飯島 愛 生い立ち。 スクープ!親友ホステスが激白「飯島愛を殺した」私!(4) 死の直前の「痩せていた腕」

飯島愛さんはCIAに殺された。

飯島 愛 生い立ち

この記事の目次• 古田順子とは女子高生コンクリート詰め殺人事件の被害者 古田順子さんとは、戦後最悪の少年犯罪とも言われている「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の被害者です。 古田順子さんが被害者となった「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は、1988年11月、当時15歳から18歳までの不良少年グループが、当時17歳だった古田順子さんを脅迫して拉致し犯人の1人の自宅自室に監禁した上、そこで約1ヶ月半にわたって暴行、虐待を加えて死に至らしめ、遺体をドラム缶に入れてコンクリート詰めにして遺棄したという極めて凄惨な事件です。 10代の不良少年グループが同世代の10代の女子高生を凄惨な方法で殺害・遺棄した事件として当時の社会は震撼し戦後最悪の少年犯罪として現在まで語り継がれています。 今回は、この「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の被害者・古田順子さんに焦点を当ててまとめていきます。 古田順子が被害者となった女子高生コンクリート詰め殺人事件の概要 古田順子さんについて見て行く前に「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の概要を簡単に振り返っておきたいと思います。 1988年11月25日の夜、犯人の当時18歳の宮野裕史と当時15歳の湊伸治は、通行人を狙ってのひったくりや、若い女性を狙っての強姦を企み、埼玉県三郷市の路上を原付バイクに乗って徘徊していました。 そこへ偶然、アルバイト帰りの古田順子さんが自転車で通りかかります。 それを見つけた宮野裕史は、湊伸治に命じて古田順子さんの乗る自転車をバイクで接近して蹴り倒させ、自身は湊とは無関係を装い、助ける振りをして転倒した古田さんに接近「またあいつに襲われたら危ないから送る」などと騙して近場の倉庫へと連れ出します。 そこで、宮野裕史は古田順子さんを脅迫してホテルへと連れ込み強姦。 その後、宮野裕史は古田順子さんを連れたまま、先に自宅へと帰宅していた湊伸治と不良仲間の小倉譲と渡邊恭史を加えた3人と別の場所で合流し、相談してこのまま古田順子さんを返さずに湊伸治の自宅自室へと監禁する事を決めます。 その日から古田順子さんは、少年たちに代わる代わる強姦されるようになります。 この4人だけではなく、その他にも大勢の不良少年や少女(一説には100名以上とも)がこの暴行・虐待に加わったとされますが、事件発覚後に逮捕されているのは上記の4名だけです。 その後、古田順子さんは性的暴行を受けるだけにとどまらず、拷問的な暴力も受けるようになります。 顔面を拳で繰り返し殴打される、ライターのオイルをかけられ繰り返し火をつけられる、淫部に異物を挿入される、酒を無理に飲まされシンナーを吸引させられる、真冬のベランダに全裸で放置される、顔面に回し蹴りを受ける、鉄のダンベルを腹に落とされるなど、彼女に向けられる暴力は際限なくエスカレートしていきました。 こうした暴力を古田順子さんは連日にわたって受け、また、食事や水も満足に与えられずに次第に衰弱していき、1989年1月4日〜5日頃についに亡くなります。 宮野裕史ら4人は、古田順子さんの遺体をどのように捨てるかを相談し、宮野が以前読んだ劇画に死体をコンクリート詰めにして遺棄する話があったのを思い出し、その方法で遺体を捨てる事に決めます。 ドラム缶は近所にあったごみ捨て用のものを盗み、セメントと遺体を運ぶためのトラックは宮野裕史が以前の勤め先から借り受けて用意しています。 犯人達4人は、古田順子さんの遺体を膝を両手で抱え込むような格好にしてドラム缶に入れてセメントを流し込み、頭までコンクリート詰めにした上で、トラックで東京都江東区若洲の埋め立て地へと運びそこへ遺棄しています。 その後、4人は別の強姦事件で捕まって警察で取り調べを受けた際に、刑事の1人が「人を殺してはダメじゃないか」とカマをかけたところ、少年の1人が古田順子さん殺害が既にバレていると勘違いして犯行を自供、この凄惨な事件が明るみに出ます。 事件に凄惨さに社会は騒然となりますが、犯人たちは当時未成年だった事から実名を伏せられ(一部メディアは実名報道を強行)、裁判での判決も主犯の宮野裕史が懲役20年が最長という、事件の残虐性に比してあまりにも軽い印象を受けるものでした。 その後、現在までに犯人4人のうち実に3人が再犯してまたもや逮捕されており、当時の判決の甘さを批判する声が強まっています。 このように、あまりに残虐な事件の内容と犯人達の再犯率の高さから「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は現在も人々の心に深くわだかまっている事件なのです。 「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の被害者・古田順子さんは、1971年1月18日に生まれました。 埼玉県三郷市高州町で両親と兄と弟の5人家族に育ち、兄弟仲の良い快活で明るい少女だったそうです。 古田順子さんは、地元の埼玉県三郷市立高洲小学校から埼玉県三郷市立南中学校を経て、県立八潮南高校に進学しています。 高校の教師や友人達からの評判はとても良く、当時のアイドルタレント・倉田まり子さんによく似た可愛らしい顔立ちと、165センチのスラリとしたモデルみたいだったと言われるほどのスタイルの良さに加え、性格も明るく快活で、男女問わず同級生達からの人気を集めていたそうです。 友人達の話によれば、古田順子さんはアイドルに憧れており、将来の夢としてアイドルを語った事もあったそうです。 また、高校の教頭の話によれば、学校の成績はトップクラスで、ほとんど問題は起こさず、欠席したのも3年間通じて1日か2日ほど、アルバイト先の店長は「派手な服装はせずいたって真面目な子だった」とコメントするなど、極めて周囲からの評判の良い少女でした。 また、1989年3月の高校卒業後の進路もすでに決めており、家電量販店への就職を内定させ、将来にも希望を持っていたと言います。 1989年4月2日に営まれた古田順子さんの葬儀はテレビで中継され、学校の友人達をはじめ多くの関係者が訪れ、人目もはばからずに号泣する女子生徒達の姿が映し出されていました。 このような品行方正で周囲の誰からも愛されていた少女が、凶悪な不良少年達におもちゃのように嬲られて殺害され、遺体をコンクリート詰めにされるというあまりにも理不尽で凄惨な事件に、当時の社会は震撼し、同時に人々の中には犯人の少年達への憎悪と怒りが渦巻く事になりました。 古田順子は「非行少女だった」というデマ情報を流したマスコミも 上で紹介したように、古田順子さんは極めて品行方正であり、性格も良い誰からも好かれる少女でした。 それにも関わらず、当時の一部のメディアは、古田順子さんを「非行少女だった」とのデマ情報を捏造して報道し、古田順子さんは元々加害者少年達と面識があり、あたかも不良グループの中で起こった内輪揉めかのように匂わせ、いたずらに興味を煽るように報じました。 また、古田順子さんが犯人の少年らに誘われて自らの意思でついていったと決めつけ、被害者である古田順子さんにも責任があるなどと報じたメディアもあり、さらには、少年達は家庭環境に問題があったため非行に走ってしまったなどと、まるで犯人の少年らをかばうかのような報道までもが見られました。 ここまで見てきたように、古田順子さんには一切なんの落ち度もなく、100パーセント完全なる一方的な被害者です。 ましてや古田順子さんが元から非行少女で、加害者少年達と関わりがあったなどというのは、極めて悪質なデマ情報だと言わざるを得ません。 こうした人々の興味を煽るためだけになされた当時のデマ報道は、現在でも強く批判されています。 古田順子の両親や兄弟など家族のその後は? 最愛の家族をあまりにも理不尽な形で突然に奪われた古田順子さんの家族はその後どうされているのでしょうか? 古田順子さんの母親は、娘の変わり果てた遺体を見て精神を病んでしまったといった噂が流れていますが、この情報には明確なソースがあるわけではありません。 さらに酷い噂として、両親共に事件後に絶望して精神を病み、既に自殺しているという噂までもが流れていますが、こちらもなんの根拠もないデマ情報です。 しかし、古田順子さんの両親のその後については、全くといっていいほど情報がありません。 また、古田順子さんの兄と弟のその後についてもなんの情報も出ていないようです。 「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は当時あまりにも世間から注目され、古田順子さんの家族達もマスコミに執拗に追いかけ回され世間からの好奇の目に晒されました。 しかし、古田順子さんの家族らは事件に関してほとんど何のコメントも出さず、ただひたすらにそうした状況を耐え続けていました。 こうした経緯を考えれば、両親や兄弟、家族らが悲しみとストレスで精神を病んでしまったとしても全く不思議ではありませんが、おそらく現在はどこかで静かに暮らしているはずです。 古田順子さんの家族のその後について興味本位でつつき回すのは止めておいた方が良いでしょう。 古田順子の暴行・殺害に飯島愛が関わっていたというデマも流れる 2008年12月に自宅で不審な死を遂げた元タレントの飯島愛さん。 飯島愛さんは死の2年半前、2007年3月に芸能界から引退していましたが、この突然の引退と不審な死には「女子高生コンクリート詰め殺人事件」が関わっているのでは?という噂が流れています。 飯島愛さんは2006年10月、自身のブログで「女子高生コンクリート詰め殺人事件」に関与しているという噂で中傷され悩んでいるという心境を明かしてます。 これは、飯島愛さんが銀座でホステスをしていた頃の友人でノンフィクション作家としても活躍する倉地明美さんが、飯島愛さんが過去にコンクリート事件に関わっていた事を知っていて脅迫しているといった噂へとつながっていきます。 そして、飯島愛さんが人気絶頂の頃に芸能界を引退しそのわずか2年半後に不審な死を遂げたのは、このコンクリート事件の事で何者かに脅迫され、ついにその何者かに殺害されたのだという都市伝説めいた噂話が囁かれるようになります。 しかし、倉地明美さんが飯島愛さんを脅迫しているという噂については、全く別の人間が倉地明美さんの名前を語って根も葉もない中傷を行なっていたというのが真相だったようです。 したがって、飯島愛さんが「女子高生コンクリート詰め殺人事件」に関与していたという噂の証拠となる情報は一切存在しません。 この噂は、飯島愛さんが古田順子さんの遺体が遺棄された江東区の出身である事と、1972年生まれで犯人達や古田順子さんと同世代である事だけを理由に生まれた単なる妄想に過ぎないのです。 飯島愛さんの引退理由については、飯島愛さんの両親がその真相を明かしています。 「自分のようにお化粧で化けている人間は、この先テレビが進化すると素顔がバレるから、やっていけなくなる。 それより、事業をやりたい」 飯島愛さんはどうやら、自分は化粧で化けている人間だから、テレビの映像技術が進化すると素顔がバレて売れなくなってしまうと考え、それならば引退して事業をしようと考えて引退を決断されたようです。 このように飯島愛さんが古田順子さんが被害者となった「女子高生コンクリート詰め殺人事件」に関係して引退したというのは根も葉もない噂に過ぎません。 まとめ 「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の被害者・古田順子さんについてまとめてみました。 古田順子さんは事件当時、17歳の高校3年生でした。 当時15歳から18歳までの不良少年らに拉致監禁され、そのまま1ヶ月半にわたって性的暴行や凄惨な虐待を受けた挙句殺害されました。 その後、古田順子さんの遺体は、少年らによってドラム缶に入れられコンクリート詰めにされて遺棄されます。 事件発覚当初、古田順子さんについて「非行少女だった」「少年らにノコノコ付いていった挙句殺害された」などのデマ情報が一部マスコミから報じられますが。 実際には古田順子さんは極めて品行方正で、周囲からの評判もとても良い少女で、こうしたマスコミの下劣極まりない報道姿勢に対しては現在も批判が集まっています。 さらにその後、飯島愛さんが古田順子さんの暴行や殺害に関与しているといった噂話も流されましたが、こちらに関しても根も葉もないデマ情報に過ぎませんでした。 古田順子さんが殺害された「女子高生コンクリート詰め殺人事件」は、そのあまりにも陰惨な事件の内容から、こうした根も葉もない噂話が次々と浮上し、多くの人を理不尽に傷つけています。 事件の被害者である古田順子さんをはじめ、多くの人々を傷つけたこの事件を風化させないためにも、多くの人に正しくこの事件について知って欲しいと願います。

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飯島愛への厳しすぎた両親のしつけ…悲しい中学時代と人生を変えたリンチ事件

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90年代から2000年代にかけて高い人気を博して、いまでも彼女のタレントとしてに才能を惜しむ人も多い飯島愛さん。 今の若いの人はもう彼女の存在を知らないようですね。 しかし今でも芸能界に残した功績は大きいと言われており、AV女優の社会的地位を上げた有名人としても知られています。 そんな彼女のプロフィールをまとめてみました。 名前:飯島愛• 別名義:大久保 松恵(本名)• 愛称:愛珍(あいちん)• 生年月日:1972年10月31日• 没年月日:2008年12月17日• 没年齢:36歳(数え37)• 出身地:東京都江東区• 死没地:東京都渋谷区• 血液型:A型• 身長:163 cm• 体重:43 kg• BMI:16. スリーサイズ:86 — 56 — 85 cm• デビュー:1992年• ジャンル:タレント・AV女優• モデル内容:ヌード• 活動期間:1992年 — 2007年 飯島愛の今後の活躍は?.

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【闇】飯島愛の過去の苦しみがやばい…坂口杏里も大変なことになるぞ…【茨の道】 : NEWSまとめもりー|2chまとめブログ

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芸能引退後の実生活の真実 「2008年12月26日、都内で親族だけの密葬が営まれました。 それとは別に、親交の深かった中山秀征らを中心に、ファン参加のお別れ会を開く方向で準備を進めているようです。 ご両親が了承すれば、早々に実現するのではないでしょうか」(芸能プロ関係者) 「遺体は死後1週間近く経過しており、検視の結果、事件性はないと判断しましたが、自ら命を絶ったのか病死かの判断は出来ず、行政解剖が行われました。 しかしそれでも特定は出来なかった。 室内からは複数の睡眠剤が発見されており、薬の過剰摂取か、もしくは薬と酒の併用で意識不明になったという見方が強いようです」(社会部記者) 数日前に飯島さんと会ったという男性はこう話す。 「眠れないと、憔悴しきっていました。 ここ数ヶ月は薬を飲むと止まらなくなる。 友達の部屋でお酒を飲んでいて気づいたら2日も経っていたと話すこともあった。 感情の起状も激しく、若い頃はいろんな男と寝たんだと言い出したかと思えば、日本の政治はおかしいと騒ぎだすんです。 彼女の悩みについては、金銭トラブルなどあれこれ憶測が流れましたが、私にはよくわからなかったです」 振り返れば飯島さんの人生は波乱万丈だった。 その頃、出演した深夜番組でTバック女王として注目され、テレビタレントに転身した。 大成功の芸能生活だったが、2007年3月31日、持病の腎盂炎(じんうえん)を理由に芸能界を突然引退したのだった。 両親も飯島さんのことを心配していた。 亡くなる1年前、週刊誌記者が実家を訪れた際、父親の大久保和夫さんは、「親としては病気が心配で電話をするんですけど、昼間は寝ているのかどうか知りませんが、全然出てくれない。 コールバックもないし・・・」と不安げに語っていたという。 飯島さんは精神的に不安定になっていたが、当時新たなビジネスを立ち上げる準備に入り、意欲を取り戻していたともいう。 「グッズのショッピングサイトです。 遺体発見の10日前には、旧事務所にも協力を仰ぐため、やっとビジネスの形が見えてきたから、具体的な相談がしたいと連絡を入れていたと聞いています。 そんな矢先だけだっただけに・・・」(芸能プロ関係者) 2000年の飯島愛による自伝著書は200万部も売れ、テレビドラマや映画化もされた。 2006年に芸能界を引退してからも自身ブログの更新は続けていた。 ブログで健康上の問題も綴っていた。 ブログには亡き後もファンがコメントを書き込み続けていたというが、管理していた両親が高齢になった為、2015年10月に閉鎖しています。 飯島愛の地元での生い立ち 肺炎という警察の発表があり、それでも死因についてはエイズだとかいろんな噂が絶えななかった飯島愛。 亡くなってからこれだけ多くの話題があるということは、たくさんの人から支持されていたとも言えるんじゃないでしょうか。 その飯島愛の人生を変えた中学生時代のリンチ事件があったそうです。 2009年2月4日、警視庁渋谷署は飯島愛(享年36)の死因が肺炎であったと発表した。 自宅のマンションからは風邪薬や睡眠導入剤など、医師が処方した薬が見つかったが、事件性はなく病死と断定されたのだ。 華やかなマルチタレントが独りきりで消えていった。 中学時代の彼女の面影が残る橋がある。 「あいつ、五之橋の下でリンチされたんですよ。 あいつが決定的に変わったのはあのことがあってからです・・・」 昼間でも薄暗い川緑に立ちつくしながら、私の脳裏には飯島愛・・いや、本名・大久保松恵の中学時代の友人の言葉が何度もよみがえってきた。 五之橋の近くに、松恵の出身校である江東区第三亀戸中学校がある。 亀戸地区の中では進学率が高いことで知られている。 しかし、松恵の実家から通うには、少々距離が離れている。 なぜ、この中学校に進んだのか? 彼女の小学生の同級生たちはその理由を知っていた。 しつけに厳しく、英才教育に夢中だった両親の姿は、飯島愛の本に何度となく描写されている。 「笑わない父親の隣で、口数の少ない母はいつも目を吊り上げていた。 母からすれば子供たちが叱られるということは、遠回しにお前の教育がなってないといわれているようなものだった。 あなたのためだから、あなたのためだから、ほんとうにそうだろうか。 でもそれが母親の口癖だった。 」 両親が松恵の進学先として望んでいたのは、お嬢様学校として名門「東洋英和女学院」の中学部だった。 入試を受けて不合格になったのか、あるいは学力が合格水準を下回っていたので試験を受けなかったのか、それは定かではない。 いずれにせよ松恵は東洋英和女学院に進学しなかった。 落胆した両親は、せめて高校から東洋英和に進んでほしいと願ったのだろう。 自治体相手の困難な手続きをいとわず、当時としては珍しい越境入学を実現させたのだ。 (地域によっては認めてないらしい) 松恵の中学受験失敗と越境入学は、同じ小学校の同級生やその親たちの間で話題となった。 ある同級生の親はこう振り返った。 「大久保さんが教育熱心なのは有名でしたから、みなさん松恵ちゃんの受験には関心を持っていましたね。 でも大久保さんに受験の結果をきくわけにもいかないじゃないですか。 どうなったんだろう?と話題になっていた時、大久保さんの奥さんがPTAの席で何だがとても恥ずかしそうにしていたので落ちたとわかりました。 松恵ちゃんが三亀中に越境入学すると聞いた時は、あの親ならとみんなで妙に納得していました。 松恵ちゃんの受験の失敗が恥ずかしくて二亀中の親とは関わりたくないんでしょと母親たちは噂をしていました。 」 小学校の友達と引き離され、たった独り三亀中に通う松恵・・・。 12歳の少女にとって、その環境の変化はつらく不安を感じたに違いない。 三亀中の同級生の証言によれば、中学に入学した当初の松恵は、大変おとなしい少女という印象で一致している。 飯島の本でも、中学に入った当初の様子が綴られている。 中間テストや期末テストで、松恵は学年で10位以内という好成績を修めていたが、同じクラスにどうしても抜くことの出来ない女子生徒がいたため、母親からなじられていたという。 数学で90点を取っても褒めてもらえない。 4問も間違えてるじゃない!どうしてできなかったの。 努力しても努力しても、母親から認めてもらえない。 12歳の少女は心の中で悲痛な叫びをあげ続けていた。 私は、ただほめてもらいたかった。 父に、母に、一言がんばったねといってもらいたかった。 追い詰められていた松恵にさらなる悲劇が・・・。 中一の秋に祖父が逝去したのだ。 両親の厳格なしつけでしょんぼりした松恵を温かく受け止めてくれた祖父母の家は、松恵にとっては安息の地だった。 このショックから松恵は勉強を怠ることになり、成績は急速に落ちて行った。 そして問題の事件が起こるのであった。 飯島愛が地元を捨てた事件 祖父が逝去してからは、付き合う友達も変わった。 仲間と一緒にそれまで出入りもしなかった地元のゲームセンターなどで遊び回り、その中で知り合った高校生と交際を始めた。 礼儀正しいと評判だった松恵の態度は、荒々しいものとなっていった。 よくつるんでいた中学の同級生は、このように証言する。 クラスメートの男子の前で、突然スカートをまくりあげた彼女。 「当時は、征服のスカートの丈が長ければ長いほどワルとみなされ、大久保もそのスタイルでした。 今思い出しても何であんなことをしたんだろうか、わからないんです。 スカートを突然上げる行為をした彼女はちょっと自慢げに微笑んでいました。 」 屋上でタバコを吸っているのを教師にばれそうになった時、松恵はタバコをすべて口に詰め込み、ムシャムシャと飲みこんでしまったという。 この証拠隠蔽ですくわれた不良仲間はスゲエ奴と一目置くようになった。 だが、派手な振る舞いは諸刃の剣でもあった。 上級生や他校の不良からすれば、生意気ということになる。 松恵は待ち伏せをされて脅されたり、袋叩きにされたこともあった。 そして決定的な事件が起きた。 中学2年になったある時のこと、松恵はいつも遊んでいる三亀中の女子生徒に呼ばれた。 待ち合わせ場所の五之橋の下に行くと、いつもと仲間の様子が違う松恵をにらみつけてこう啖呵を切った。 「てめぇ、イキがってんじゃねえよ!」 集まった女子生徒ひとりひとりから厳しいビンタを喰らわされた。 中には松恵の親友だと思っていた女子生徒も含まれていた。 松恵は唇は裂け、鼻から、口から血があふれでて、「亀戸で二度とでけぇつらするんじゃねえよ!」と言われ、土下座して謝罪を強いられた。 この事件から松恵は中学では無視をされるようになり、居場所がなくなり、学校にも段々いかなくなる。 友達を失った松恵は、日曜日になると歩行者天国にいくようになる。 ホコ天に通っているうちに松恵は自分と同じような中学生の少女達と仲良くなる。 ホコ天が終わると、今度は新宿へ移動し歌舞伎町のディスコに入り浸るようになる。 当時の歌舞伎町のディスコは500円で中高生でも自由には入れた。 これがきっかけで松恵はさらに堕ちていった。 この当時を知る同級生はこのように証言している。 ごくたまにきまぐれで学校に行っても授業をまともに受けてなかった。 「大久保が久し振りに学校にきた時、音楽の授業で縦笛のテストがあったんですよ。 練習をしてきてない大久保にも順番がまわってきて、彼女は一応、起立してみんなの前に出ました。 けれども全然笛を吹かないです。 その時、教室にシンナーの臭いが立ち込めたんです。 あれ、どうしたんだろうと、クラス中が彼女に目をやると、ビニール袋の中に笛を入れて、シンナーを吸っていたんです。 音楽の先生に職員室に連れていかれました。 」 松恵は定期的に少年センターに通所することとなり、そのたびに古川のカウンセリングを受けた。 そして次第に古川に対し、松恵は心を開いていった。 しかし、古川のカウンセリングによって非行が治ったわけではなかった。 家出や窃盗を繰り返し補導されるというパターンが続いた。 松恵はカウンセリングを受けながら、なんとか中学校を卒業することが出来た。 三亀中の卒業文集を見ると、同級生は嫌でも松恵のことを思い出すという。 それは大久保松恵のページが白紙になっているからだ。 都内の私立高校に進学した松恵は、わずか1ヶ月で退学した。 そして両親や古川の前から姿をくらまし、ディスコで知り合った彼氏と埼玉県で同棲生活を始めた。 松恵は16歳の秋、文京区にあるカラオケスナックで水商売のアルバイトを始めた。 みんなに愛されるようにと、勤め先のママがつけた源氏名が愛だった。 飯島愛(大久保松恵)は10代の頃から人一倍寂しかったのではないでしょうか。 飯島愛が結婚を考えていた元アイドル男性の存在 たくさんのファンに惜しまれ、若くして亡くなった飯島愛ですが、実は結婚する寸前までいった元アイドルの男性がいたことが当時紹介されていました。 両親から勘当され、不仲だと報じられていた飯島愛だったが、実は頻繁に連絡をとり、母の手料理を家族で囲むことも多かったという。 「亡くなってから一切話すつもりはありませんと、口を固く閉ざしてきたご両親ですが、お別れ会で終わりが落ち着いて、話をすることになったようです。 いままでひとり歩きしていた飯島愛の誤解をとき、ごく普通の娘について話したいとの意向があったようです」(出版社関係者) そうして明かされたのは、中学・高校時代に家出や補導などでさんざん迷惑をかけた親に、芸能界入り後、懸命に親孝行し、絆を取り戻していく愛情あふれる親娘の物語。 時を同じく、飯島さんの追悼本が発売された。 この本を発売にあたって、飯島さんの関係者200人に週刊誌が取材をしたという。 その中で初めて明かされたのは彼女の恋愛だった。 「愛ちゃんがかなり真剣に交際していた元アイドルがいたことが明かされています。 そのまま結婚するのでは?という雰囲気でした」(芸能関係者) 出演番組の楽屋が隣だったことがきっかけで知り合い、年齢も1歳違いだったことから親密になったが、人気アイドルグループのひとりだった彼の立場を考えると・・・自分から身を引いたという。 「愛ちゃんが以前からファンだったという俳優と楽しそうにレストランで食事をしていたことや、芸能界に入る前には有名音楽プロデューサーと交流があったことなどのエピソードも紹介されています」(芸能関係者) 亡くなってからも語り続けられる飯島愛という大きな存在が残したものが、いかに大きかったのかを示しています。

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