• 第36代 2004年• 第37代 2005年• 第38代 2006年• 第39代 2007年• 第40代 2008年• 第41代 2009年• 第42代 2010年• 第43代 2011年• 第44代 2012年• 第45代 本多佑三 2013年• 第46代 2014年• 第47代 2015年• 第48代 2016年• 第49代 2017年• 第50代 2018年• 第51代 2019年.

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鈴村 興太郎

友人の私立大学・大学院教授と駅で落ち合い、 ドトール・コーヒー店でコーヒー付軽食を食べたあと 大隈記念講堂に向かった。 少し時間があったので、大隈重信公の 銅像を見学して、早稲田大学記念ショップを 覗いた後、大隈記念講堂の立派な建物の前に立つた。 左手に学生食堂入口があり、その手前に講演の看板が 小さく見える。 大きな講堂の左手に、小さい、やや丸い石造りの入口が 少し沈んでみえて、看板はその前にあるから見えにくい。 薄暗い入口の扉は、板でできていて、すこし早いのか 中はガランとしていて、歩くとどんどん地下に繋がっている。 小講堂と言うから、小さいと思っていたが、300人収用でき、 前面の椅子の後ろには、「名前」の銘板が各々に付き、 引出型の机が収納され、椅子は折りたたみ式である。 もしかすると、銘板は「寄付」をした人の名前かも知れない。 地下と言うことを除いたら、立派な映画館のような設備に感じられた。 内容を理解するのは困難であり、それを他人に伝えようとしても 無理である。 では、なぜ、敢えて出席するかと言うと、「門前の小僧」というのがあり、 ノーベル賞級の博士の講演を聴いておくと、いつかは為になるのでは という「おまじない」のようなものである。 呆けの小生が「感じたこと」を言う。 本当は、彼の講義は呆けの小生には「難解」なのだ。 何度も説明をしてもらっても判らないから 理論でなくて、感覚で理解するしかない。 理路整然としているらしいが、 小生の頭脳が付いていけない。 感覚なら判るような気がする。 勝手な人間もいれば、独占的な人間も居て、「完全均衡」というのは 理論的には成立しないのである。 無差別曲線の理論構成は個々人では理解できても、 すべての人間に適用するには無理があるかも知れないのだ。 親が、大きさを目分量で見て、3分割して子供に与えたとする。 公平のようであるが、子供達は平等を望んだのか。 デコレーションが付いていたら、お気に入りの部分を望んだのかも知れない。 食べたくないから、or肥りすぎだから、今は多くを望まないかも知れない。 先験的に親が公平という概念を持ち込んで決定した場合、 子供達が民主的に話し合いをして妥協した場合、 どちらも同じ結果になったとしても其処に至った 「プロセスを大事に扱うことも重要」かも知れないのだ。 分業生活で発展してきた人間が、同質性・平等を求めながらも 特質性・異質性を少しでも打ち出すことで成長してきたのであり、 人間は「DNAから不可能性定理そのものの存在」であることを 忘れたのがその「定理」に過ぎない。 そもそも矛盾があるから人間は成長してきたのであるのを ノーベル賞学者は忘れているようにこの呆け頭は考える。 「構造設計」と「実装」は、ほぼ同じ概念を持つ。 呆けの小生が、纏まりのないことを書いてみたが、 皆さんには、もう少し経てば新刊書が出版されるはずである。 小生にはどうせ理解できそうにもないが・・・ 期待しよう。 彼の講義が終わって、質問時間も終わってからである。 美しい女性が、花束贈呈の式となった。 鈴村教授が嬉しそうに花束を受け取ったことを報告したい。 冷徹な教授も嬉しいときは嬉しいのであった。 ご健康を祈るばかりである。

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鈴村興太郎とは

鈴村 興太郎

1 Kenneth J. Arrow・Amartya K. 厚生経済学という表現は1920年に出版された イギリスの経済学者アーサー・ピグーの主著『厚生経済学』によって 最初に用いられたものであり、 社会的選択の理論にいたっては 1951年に出版されたアメリカの経済学者ケネス・アローの記念碑的な 古典『社会的選択と個人的価値』で最初に用いられた表現である。 したがって、この研究分野の形式的な起源は決して古いものではないが、 研究対象とされる問題そのものはほとんど人類の歴史とともに古く、 この理論が開発する分析手段は「人間生活の改良の道具」(ピグー)として、 基本的な重要性を持っている。 本書は、この分野における基本的な研究成果を体系的に展望・評価して、 読者を研究のフロンティアに誘うことを目的として編集された ハンドブックの第1巻の邦訳である。 編者のひとりであるアローは、社会的選択の理論の最初で最大の 基本定理を確立して、この研究分野を創始した重要な経済学者である。 数理経済学者としてのアローの業績は、 ワルラス的な競争均衡の存在定理の確立、 ワルラス的な価格調整過程(模索過程)の動学的安定性を保障する条件の発見、 ワルラス的な競争均衡における資源配分とパレート効率的な資源配分との 密接な関係を確立した厚生経済学の基本定理の精密な証明、 情報とリスクの経済学の先駆者的な開発、ラーニング効果を内生化した 経済成長モデルの導入をはじめとして膨大かつ多岐にわたっていて、 その影響力は非常に広範におよんでいる。 だが、これほどの業績のなかでも、 社会的選択の理論へのアローの開拓者的な貢献は、 おそらくもっとも重要な業績としての評価を既に確立しているといってよい。 もうひとりの編者であるアマルティア・センは、 アロー以降の社会的選択の理論の発展に最大の貢献をしてきた 創造的な経済学者である。 彼のリーダーシップのもとに社会的選択の理論の構造は著しく透明化され、 その射程距離は大幅に延長された。 センが1970年に出版した魅力的な著書『集団的選択と社会的厚生』は、 アローが最初に開拓した研究分野をさらに深く耕すとともに、 さらに遠くまで開拓するうえで、現在に到るまで数多くの研究者にとって 輝く道標として屹立してきたのである。 本書がその構想・編集・執筆の過程で、 この研究分野における卓越した研究者たちを殆ど網羅する程に幅広く、 暖かい支持を得ることができたのも、 この事実を背景としてのことであることはいうまでもない。 Arrow , A. 40年以上にわたり経済学の第一線で研究を続ける傍ら、 国内外の様々な学会や委員会などでも活躍してきた 背景はどこにあるのか。 本書では、研究者としての苦闘と成長の軌跡を辿りつつ、 厚生と権利という2つの価値の狭間を探究し続けてきた 自らの研究のエッセンスを紹介する。 [ここがポイント] ・日本を代表する経済学者は、厚生経済学・社会的選択理論を どのように発展させてきたか。 ・知られざる苦闘と成長を余すところなく語る。 立派な業績なので、ぜひ長生きして、受賞をお待ちください。 23-2017. 21 アメリカ合衆国の経済学者。 20世紀経済学史上の最重要人物の一人とされ 経済学全般において革命的な論文を書いている。 経済学・社会学・政治学など他学問にも影響を与えている。 1972年、51歳という史上最年少でノーベル経済学賞を受賞。 受賞年:1972年.

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