桶川 ストーカー 殺人 事件。 『桶川ストーカー殺人事件

桶川ストーカー殺人事件の犯人は、何故自殺したんですか?

桶川 ストーカー 殺人 事件

桶川・女子大生ストーカー殺人事件 桶川・女子大生ストーカー殺人事件 【事件概要】 1999年10月26日午後0時55分頃、埼玉県桶川市の路上で、上尾市在住の女子大生・S子さん(21歳)が男に刃物で左胸と脇腹を刺された。 男は逃走し、S子さんは病院に運ばれたが、まもなく出血多量で死亡した。 S子さんにストーカー行為を繰り返していた元風俗店経営・小松和人(27歳)首謀による殺人とされているが、小松も01年1月に自殺している。 小松和人 小松武史 久保田祥史 伊藤嘉孝 川上聡 他 【不安】 1999年10月26日午後0時55分頃、埼玉県桶川市のJR桶川駅西口前のスーパー脇の路上で、上尾市在住の跡見学園女子大2年・S子さん(21歳)が男にナイフで左胸と脇腹を刺された。 男は逃走し、S子さんは病院に運ばれたが、まもなく出血多量で死亡した。 S子さんは大学に向かう途中に、自転車置場に自転車をとめたところを襲われたものと見られた。 当初は通り魔の犯罪とも見られた事件だが、家族や友人の話から1人の男の名が浮上した。 男は、以前にS子さんと交際していたという元風俗店経営・小松和人(当時27歳)のことである。 小松はこの年の1月頃にS子さんと知り合い、交際と始めていたが、別れ話を切り出されると、執拗に嫌がらせを繰り返していた。 いわゆる「ストーカー」という行為である。 ストーカーはそれまでにTVドラマなどで取り上げられたりして、一般の人々にその意味合いは知られていたが、実際に殺人事件にまで発展するケースは稀だった。 和人はS子さんの前に交際していた女性に対しても同じような嫌がらせをしていたようだった。 その和人も、事件後から行方をくらませていた。 ただ和人は身長180cmで「羽賀研二と松田優作を足して2で割ったような色男」らしく、目撃者の証言から「短髪、小太り、青いシャツ、身長170cmくらい」だというS子さんを刺した男とはどうも特徴が一致しなかった。 小松の経営していたとされるヘルスのあるマンションの一室は、看板などは残っているものの、もぬけの殻だった。 12月19日、小松和人の兄、小松武史(元消防庁職員 当時32歳)が経営する風俗店の店主・久保田祥史(当時34歳)が殺人容疑で逮捕された。 久保田はS子さんを刺したという男の目撃証言とぴったり合っており、和人ともつながりがあった。 その翌日には武史、伊藤嘉孝(当時32歳)、川上聡(当時31歳)の3人も逮捕された。 ちなみにこの4人の居場所をつきとめたのは警察ではなく、写真週刊誌「フォーカス」だった。 彼らは事件が大々的に報道されると、店を閉めていたという。 武史は8月頃に和人からS子さん殺害を依頼され、約2000万円を払って久保田に殺害を持ちかけた。 ちなみに武史が兼業で風俗店を経営していたことは、職場(消防庁)では誰にも知られていなかった。 年が明けて、2000年1月16日、S子さんに対する中傷ビラなどによる名誉毀損容疑で12人も逮捕された。 だが首謀者と見られる小松和人だけは行方がわからず、指名手配した。 武史は「和人は自殺するつもりだ」と言って彼の行きそうな場所を教えていた。 1月27日、北海道弟子屈町の屈斜路湖で、男性の水死体がハクチョウを撮りに来ていたアマチュアカメラマンによって発見された。 遺体は小松和人で、死後2、3日経過しており、自殺と見られた。 その理由は首のまわりに浴衣の紐が巻かれていたことや、手首にためらい傷、体内から睡眠薬が検出されたからだった。 和人は事件直前に沖縄へわたり、その後名古屋に潜伏した後、北海道へ来ていた。 【愛・憎しみ・狂気】 1999年1月、和人とS子さんは大宮駅東口のゲームセンターで知り合った。 声をかけてきた和人はこの時、名前を「誠」、職業は外車ディーラー、年齢を23歳と詐称していた。 確かに年よりは若く見える男だった。 やがて2人は交際を始める。 最初は優しい男だった。 和人は常に札束を持ち歩き、高級ブランド品をプレゼントするなどしていた。 それをS子さんが遠慮すると、「俺の気持ちをなぜ受け取れないんだ!」と怒鳴り出したという。 また3月20日に池袋の和人のマンションに遊びに行った時、はなぜか室内にビデオカメラが仕掛けられていた。 S子さんがそのことを尋ねると、和人は「お前、俺に逆らうのか。 なら、今までプレゼントした洋服代として100万円支払え!」と言って怒りだし、壁を何度も殴りつけて穴を開けたという。 和人はさらに「返さなければ風俗で働け」、「俺と別れるんだったら、お前の親がどうなっても知らないよ。 リストラさせてやる」と脅してきたため、S子さんは恐怖にかられたものの、仕方なく交際を続けた。 その日から、和人は頻繁に電話をかけてくるようになった。 30分おきに電話して、彼女の生活を知ろうとした。 S子さんが出ないと、自宅や友人のところに電話をかけた。 S子さんが愛犬の散歩中にかかってきた電話では、「俺を放っておいて、犬の散歩してるのか。 おまえの犬も殺してやるぞ」と怒鳴った。 3月24日、S子さん、友人に「私、殺されるかもしれない」と話す。 4月、S子さんは和人に嫌われるために、強烈なパーマをかけた。 しかし、S子さんの友人づてに事情を聞いた和人にはこの作戦はバレていた。 4月21日、和人は「お前は折れとだけ付き合うんだよ。 その誠意をきちんと見せろ」と、S子さんに携帯電話を2つに折るように命令した。 S子さんは言われた通りにし、友人の番号メモリーを失うことになった。 6月14日、異常な和人の愛に我慢できなくなったS子さんは池袋駅構内の喫茶店で別れ話を切り出す。 それまでにも何度か「別れて欲しい」と頼んでいたが、父親の勤め先などの情報を手に入れており、「リストラさせてやる。 そうすりゃ、小学生と浪人生の弟達は学校に行けなくなっちゃうよ」、「それでも別れるというなら、お前を精神的に追い詰めて天罰を下す」と脅されていた。 この日の別れ話はS子さんにとって、決死の告白だったはずだ。 これに対して、和人は「弁護士に相談する」と言って電話をかけた。 S子さんが電話をかけると、弁護士と名乗る男は「今からお宅に伺います」と言って電話を切った。 その夜、和人と武史、柳直之(当時29歳)の3人がS子さん宅にあがりこんだ。 和人の上司と名乗った武史が言う。 「和人が会社の金を500万円横領して、お宅の娘に貢いだので半分の250万円を支払え。 しかもこいつ(和人)を精神的に不安定にした。 病院の診断書があるんだ。 とにかく誠意を見せろ」 父親が帰宅してきて、「女しかいないところに上がり込んでいるのはおかしいじゃないか。 警察がいる前で話そう」と一喝されると、男達は「会社に内容証明付きの文書を送りつけるから、覚えておけ」と吐いてようやく帰っていった。 この時、S子さんはこのやりとりをカセットテープに録音していた。 和人はその帰り道、仲間に「このままじゃ気が済まない。 S子とセックスしている時の写真があるから、それをバラ撒こう。 それに、レイプしてビデオに撮影しよう。 柳さん、やってみない?成功報酬として500万円出すからさ」と持ちかけた。 翌15日、S子さんと母親は、前夜に録音したカセットテープを持参して上尾署に相談に訪れた。 しかし、署員は「事件か民事かギリギリだな。 警察は難しいよ。 あんたもいい思いしたんじゃないの」と、真剣に対応しなかった。 7月13日、S子さん宅の近所などで、中傷ビラがばらまかれた。 ビラはS子さんの顔写真、実名、「WANTED」「天にかわっておしおきよ!!」という見出し、それから彼女を誹謗中傷する台詞もある手の込んだものだった。 このビラは専門の業者が作ったもので、S子さんの通う大学近くや最寄の駅前にもあった。 またS子さんの顔写真、「大人の男性募集」というメッセージ、電話番号が記載されたカードが都内でもばらまかれており、インターネットにも同様の書きこみがあった。 ちなみにこの頃和人はアリバイづくりのために沖縄に滞在していた。 近所の人からビラについて知らされたS子さんの母親は上尾署に向かったが、簡単に事情聴取しただけで帰された。 母子はその後も何度も警察署に相談したが、「大学の試験があるんでしょう?終わってからでいいじゃない。 一週間後に来てよ」などと相手にされなかった。 7月下旬、S子さんは上尾署に訪れ、「犯人は小松和人に間違いありません」と名誉毀損容疑で告訴。 だが警察は捜査をした気配はなかった。 8月下旬、S子さんの父親の勤務先や、その本社にも中傷文書届く。 その封書は550通にも及ぶ。 このことがあって父親は警察に相談に行ったが、「警察は忙しいんですよ」とまたもまずい対応をした。 9月、上尾署係員は仕事が増えるのを嫌がり、S子さんの「告訴」を「被害届」に改ざん。 S子さんの母親に「告訴取り下げ」を要請した。 そんななかで事件は起こった。 事件後、上尾署では捜査ミスを隠すために嘘の調書を作成していた。 S子さんは、和人を中心とした何人もの男に散々名誉を傷つけられたうえ、殺害された。 しかも、警察には放置され、事件直後の報道では、「ブランド品依存症の女子大生」とされるなど、誤報も目立った。 S子さんとその家族は、つまり、二重、三重の被害者となっていたと言える。 S子さんが、もしもの時のために小松による殺害を示唆した遺書のようなメモを残していたことが悲しい。 「いつか殺される」という不安はかなりのものだったのだろう。 【処分と新法】 2000年4月6日、内部調査を進めていた県警は、上尾署員による改ざんを認定。 刑事二課長ら3人を懲戒免職処分とし、虚偽有印紙文書索引容疑などで書類送検した。 また本部長ら9人にも処分が下されている。 「桶川事件」と同時期には、やはり警察のまずい対応が問題となった、同じく容疑者をみすみす自殺させてしまったがあり、警察は厳しい批判の矢面に立たされることとなった。 2000年11月、「ストーカー行為等の規制に関する法律」が施行される。 桶川事件がきっかけとなった法律で、国会で成立したのはS子さんの誕生日である同年5月18日のことだった。 この法律により、男女間の問題として片付けられがちだった嫌がらせ行為が、処罰されるようになった。 施行半年で、66人が逮捕、453人が警告された。 そのうち9割が、元夫婦や恋人など「面識者」だった。 【裁判】 逮捕された武史は中傷ビラ300枚をバラまき、父親の勤務先に誹謗文書800通送付したことを自供。 しかし、殺人については関与を否定した。 2000年10月、S子さんの両親、小松武史らを相手取り、慰謝料など1億1,000万円を求める損害賠償請求。 同年12月、S子さんの両親、「なぜ娘が殺されなくてはならなかったのか」と、県を相手取り、国家賠償訴訟を起した。 浦和地裁での公判中、「浦和地裁刑事部の裁判官(当時47歳)が居眠りしている」と傍聴人から訴えがあった。 この裁判官は毎回のように眠っていたという。 01年3月5日、浦和地裁はこの判事を公判担当から外し、民事部に配置換えした。 (ちなみにこの判事は、宇都宮地裁の裁判官をしていた2008年に山梨県内に住む裁判所女性職員へのストーカー規制法違反容疑で逮捕されている) 2001年7月17日、浦和地裁、「自己保身のために他人の生命すらかえりみない犯行で、動機に酌量すべき余地もない」と久保田に懲役18年、見張り役の伊藤に同15年を言い渡した。 同年10月26日、実行犯5人に計490万円の賠償命令。 2002年3月29日、小松武史は控訴を取り下げ、刑が確定。 同年6月27日、運転手役だった川上に懲役15年の判決。 2003年2月26日、国家賠償訴訟で、さいたま地裁は県に550万円の賠償命令をした。 双方とも判決を不服として控訴。 12月25日、さいたま地裁、小松武史に無期懲役判決。 2005年1月26日、国家賠償訴訟の控訴審で、双方の控訴を棄却。 遺族やその支援者を落胆させる結果となった。 12月20日、東京高裁・安広文夫裁判長は「動機ははなはだ理不尽で、酌量の余地はみじんもない。 自らは手を下すことなく共犯者に指示し被害者の殺害に至ったもので、首謀者である」と武史の控訴棄却。 2006年3月31日、遺族が武史その両親ら4人に対して計約1億2000万円の損害賠償を求めた訴訟で、さいたま地裁・石原直樹裁判長は4人に計約1億250万円を支払うよう命じた。 同年8月30日、賠償訴訟で、最高裁・今井功裁判長は両親の上告を棄却。 捜査怠慢とS子さん殺害との因果関係を認めない結果となった。 同年9月5日、小松武史の上告審で、最高裁は上告棄却。 無期が確定。

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桶川・女子大生ストーカー殺人事件

桶川 ストーカー 殺人 事件

この記事の目次• 桶川ストーカー殺人事件の概要 「桶川ストーカー殺人事件」は、埼玉県桶川市で1999年10月26日に発生した殺人事件です。 当時21歳の女子大生・猪野詩織さんが、その日の午後0時53分頃、桶川駅西口前のショッピングセンター「パトリア桶川店(通称・おけがわマイン)」の前の路上で、元暴力団員の男・久保田祥史に上半身の脇腹あたり2ヶ所をサバイバルナイフで刺されました。 猪野詩織さんは、午後1時半頃、搬送先の上尾中央総合病院で死亡が確認されます。 死因は大量出血によるショック死、死亡推定時刻は午後1時50分頃と診断され、ほぼ即死状態だったようです。 事件の発端は猪野詩織と小松和人との交際 「桶川ストーカー殺人事件」の被害者、猪野詩織さんは、事件発生の約9ヶ月前の1999年1月6日、友人と遊びに来ていた大宮駅東口のゲームセンターで小松和人という男と知り合いました。 小松和人は当時27歳でしたが、名前と年齢を偽って、小松誠、23歳と名乗って猪野詩織さんに接近。 小松和人は、本当は無許可の違法風俗店経営者だった事も隠し、職業は外国車のディーラーだと偽りました。 猪野詩織さんは小松和人とドライブや食事を週1回する程度の交際を開始しました。 小松和夫は当初は優しい態度で猪野詩織さんに接し、高級なブランド品を頻繁にプレゼントするなどしたそうです。 しかし、猪野詩織さんがある日ブランド品のプレゼントを遠慮し、受け取りを拒否するそぶりを見せると、小松和人は突如激昂し「俺の気持ちがなぜ受け取れないのか!」と怒鳴りだしました。 これを発端に、小松和人には精神的に不安定な面を見せるようになり、猪野詩織さんは小松和人との交際に不安を感じて、距離を置きたいと考えるようになります。 猪野詩織が小松和人に不審を募らせる そんなある日、猪野詩織さんは、小松和人の車のダッシュボードから小松の本名が記されたクレジットカードを発見し、小松が偽名を使っている事を知ります。 さらに、猪野詩織さんは小松和人が暴力団風の男と親しげに「ミニパトにわざとぶつかってやった」などと自慢げに話しているところを目撃し、小松に対しての不審の念を募らせていきました。 小松和人が猪野詩織を脅迫、別れる事が出来なくなる 1999年3月20日、小松和人の自宅マンションを訪れた猪野詩織さんは、部屋の中に隠すようにしてビデオカメラが設置されているのを発見し、これは何かと小松に問いただしました。 すると、小松和人は態度を豹変させ「お前は俺に逆らうのか、それならばこれまでにお前に今までプレゼントした洋服代100万円を支払え!」などと怒り出し、猪野詩織さんを壁際まで追い詰め、顔面すぐ横の壁を拳で何度も殴って穴を開けるなどして脅した上、「金が返せないのなら風俗で働いて金を作れ!」などと言い出しました。 たまりかねた猪野詩織さんが別れを匂わせると、小松和人はさらに激昂し「俺と別れるつもりなら、お前の両親がどうなっても知らないぞ、今からお前の親のところに行って俺との交際を全てバラす」などと家族を巻き込む事を匂わせ脅迫しました。 こうした小松和人からの脅迫を受けた事で、猪野詩織さんは「交際を断れば何をされるかわからない、殺されるかもしれない」と恐怖を感じ、やむなく交際を続ける事になります。 小松和人による異常な束縛が始まる それから、小松和人は、30分おきに猪野詩織さんの携帯電話に電話をかけるなど束縛を強めていきます。 ある時には電話で「今何をしているのか?」と尋ねる小松和人に、猪野詩織さんが「家の近所で犬の散歩をしている」と答えると「お前は俺よりも犬の方が大切なのか」などと恫喝する事もあったようです。 また、小松和人は興信所などを使って猪野詩織さんの行動を24時間監視し、家族について友人関係なども調べさせ、それをネタにして詩織さんを精神的に追い詰めていきました。 こうした行為によって追い詰められた猪野詩織さんが別れを切り出すと、小松和人は「お前の父親いい会社に勤めてるよな?リストラさせてやろうか?俺がその気になればお前の家族めちゃくちゃに出来る」などと家族に危害を加える事を匂わせて脅迫し、心理的に追い詰めました。 猪野詩織が小松和人に決別を伝える 脅迫を受けた事で猪野詩織さんはそれからも数ヶ月の間小松和人との交際を続けていましたが、心身ともに限界を迎えた詩織さんは、1999年6月14日、池袋駅構内の喫茶店で、ついに小松に対して別れを告げます。 猪野詩織さんの決意が固い事を見た小松和人は「弁護士に連絡する」といってどこかへ電話をかけました。 猪野詩織さんが電話を代わると、弁護士を名乗る男は「今からお宅へ伺います」と言って電話を切りました。 猪野詩織さんはこの帰り道、母親に電話を掛け、初めて自身の身に起こっているトラブルについての相談をしています。 小松和人と共犯者らが自宅へ押しかける 猪野詩織さんが小松和人に別れを告げたその日の午後8時頃、小松和人と、和人の兄の小松武史(当時32歳)、その知人の柳直之(当時29歳)の3人が突然、猪野詩織さんの自宅へと押しかけてきます。 小松和人の上司だと偽称した小松武史は、「小松和人が会社の金500万円を横領し、お宅の娘(猪野詩織さん)に貢いだ、250万円を補填しろ」などと言い、さらに「この男(小松和人)はこの件で精神的に不安定になった。 病院の診断書もあるからとにかく誠意を見せろ」などと、猪野詩織さんの母親を恐喝しました。 このやり取りの最中に、猪野詩織さんの父親が勤務先から帰宅、「女だけのところに上がり込んでくるのはどういうわけだ、警察がいる前で話そう!」と一喝すると、小松和人らは、「(父親の)会社に内容証明を送りつけるから覚えておけ!」などと捨て台詞を吐いて退出します。 小松和人と共犯者による執拗なストーカー行為が始まる 猪野詩織さんと両親は、すぐに事情を説明して埼玉県警上尾署に相談しますが、警察は「これは事件か民事かのギリギリのところ」などと言って取り合わず、まともな対応をしませんでした。 この時「プレゼントを貰っておいて別れると言ったら、それは相手の男も怒るよ」などと言われた事から、猪野詩織さんはこれまでに小松和人から貰ったプレゼント類を全て送り返しています。 しかし、これがきっかけとなって小松和人らのストーカー行為が激化します。 無言電話や自宅周辺の徘徊行為などにはじまり、自宅の前や近所一帯、大学や通学路などに猪野詩織さんや家族を誹謗中傷するビラをばらまく、父親の会社宛てに800通もの誹謗中傷の手紙を送りつける、車2台で自宅の前に乗り付け、大音量で音楽を鳴らすなどの悪質な嫌がらせ行為が繰り返されました。 こうした嫌がらせ行為が発生するたびに、猪野詩織さんと両親は上尾警察署に相談に訪れていますが、毎回上尾警察は適当にあしらい、まともな対応は一切見せませんでした。 小松和人が共犯者らに猪野詩織殺害を指示 その後、明らかになった事によれば、小松和人は、猪野詩織さんからプレゼントが送り返されてきた1999年6月、小松和人はこれを兄の小松武史に訴え、これを受けた武史は、元暴力団員の男・久保田祥史に、2000万円を渡して猪野詩織さん殺害を依頼したとされます。 久保田祥史らは、この2000万円の一部を資金として使い、猪野詩織さんや家族に対する誹謗中傷行為を行った事なども判明しています。 久保田祥史が猪野詩織を殺害 そして、1999年10月26日、久保田祥史は、大学に通学する猪野詩織さんを桶川駅前で待ち伏せし、駅前に自転車を停めていた詩織さんの背後から接近、サバイバルナイフで脇腹あたりを2度刺し、殺害に及んだのでした。 犯人ら4人が逮捕も、小松和人は自殺遺体で発見 なお、その後、小松武史や久保田祥史ら、犯人4人が逮捕されていますが、小松和人は、沖縄や北海道へと逃亡を続けた後、2000年1月27日、北海道の屈斜路湖で遺体で発見されています。 遺体の状況から自殺したとされています。 桶川ストーカー殺人事件の被害者は女子大生・猪野詩織 「桶川ストーカー殺人事件」の被害者は、当時21歳の女子大生・猪野詩織さんです。 事件当時は、跡見学園女子大学に通っていた事が明らかになっています。 猪野詩織さんの詳しい情報はほとんど公開されていませんが、家族と仲の良い優しく明るい女性だったようです。 幼い頃の猪野詩織さんは父親っこで、大人になってからも仲が良かったそうです。 父親を大切に思っていたため、小松和人のようなタチの悪い男に付きまとわれている事実をギリギリまで父親に明かす事ができず、苦しんだところがあったようです。 また、猪野詩織さんには2人の弟がおり、よく世話をする良いお姉さんだった事なども明らかになっています。 猪野詩織さんは、小松和人との別れ話を切り出しに行く前には、命の危険を感じていた事から、両親や親しい友人に宛てて、これまでの事を感謝する内容の遺書をしたためています。 こうした行動からも、猪野詩織さんの優しく誠実な人柄が伺えます。 実際の猪野詩織とはかけ離れたイメージが流布された 以上のように、猪野詩織さんは家族思いで優しく、真面目な女性でしたが、事件発生後、警察からの情報操作を鵜呑みにしたマスコミによって「ブランド好きの派手な女性」「水商売のアルバイトをしていた」といった事実とはかけ離れた報道がなされました。 「ブランド好き」のイメージが報道された原因については、警察が詩織さんを派手な女性と印象付けるため、被害時の所持品として「グッチの腕時計」「プラダのリュックサック」と意図的に発表したためだと疑われています。 友人らの証言によれば、実際の猪野詩織さんは「安いものをうまく取り入れながら、センス良く着こな巣ようなタイプだった」という事であり、所持品の「グッチの腕時計」にしても、長年使い込まれ細かな傷が無数についたもので、当時の女子大生の所有物として特に珍しいものではありませんでした。 また、「水商売のアルバイトをしていた」という報道についても、事件の1年ほど前、猪野詩織さんは友人の1人に「スナックで働く事になったが1人では心細いから一緒に働いてほしい」と頼まれ、仕方がなく2週間ほどスナックで働いたという事実が拡大され、あたかも水商売勤務の派手な女性であるかのようにセンセーショナルに報じられたものでした。 さらには、この「水商売で働いていた」云々の話をマスコミにリークしたのも、警察関係者だと言われています。 しかし、実際の猪野詩織さんは、「やっぱり私にはお酒を飲む人の接客はできない」と、給料を受け取る事もなく、わずか2週間でスナックでのアルバイトを辞めており、報道のイメージからは大きくかけ離れた真面目なタイプの女性だった事がわかります。 桶川ストーカー殺人事件の犯人・小松和人について 「桶川ストーカー殺人」の犯人で、発端となった男、小松和人は、事件当時27歳でした。 小松和人は、兄の小松武史と共に、東京都および埼玉県で、無許可の違法風俗店を6から7店舗経営しており、それで稼いだ金で好き放題遊び暮し、猪野詩織さんへの高額なプレゼント品なども購入していたようです。 小松和人は身長180cmくらい、髪は天然パーマで、少し染めており、「羽賀研二と松田優作を足して2で割ったような色男」だったとされています。 桶川ストーカー殺人事件の犯人・小松和人の生い立ち この小松和人については、猪野詩織さんに対する異常な行動から、生い立ちや家族についても注目が集まっていますが、その詳細な生い立ちについては不思議なほどに情報が出ていません。 小松和人は猪野詩織さんに対して自分の生い立ちについて「俺は親に捨てられた」などと発言したとされますが、家族との間にどのような経緯があったのかの詳細については何も明らかになっていません。 また、小松和人には、その異常な行動から「妄想性パーソナリティ障害」の疑いがあり、精神病院への通院歴や、猪野詩織さんと交際する以前に付き合っていた女性に対しても同様の嫌がらせ行為を行なっていたという情報も見られます。 小松和人の以前のストーカー行為については、担当した川越署が適切に対応し、小松和人へ厳重注意を行っています。 また、この時に身元引き受け人とされたのは、兄の小松武史でした。 この事から、小松和人と両親の関係は希薄だったと推測されます。 ただ、北海道の屈斜路湖で死亡した小松和人のリュックサックからは「支払われる生命保険料は両親の老後に使って欲しい」などと書かれていたとされています。 この遺書には「天国にはいけない」などとも書かれていたそうです。 桶川ストーカー殺人事件の犯人・小松和人の家族の異常な行動も話題に 「桶川ストーカー殺人事件」の犯人・小松和人の家族が、事件後に異常な行動を起こしていた事も話題になっています。 小松和人の母親は、マスコミの取材に対して「息子は悪くない!」などと怒鳴って暴言を吐き、小松和人の姉は、弁護士を雇い、テレビや出版などの報道各社を周り、「ストーカー殺人という言葉を使うな」と警告していた事などが、一部週刊誌報道や、後に発表されたルポなどから明らかになっています。 殺害を指示したという兄・小松武史も含め、小松和人の家族らの行動は極めて異常であり、小松和人という人間を作り出した元凶であるかのように感じられますが、その家族に関する報道は、不思議なほどなされていません。 桶川ストーカー殺人事件では警察の酷すぎる対応も問題化 「桶川ストーカー殺人事件」では、対応に当たった埼玉県警・上尾警察署の対応のあまりの酷さも問題化しました。 何度も相談に訪れた猪野詩織さんや、その両親を適当にあしらい、まともに取り合わなかった上尾警察でしたが、猪野詩織さんが断固告訴したいと訴えると、渋々告訴状を作成しています。 これで捜査してくれると安堵した猪野詩織さんと両親でしたが、実際には上尾警察はこの告訴状を机の奥にしまい込み、まともな捜査を行っていませんでした。 さらには、署の成績を優先した上尾警察署幹部は、この告訴状を被害届に勝手に改ざん、さらには「何か問題が起きたら告訴し直せば良いから、一度告訴を取り下げてくれないか」と刑事に頼みに行かせています。 しかし、実際には告訴は一度取り下げれば、もう一度告訴し直す事は出来ません。 こうして上尾署は、嘘を平然とついてまで、まともな捜査を一切行わなかったのです。 結果として、猪野詩織さんは殺害される事になりました。 そしてその後、上尾署の幹部らは、こうした杜撰な対応を批判される事を恐れ、事実を隠蔽するための工作を開始します。 上尾署幹部は、会見や取材でマスコミに対し、猪野詩織さんの方にも非があるかのように思わせる情報を意図的に流し、また、自ら改ざんしておきながら「告訴状」が出ていた事には触れず「被害届」が出ていたと強調して見せました。 さらに、その後、週刊誌「FOCUS」など一部週刊誌の記者達の独自捜査により、警察による卑劣な改ざんや隠蔽工作が次第に明らかになります。 その記者らは独自に突き止めた犯人らの情報を警察に提供するなどしますが、警察の動きは鈍く、まるで真実を隠蔽するためにあえて逮捕しないようにしているかのようだったといいます。 さらに批判を集めたのは、事件発生後の家族に対する対応でした。 猪野詩織さんが刺され病院に運ばれた時、上尾署は警察署に母親を呼び出し、事件現場の確認や事情聴取を受けさせています。 母親が猪野詩織さんの容態を訊ねても「頑張っている」と答えるだけで、詳細を伝える事もありませんでした。 そして、その日の午後3時頃に、母親は、警察職員を通じて「今亡くなりました」と伝えられたと言います。 母親はこの事について、「何故すぐに病院の娘の元へと向かわせてくれなかったのか」と怒りを露わにしました。 桶川ストーカー殺人事件で抗議が殺到した警察会見動画 「桶川ストーカー殺人事件」の発生後、埼玉県警は事件に関する記者会見を行っています。 この時、記者らの質問に答えた警察幹部は、ニヤニヤと笑いながら会見に臨み、あたかも自分は当事者ではないかのような態度を取りました。 この時の様子はテレビ番組などで報じられ、警察に対する抗議が殺到しました。 このふざけた警察会見の様子の動画はネットに上がっているので紹介します。 あまりに腹立たしく、当時の上尾署の異常性の全てを表しているかのような動画です。 桶川ストーカー殺人事件のその後と現在 「桶川ストーカー殺人事件」のその後と現在についても紹介します。 事件後の犯人らについては、事件の原因となった小松和人は2000年に自殺していますが、その他の共犯者4人が逮捕されそれぞれに刑が確定しています。 小松和人の兄・小松武史は、事件の主犯格として無期懲役の判決が下っています。 実行犯である久保田祥史には、懲役18年の実刑判決が下されています。 また、杜撰な対応が問題化した上尾署の署員に対しても処分が下され、告訴状の改ざんなどに関わった署員3名が懲戒免職となり、他、幹部職員の減給処分などが下されています。 猪野詩織さんの両親は、事件後、こうした悲惨な事件の再発を防ぐ活動に力を注がれており、猪野詩織さんの母は、刑事裁判への被害者参加制度導入にも尽力され、父は、この事件に関しての数々の講演を行っています。 また、この「桶川ストーカー殺人事件」がきっかけとなってストーカー行為等の規制に関する法律、いわゆる「ストーカー規制法」が国会で成立する事にもつながりました。 まとめ 今回は1999年に発生した「桶川ストーカー殺人事件」についてまとめてみました。 「桶川ストーカー殺人事件」は、犯人・小松和人とその仲間たちによって、当時21歳の女子大生・猪野詩織さんが、交際のもつれから悪質なストーカー被害を受け、最後には殺害された悲惨な事件でした。 この事件では、事件の異常性と共に、被害者からの相談を何度も受けながらまともな対応を取らなかった埼玉県警上尾警察署への批判も問題視され、「ストーカー規制法」が成立するきっかけにもなりました。 「桶川ストーカー殺人事件」から既に20年以上が経過していますが、その間にも何度もストーカー行為から凶悪な犯罪に発展する事件が発生しています。 こうした悲惨な事件を2度と起こさぬためにも、事件を風化させず語り継いでいく事も大切だと思います。

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桶川女子大生ストーカー殺人事件【小松和人】

桶川 ストーカー 殺人 事件

桶川・女子大生ストーカー殺人事件 桶川・女子大生ストーカー殺人事件 【事件概要】 1999年10月26日午後0時55分頃、埼玉県桶川市の路上で、上尾市在住の女子大生・S子さん(21歳)が男に刃物で左胸と脇腹を刺された。 男は逃走し、S子さんは病院に運ばれたが、まもなく出血多量で死亡した。 S子さんにストーカー行為を繰り返していた元風俗店経営・小松和人(27歳)首謀による殺人とされているが、小松も01年1月に自殺している。 小松和人 小松武史 久保田祥史 伊藤嘉孝 川上聡 他 【不安】 1999年10月26日午後0時55分頃、埼玉県桶川市のJR桶川駅西口前のスーパー脇の路上で、上尾市在住の跡見学園女子大2年・S子さん(21歳)が男にナイフで左胸と脇腹を刺された。 男は逃走し、S子さんは病院に運ばれたが、まもなく出血多量で死亡した。 S子さんは大学に向かう途中に、自転車置場に自転車をとめたところを襲われたものと見られた。 当初は通り魔の犯罪とも見られた事件だが、家族や友人の話から1人の男の名が浮上した。 男は、以前にS子さんと交際していたという元風俗店経営・小松和人(当時27歳)のことである。 小松はこの年の1月頃にS子さんと知り合い、交際と始めていたが、別れ話を切り出されると、執拗に嫌がらせを繰り返していた。 いわゆる「ストーカー」という行為である。 ストーカーはそれまでにTVドラマなどで取り上げられたりして、一般の人々にその意味合いは知られていたが、実際に殺人事件にまで発展するケースは稀だった。 和人はS子さんの前に交際していた女性に対しても同じような嫌がらせをしていたようだった。 その和人も、事件後から行方をくらませていた。 ただ和人は身長180cmで「羽賀研二と松田優作を足して2で割ったような色男」らしく、目撃者の証言から「短髪、小太り、青いシャツ、身長170cmくらい」だというS子さんを刺した男とはどうも特徴が一致しなかった。 小松の経営していたとされるヘルスのあるマンションの一室は、看板などは残っているものの、もぬけの殻だった。 12月19日、小松和人の兄、小松武史(元消防庁職員 当時32歳)が経営する風俗店の店主・久保田祥史(当時34歳)が殺人容疑で逮捕された。 久保田はS子さんを刺したという男の目撃証言とぴったり合っており、和人ともつながりがあった。 その翌日には武史、伊藤嘉孝(当時32歳)、川上聡(当時31歳)の3人も逮捕された。 ちなみにこの4人の居場所をつきとめたのは警察ではなく、写真週刊誌「フォーカス」だった。 彼らは事件が大々的に報道されると、店を閉めていたという。 武史は8月頃に和人からS子さん殺害を依頼され、約2000万円を払って久保田に殺害を持ちかけた。 ちなみに武史が兼業で風俗店を経営していたことは、職場(消防庁)では誰にも知られていなかった。 年が明けて、2000年1月16日、S子さんに対する中傷ビラなどによる名誉毀損容疑で12人も逮捕された。 だが首謀者と見られる小松和人だけは行方がわからず、指名手配した。 武史は「和人は自殺するつもりだ」と言って彼の行きそうな場所を教えていた。 1月27日、北海道弟子屈町の屈斜路湖で、男性の水死体がハクチョウを撮りに来ていたアマチュアカメラマンによって発見された。 遺体は小松和人で、死後2、3日経過しており、自殺と見られた。 その理由は首のまわりに浴衣の紐が巻かれていたことや、手首にためらい傷、体内から睡眠薬が検出されたからだった。 和人は事件直前に沖縄へわたり、その後名古屋に潜伏した後、北海道へ来ていた。 【愛・憎しみ・狂気】 1999年1月、和人とS子さんは大宮駅東口のゲームセンターで知り合った。 声をかけてきた和人はこの時、名前を「誠」、職業は外車ディーラー、年齢を23歳と詐称していた。 確かに年よりは若く見える男だった。 やがて2人は交際を始める。 最初は優しい男だった。 和人は常に札束を持ち歩き、高級ブランド品をプレゼントするなどしていた。 それをS子さんが遠慮すると、「俺の気持ちをなぜ受け取れないんだ!」と怒鳴り出したという。 また3月20日に池袋の和人のマンションに遊びに行った時、はなぜか室内にビデオカメラが仕掛けられていた。 S子さんがそのことを尋ねると、和人は「お前、俺に逆らうのか。 なら、今までプレゼントした洋服代として100万円支払え!」と言って怒りだし、壁を何度も殴りつけて穴を開けたという。 和人はさらに「返さなければ風俗で働け」、「俺と別れるんだったら、お前の親がどうなっても知らないよ。 リストラさせてやる」と脅してきたため、S子さんは恐怖にかられたものの、仕方なく交際を続けた。 その日から、和人は頻繁に電話をかけてくるようになった。 30分おきに電話して、彼女の生活を知ろうとした。 S子さんが出ないと、自宅や友人のところに電話をかけた。 S子さんが愛犬の散歩中にかかってきた電話では、「俺を放っておいて、犬の散歩してるのか。 おまえの犬も殺してやるぞ」と怒鳴った。 3月24日、S子さん、友人に「私、殺されるかもしれない」と話す。 4月、S子さんは和人に嫌われるために、強烈なパーマをかけた。 しかし、S子さんの友人づてに事情を聞いた和人にはこの作戦はバレていた。 4月21日、和人は「お前は折れとだけ付き合うんだよ。 その誠意をきちんと見せろ」と、S子さんに携帯電話を2つに折るように命令した。 S子さんは言われた通りにし、友人の番号メモリーを失うことになった。 6月14日、異常な和人の愛に我慢できなくなったS子さんは池袋駅構内の喫茶店で別れ話を切り出す。 それまでにも何度か「別れて欲しい」と頼んでいたが、父親の勤め先などの情報を手に入れており、「リストラさせてやる。 そうすりゃ、小学生と浪人生の弟達は学校に行けなくなっちゃうよ」、「それでも別れるというなら、お前を精神的に追い詰めて天罰を下す」と脅されていた。 この日の別れ話はS子さんにとって、決死の告白だったはずだ。 これに対して、和人は「弁護士に相談する」と言って電話をかけた。 S子さんが電話をかけると、弁護士と名乗る男は「今からお宅に伺います」と言って電話を切った。 その夜、和人と武史、柳直之(当時29歳)の3人がS子さん宅にあがりこんだ。 和人の上司と名乗った武史が言う。 「和人が会社の金を500万円横領して、お宅の娘に貢いだので半分の250万円を支払え。 しかもこいつ(和人)を精神的に不安定にした。 病院の診断書があるんだ。 とにかく誠意を見せろ」 父親が帰宅してきて、「女しかいないところに上がり込んでいるのはおかしいじゃないか。 警察がいる前で話そう」と一喝されると、男達は「会社に内容証明付きの文書を送りつけるから、覚えておけ」と吐いてようやく帰っていった。 この時、S子さんはこのやりとりをカセットテープに録音していた。 和人はその帰り道、仲間に「このままじゃ気が済まない。 S子とセックスしている時の写真があるから、それをバラ撒こう。 それに、レイプしてビデオに撮影しよう。 柳さん、やってみない?成功報酬として500万円出すからさ」と持ちかけた。 翌15日、S子さんと母親は、前夜に録音したカセットテープを持参して上尾署に相談に訪れた。 しかし、署員は「事件か民事かギリギリだな。 警察は難しいよ。 あんたもいい思いしたんじゃないの」と、真剣に対応しなかった。 7月13日、S子さん宅の近所などで、中傷ビラがばらまかれた。 ビラはS子さんの顔写真、実名、「WANTED」「天にかわっておしおきよ!!」という見出し、それから彼女を誹謗中傷する台詞もある手の込んだものだった。 このビラは専門の業者が作ったもので、S子さんの通う大学近くや最寄の駅前にもあった。 またS子さんの顔写真、「大人の男性募集」というメッセージ、電話番号が記載されたカードが都内でもばらまかれており、インターネットにも同様の書きこみがあった。 ちなみにこの頃和人はアリバイづくりのために沖縄に滞在していた。 近所の人からビラについて知らされたS子さんの母親は上尾署に向かったが、簡単に事情聴取しただけで帰された。 母子はその後も何度も警察署に相談したが、「大学の試験があるんでしょう?終わってからでいいじゃない。 一週間後に来てよ」などと相手にされなかった。 7月下旬、S子さんは上尾署に訪れ、「犯人は小松和人に間違いありません」と名誉毀損容疑で告訴。 だが警察は捜査をした気配はなかった。 8月下旬、S子さんの父親の勤務先や、その本社にも中傷文書届く。 その封書は550通にも及ぶ。 このことがあって父親は警察に相談に行ったが、「警察は忙しいんですよ」とまたもまずい対応をした。 9月、上尾署係員は仕事が増えるのを嫌がり、S子さんの「告訴」を「被害届」に改ざん。 S子さんの母親に「告訴取り下げ」を要請した。 そんななかで事件は起こった。 事件後、上尾署では捜査ミスを隠すために嘘の調書を作成していた。 S子さんは、和人を中心とした何人もの男に散々名誉を傷つけられたうえ、殺害された。 しかも、警察には放置され、事件直後の報道では、「ブランド品依存症の女子大生」とされるなど、誤報も目立った。 S子さんとその家族は、つまり、二重、三重の被害者となっていたと言える。 S子さんが、もしもの時のために小松による殺害を示唆した遺書のようなメモを残していたことが悲しい。 「いつか殺される」という不安はかなりのものだったのだろう。 【処分と新法】 2000年4月6日、内部調査を進めていた県警は、上尾署員による改ざんを認定。 刑事二課長ら3人を懲戒免職処分とし、虚偽有印紙文書索引容疑などで書類送検した。 また本部長ら9人にも処分が下されている。 「桶川事件」と同時期には、やはり警察のまずい対応が問題となった、同じく容疑者をみすみす自殺させてしまったがあり、警察は厳しい批判の矢面に立たされることとなった。 2000年11月、「ストーカー行為等の規制に関する法律」が施行される。 桶川事件がきっかけとなった法律で、国会で成立したのはS子さんの誕生日である同年5月18日のことだった。 この法律により、男女間の問題として片付けられがちだった嫌がらせ行為が、処罰されるようになった。 施行半年で、66人が逮捕、453人が警告された。 そのうち9割が、元夫婦や恋人など「面識者」だった。 【裁判】 逮捕された武史は中傷ビラ300枚をバラまき、父親の勤務先に誹謗文書800通送付したことを自供。 しかし、殺人については関与を否定した。 2000年10月、S子さんの両親、小松武史らを相手取り、慰謝料など1億1,000万円を求める損害賠償請求。 同年12月、S子さんの両親、「なぜ娘が殺されなくてはならなかったのか」と、県を相手取り、国家賠償訴訟を起した。 浦和地裁での公判中、「浦和地裁刑事部の裁判官(当時47歳)が居眠りしている」と傍聴人から訴えがあった。 この裁判官は毎回のように眠っていたという。 01年3月5日、浦和地裁はこの判事を公判担当から外し、民事部に配置換えした。 (ちなみにこの判事は、宇都宮地裁の裁判官をしていた2008年に山梨県内に住む裁判所女性職員へのストーカー規制法違反容疑で逮捕されている) 2001年7月17日、浦和地裁、「自己保身のために他人の生命すらかえりみない犯行で、動機に酌量すべき余地もない」と久保田に懲役18年、見張り役の伊藤に同15年を言い渡した。 同年10月26日、実行犯5人に計490万円の賠償命令。 2002年3月29日、小松武史は控訴を取り下げ、刑が確定。 同年6月27日、運転手役だった川上に懲役15年の判決。 2003年2月26日、国家賠償訴訟で、さいたま地裁は県に550万円の賠償命令をした。 双方とも判決を不服として控訴。 12月25日、さいたま地裁、小松武史に無期懲役判決。 2005年1月26日、国家賠償訴訟の控訴審で、双方の控訴を棄却。 遺族やその支援者を落胆させる結果となった。 12月20日、東京高裁・安広文夫裁判長は「動機ははなはだ理不尽で、酌量の余地はみじんもない。 自らは手を下すことなく共犯者に指示し被害者の殺害に至ったもので、首謀者である」と武史の控訴棄却。 2006年3月31日、遺族が武史その両親ら4人に対して計約1億2000万円の損害賠償を求めた訴訟で、さいたま地裁・石原直樹裁判長は4人に計約1億250万円を支払うよう命じた。 同年8月30日、賠償訴訟で、最高裁・今井功裁判長は両親の上告を棄却。 捜査怠慢とS子さん殺害との因果関係を認めない結果となった。 同年9月5日、小松武史の上告審で、最高裁は上告棄却。 無期が確定。

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